第5話 線香花火
祭りが終わって二週間が経った頃、隣町で恒例の大がかりな花火大会が催された。住民たちは再び浴衣を着て、日が傾くころから歩きだし、あたりが暗くなるころに到着するよう花火大会の会場に向かう。
浴衣を着た女子高校生の群れが、きゃあきゃあ言いながら瑛太郎に向かってくる。どん、と肩が当たってよろける。しかし向こうは気が付いていない。やれやれと額の汗を拭い、また歩き出す。
隣町の花火大会は有名で、毎シーズンテレビ番組に取り上げられる。今年も間違いなくすごい人出で、行けば戻ってくるのに倍以上の時間がかかる。そもそも祭りと同じで、一人で行ったところで楽しくもなんともないのだ。
まっすぐ家に向かっていた。
そのはずだったのに、はたと気づくと一本、道を間違っていた。
(ここは・・・あの家の・・・)
まっすぐ行けば、あの親子の家に繋がるわき道がある。無意識にこの道に向かっていた自分に瑛太郎は呆れた。確かに、もう一度、ひとめ見るだけでもと思っていたことは否めない。
だけどもしあのわき道に入ったとして、彼らが玄関先に出ているとは限らない。そうだったら、ただ通りかかっただけ、ということで済む。そうだ、通りかかっただけだ、と瑛太郎は自分に言い聞かせた。彼らも花火大会に向かっているかもしれない。今日はきっと母親も一緒に。瑛太郎はふらふらとあのわき道に向かって歩いた。
ほんの数メートル、ブロック塀を伝って進む。角を曲がればあの、こげ茶のドアと朱赤の屋根が見えるはずだ。
(・・・この匂い・・・)
夏の風物詩。わずかだが、確かに火薬の匂いがあのわき道の方から漂ってくる。
わき道に入って、瑛太郎は息を呑んだ。そこにはあの親子の姿があった。彼らはたくさんの線香花火を手に、楽しそうに談笑していた。今日はピンクのワンピース姿の
いないと思って踏み込んだ瑛太郎はあともどり出来ずに、その場で立ちすくんでしまった。
杏珠が気配に気が付いた。あ、と声を上げて立ち上がり、父親の肩をぽんぽんと叩く。父親は顔を上げ瑛太郎を認めると、ふわりと笑った。つられて笑った瑛太郎に、杏珠がぱたぱたとサンダルの音を鳴らして近づいてきた。
「はなび、やる?」
杏珠の手には、赤い紙が巻かれた線香花火が握られていた。視界の端で父親が立ち上がるのが見えた。いっしょにやろう?と杏珠は瑛太郎の左手を握った。彼と瑛太郎の視線が交差した。
「あの・・・・・・」
何と言っていいかわからないでいる瑛太郎に、彼は笑顔で答えた。杏珠はもう決まったとでも言うように、ぐいぐいと手を引く。
「お・・・お邪魔します」
しゃがみこんだ瑛太郎に、彼は数本まとめた線香花火を手渡した。火はライターではなく、ろうそくでつけるらしい。彼が火をつけた花火を杏珠に持たせる。そろそろと受け取った杏珠は、腕をいっぱいに伸ばして花火が火花を飛ばすのを真剣に見つめている。
きれい、とも、たのしい、とも言わず、ただただ真剣に火花を見ている杏珠。火が消えて、ぽとりと火薬が落ちると、おわった、と父親を見る。すると彼は次の花火に火をつける。その繰り返し。瑛太郎は自分が預かった花火に火をつけた。ジジジ、と音をたてて小さな火花が咲き始めたのと、杏珠の花火が終わったのがほぼ一緒だった。
杏珠に差し出すとうれしそうに受け取り、また真剣に火花を見つめる。
それから瑛太郎と杏珠の父親は、交互に花火に火をつけ、杏珠に手渡した。
束であった線香花火が最後の一本になった。瑛太郎が火をつけ、杏珠に「最後だよ」と告げた。わかった、と答えると、杏珠はひときわ真剣な面もちで火花がまるく飛び散るさまを、目に焼き付けていた。瑛太郎は線香花火の光に照らされた杏珠の父親の横顔を盗み見ていた。どうして自分はここにいるんだろう。そう感じながら、瑛太郎は彼の憂いのある横顔を見つめ続けた。
最後の火玉が杏珠の手から落ちた時、どーん、という大きな音と共に、隣町で始まった花火大会の最初の一発が夜空に広がった。
きれい、と初めて杏珠が言った。
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