第24話 絶叫


「ねえねえ、つぎ、あれに乗りたい」


 ジェットコースター乗り場の前。姪に頼まれて瑛太郎えいたろうは遊園地に来ていた。恋い焦がれた従兄弟の妹の娘だ。彼女は二番目の子どもを妊娠中で、少し離れたところでベンチに座っている。来年一年生に上がる姪と遊んでいて、瑛太郎は杏珠あんじゅが姪と同い年であることに気がついた。


 思えば志憧しどうと杏珠は、つつましい暮らしをしていた。食べるものも着る物も、遊びですら、ささやかな幸せを大事にしていたように思う。母親がいないから、ということだけではなく、二人だけの生活を純粋に楽しんでいた。小さく質素で幸せな二人の世界に、瑛太郎は予期せず迎え入れられた。しかし瑛太郎が関わることで、志憧は封印してきた傷を開くことになってしまった。

 姪の紗耶さやは杏珠よりもひとまわり身体が大きく、活発な少女だ。母親の意向ですでにいくつかの習い事をしていて、幼稚園生としては使う言葉も大人びている。身につけているものも上質で、会う度に違うものを着ていて瑛太郎の仕事用のスーツよりもずっと多くを持っているんだろうと思われた。


「紗耶、これは身長制限があるから乗れないよ」


「なんで?これ乗りたい」


「もう少し大きくなったら乗れるよ」


「やだ!今乗る!乗りたい!」


 紗耶はわがままに育っている。今日は午前中から来ているが、食事を選ぶ時も、あれはいやだこれは食べたくないと言っては母親を困らせていた。身重の母親に代わって瑛太郎が乗り物にはつきあうが、途中でアイスを食べながら乗りたいと言ったり、列に並ぶのを嫌がったりと、いちいち大騒ぎだ。

 これが杏珠だったらどうだっただろう?きっと志憧に同じように窘められ、彼女はすんなりと受け入れたに違いない。それは普段から、志憧が言うことに嘘はなく、彼の言葉が杏珠のすべてだからだ。志憧の愛情を全身で受け止め素直で明るく育った杏珠。瑛太郎は姪をなんとか説得し、メリーゴーランドの列に並び直しながら、そんなことを考えていた。

 やはり紗耶は列に並んでも、暑い、喉が乾いた、とわがままを言う。親ではない瑛太郎の言うことを聞かないのは仕方がないのかもしれないが、ほとほと疲れる。となりのジェットコースターが轟音とともに乗り場の横を通り過ぎ、乗っている客の絶叫が聞こえてくる。紗耶はうらやましそうにそれを見上げるが、乗ったら乗ったで号泣するに違いない。そして責任を瑛太郎になすりつける。親戚とはいえ手強い子供だ。      

 額の汗を手の甲でぬぐい、ふと視線を遊園地を囲う柵の外に向けた瑛太郎は、目を疑った。遊園地の外側は小高い丘になっていて、そこを降りると大きな公園がある。丘に登ると、ちょうどジェットコースターの通り道を見渡せる位置になる。

 そこに杏珠と志憧の姿を見たのだ。

 今度こそ見間違いだと思った。遊園地の中で逢うならともかく、隣の公園は広く、それも同じ日、同じ時間帯に逢うなんて偶然がすぎる。

 しかしそれは見間違いなんかでもなく、彼らはそこでジェットコースターが回ってくるのを見て楽しんでいた。瑛太郎のことは気がついていない。離れているし、メリーゴーランドの列にはたくさんの親子連れが並んでいて、その中から瑛太郎の姿を見つけられるわけもない。

 杏珠は志憧に抱き上げられた状態で、回ってくるジェットコースターに向かって全力で手を振っている。通り過ぎるたびに嬉しそうに笑い合う二人。目を奪われていた瑛太郎は紗耶に手を強く引っ張られて我に返った。


「おなかすいた」


「メリーゴーランドは?もうすぐ順番だよ」


「バナナのクレープたべたい」


「じゃあ並ぶのやめる?」


「ええ~・・・?」


 また始まった。ぐずる紗耶をなだめて、とりあえず空腹は我慢する方向になったが、顔を上げたとき、志憧と杏珠の姿は消えていた。  

 時間にしてほんの数分の出来事だったと思う。瑛太郎は改めてあの、誰もいない彼らの家に入った時のことを思い出していた。そして同時にあれが本当に現実のことだったかどうか、今でもよくわからない。


「次の方、お入りくださーい」


 従業員の声で、瑛太郎と紗耶はメリーゴーランドの柵の中に入った。



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