第四章 始まりの終わり(10月~11月)

第26話 過剰

「違う! 魔王はいるんだ。いるんだ!」


 青年は、蹴り飛ばされたことで負った傷や痛みを感じていないのかすぐに立ち上がると声を荒らげた。


「ああもうそういうのいいから」


 也寸志は呆れたように言うと、再び青年へと近づきそのまま腹部を殴打した。

 青年はその場に倒れるが、也寸志は何の躊躇もなく馬乗りになりその顔面にを殴りつけ始めた。


「也寸志……」


 そして、涼はようやく青年がどうなったか理解が追いついた。青年に馬乗りになっているのは間違いなく也寸志であり、そんな彼が今までに見せたことがないような表情でただ頻りに青年を殴り続けている。


「後悔するぞ! 新しい魔王が誕生したその暁には」


 激痛が走ろうとも、視界がぼやけようとも、血が出ようとも青年は何も動じない。ただ、眼の前に高校生を諭そうとする。


「その文言、聞き飽きた」


 一向に話し続けるのを止めない青年に、ただでさえ也寸志は苛立っているというのに爆発寸前になるまでの怒りが溜まっていた。


「りょ、涼? 大丈夫か?」


 青年と也寸志の様子をただ一方的に見ることしかできなかった涼に、ようやく碧人が到着する。碧人も相当急いできたのだが、それ以上に也寸志が速すぎたのだ。


「うん、大丈夫……だけど……」


 涼は也寸志の方へと視線を向ける。

 涼が言いたかったのは、自分は大丈夫だが大丈夫でない人物がいるということだ。


「後悔……する……ぞ」


 一方の、也寸志の暴力を浴び続けた青年は悲惨なことになっていた。もはやまともに呂律が回らず視界も赤くぼやけている。それでも、眼の前の高校生を諭そうとして躍起になっている。

 もう一発、也寸志が殴ろうとしているとその手が止まった。


「おい、也寸志。もういいだろ」


 也寸志の手を止めたのは碧人だ。しかし、也寸志は碧人の手を振り解く。


「駄目だ。こういう輩は数回殴っただけじゃ元には戻らん」


「さすがにやりすぎだ」


 也寸志が過剰に暴力を振ってしまえば、さすがに正当防衛に抑えることは厳しくなる。だからこそ碧人は止めたかったのだが、也寸志は一向に気絶している青年を殴ろうとする。


「不審者はどこですか?」


 遅れてやってきたのは本職の警備員だ。


「ここです」


 碧人が答えると、警備員はやってきて青年を見て一言。


「うわぁ……。さすがにやりすぎですよこれは……」


 そこにいたのは血まみれで気絶している青年。


「そうですか」


 也寸志は何の後悔もなさそうな声でそう答えた。



 文化祭はそのまま実行されたが、さすがに警備が手薄過ぎたということで警備体制が大幅に強化され幕を閉じた。


「也寸志は謹慎処分となったよ。元々入場を制限していたのに、校長が生徒に勉強をさせないように門戸を開いたために起きたとあって来年は元に戻されるだろうな」


 文化祭を終えた翌日。放課後になって碧人は涼に会いに来ていた。しかし、空気は重い。

 也寸志は確かに涼から不審者を救ってくれた。しかし、青年は馬乗りになったといえど元々涼に暴力を奮うつもりはなく、ただの行き過ぎた宗教勧誘であった。そのため、執拗に顔面を殴り続けた也寸志の行動は過剰防衛とされ謹慎処分を言い渡されたのだ。


「そっか……」


 涼からすれば、どうすることもできなかった。

 あの事件の直後、警察沙汰となり別々に話を聞かれた。青年は黙秘を続けたために取り調べが進まず、結果的に也寸志と涼が長い間聴取を受けたのだ。終了時刻も別々だったため、あれ以来也寸志とは会っていない。


「お礼言いそびれちゃったな……」


 也寸志は身を呈して守ってくれたのである。お礼の一つ言うべきだろう。碧人も首肯し同意を示すが、とあることを思いついた。


「なら、お礼と同時に正体打ち明けてみたらどう?」


「え? なんで?」


 突然の提案に、涼は困惑した。


「涼だって、家族には話せないような話とかあるだろ? 気軽に話せる相手が俺だけってのもあれだし」


 碧人の言い分はわかる。けれども、涼はどうしても気乗りしない。


「でも……」


「助けてくれた相手に、嘘をつくのはつらいだろ?」


 理由を述べようとした矢先、碧人からプレッシャーがかかるような言葉がかけられる。

 見知らぬ人に嘘をついて心が痛むことは少ないが、見知った顔。その上かなり仲が良かった人物だ。心も痛む。


「……そうだね。わかったよ。お礼も兼ねて、全部言うよ」


 涼は決意を固めた。

 この姿で初めて碧人にあった時、家族にあった時に比べたらまだ不安は少ない。それでも、拒絶される恐怖がなくなるわけではないが。


「ならよかった。でも、也寸志謹慎中だからその後……は定期試験だ。試験勉強の前に少し間があるが、勉強に支障が出そうだな。それが過ぎたら……高認本番だ」


 何者かが涼が也寸志にお礼を言うのを邪魔するかのように、都合の良い日付がない。最も都合が良い日付といえば、高認が終わった11月の中旬辺りだ。


「じゃあいっそのこと高認終わった後にするか? そっちの方が気兼ねないだろ?」


 高認が終わってさえくれれば、多少なりとも涼としては肩の荷が下りる。


「……そうするよ。だからその前に、勉強しなくちゃね」


「ああ。じゃあ、とりあえず勉強するか」


 涼と碧人はともに勉強道具を取り出すと、長い間勉強し続けた。

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