第5話 人の悪意のカタチ2
5話 人の悪意のカタチ2
明らかに、現在の季節と、今いる場所の季節感が違い、さらに肌にかかる熱量、空気、耳に届く音までもが、非常に心地よく、先ほどまでいた自宅の境内とは似ても似つかない環境に信久は唖然とする。
そう思い、ふと背後にあるであろう鳥居に目をやるが、そこにわなにも存在せず、また道と呼べるものそのものが無い。
「未菜さん。どうやって帰るの?」
不安しかないが、それでも目の前の風景がそんな不安までも飲み込み、その穏やかな流れにすべてを溶かしてしまいそうな、そんな感覚に襲われ、まぁ良いかとも思ってしまう。
「旦那様、不安に思う事もあるかと思いますが。そちらの中身を、そこの泉にすべて流してみてください」
「いやいや、これ真っ黒だぞ。こんなの入れたらこの綺麗な水が・・・」
信久の進言に対して、有無を言わさぬというようなそんな態度で、ただ微笑む未菜に、「はぁ何言っても無駄そうだ」と内心で諦めて、腕の中のバケツをひっくり返して、泉の水へと流し込む。
黒々とした液体が、澄み切った無色透明な水に流れ、黒くなるかとも思われたが、そのまま無色へと変わり、泉の色や、入れた箇所が濁る事も一切なく、さきほどと同じような状態でそこにあった。
「なんだこれ、境内の土に落とした時は永遠と黒々としていたのに」
「こちらは言わば、自然の流れに、穢れを返して浄化し、循環させる場所でして。こちらに持ってくれば、私の社に付着などしなくなります」
「それならここ来た方が早かったんじゃない?」
まったく最もな意見を言う信久に対して、未菜はと言えば、そうなんですけどねぇ、と顔を引きつらせ、視線を逸らす。
どうやら来たくない理由があるらしい。
「何じゃ、数百年ぶりに顔を出したか」
「寿(ひさ) 様・・・ご、ご無沙汰しております」
「何がご無沙汰だ。私に連絡しないであれこれしよって、挙句の果てには長い間、私を一人にするなど、どういう了見だ?!」
大変美人な、髪の長い女性が、羽衣をまとい、おとぎ話の天女の様な出で立ちで、そこに居るのだが、着ている服は、なぜだか信久の学園の制服だ。
異様なのはその人には羽衣があったという事と、泉の上に素足で、まるでそこに地面がある様に立っていた事だった。
「え、学園の制服? ってかなにこの寂しがりやな女の子」
「ちょっ、旦那様何を!」
慌てて信久の口を未菜がふさぐが、すでに遅く、寂しいと言われた寿は、顔を赤くし、今にも殺さんとするかのような形相で信久を睨んでいた。
「ぷはぁ、何するんだ未菜さん。だいたい、今の会話のどこに寒しくないですっていう要素があったよ。私を一人にしてって言ってたじゃん」
「お、お主、言うに事欠いて、私が寂しい・・だと?!」
「違うのか?」
「・・・・」
あまりに信久が平然とそう聞くものだから、寿は段々と毒気が抜かれ、はぁ、とため息を漏らす。
「あ、あのぉ、寿様?」
「お主が悪いのだぞ未菜!」
そう言うと、寿と呼ばれた女性は、未菜に抱き着き、あろう事か泣き出してしまった。
「え、えぇとぉ。私どうしたらよろしいと思います、旦那様?」
「状況が分からんが。どうやら寂しかったらしいので、抱きしめてナデナデしてみれば?」
信久も、わけがわからなかったが、なんとなくだこの寿と呼ばれた人物が寂しい思いをしていた事だけは伝わってきたので、とりあえずそう言うと、「そうですね」と微笑んだ後、未菜はそっと抱きしめ、優しくその頭を撫でた。
数分ほどそうしていただろうか、急に距離を置くと、まるで今のは無かったかのように姿勢を正して、ごほんと咳払いをした。
「何をしに来たのじゃ?」
本当に、今までの振る舞いがまるでなかったかのような様に、少し笑いそうになるのを必死にこらえる信久に対して、未菜は深々と頭を下げて。
「穢れの浄化のために参りました」
「は? 貴方どういう事よ!」
「言葉どうりです。今の私は、眷属と同等か、それ以下ですよ」
「説明なさい・・・・」
信久にも何の話をしているのかさっぱりではあるが、今この2人の会話に割って入ろうものならば、この後どうなるか正直恐ろしかったため、黙って成り行きを見守る。
「私は土地神としての力をほぼすべて無くしております。なので、穢れ流しもできなければ、今ある穢れを払いのける事もかないません」
「その者は?」
そこでようやく信久に話が向けられたが、信久自身もなぜ自分が嫁入りする事になったのか、詳しく話してくれたようなそうでないような、曖昧だった状況に今更ながらに気が付く。
「彼を私の嫁としました」
「はぁ?! 何を考えておる、それは彼の魂が輪廻の輪から外れ、こちら側に永遠に囚われる事になるってことだぞ!」
「あのぉ、ナンノ話?」
話についていけず、思わず口をはさむ信久。
説明していないのかという、何とも言えない視線を寿は未菜に向け、未菜は慌てて視線をそらした。
そんな2人のやり取りが、信久の不安を煽ったのは言うまでもない。
「つまりお主、この者と死んだ後もずっと一緒という事だ」
「キイテナインダケド?」
信久はそう言い、未菜に視線を向けると、非常にバツの悪そうな顔をしながら、今度は信久からも視線をそらした。
「ほらぁ、旦那様はぁ、私のような可愛いお嫁さんと一生一緒に居られますよぉ」
「ご・ま・か・す・な!」
「だ、大丈夫、です、さ、先っちょだけなので」
「意味わからんわ。なんだその結局最後までいきそうなダメなセリフは!」
「し、仕方がなかったんですぅ、許してくだぁい」
未菜に涙目で懇願され、もはやどっちが上で下のかわからず、呆れて頭を抱えそうになる信久に、見かねた寿がため息とともに割って入った。
「私が説明しよう。神の眷属、つまり嫁入りするとだなぁ、簡単に言えば、眷属としてその魂は人の輪から外れて、神とともに歩むこととなるんだ。色々例外はあるがおおむねはそんな感じで、何千年と寄り添っておる元人間の眷属も少なくはないがぁ。了承を取らずに眷属にされたか?」
「了承以前に。お告げで社を尋ねたら、あれよあれよという間に、眷属?でいいのかにされてましたが」
やれやれぇ、といったように額に掌をあてて、寿が頭を抱えた。
「結局俺、何のために眷属に?」
「わ、私の助けになってもらうためなんです。私今、さっきも言いましたが神力を使えないんですなので、穢れを払えません」
「そもそもその穢れって何? 俺触っても大丈夫なの?」
信久が、今更ながらの素朴な疑問を投げかけてみると。
「えっとぉ、私よりは大丈夫なはずなのですが・・・それも含めて聞きたくてこちらに赴きまして」
そう言って未菜は寿に視線を向けると、寿がああそういう事かという様に、信久に近寄り、いきなり接吻をした。
「うぅ?!」
「ぷふぁ、ふむ、すごいなこやつ。一切穢れが無い、先ほど流していた穢れはこのものが集めていたのだろ?」
寿の躊躇う事のない接吻に動揺し、慌てふためく信久。
「ちょっちょ!」
「旦那様、少し静かにしてください。それでどうなんですか?」
(俺が悪いのか?)と見目麗しい美少女にキスされて、悪い気はしていない信久であったが、何とも納得のいかない怒られ方をしたので、やりきれない気持ちになる。
しかし、未菜の目と声音があまりに真剣なものだったため、信久は羞恥に身もだえつつも、こらえる事とした。
「問題が無すぎて怖いな。人の身でこれだけ穢れに体制があるのも珍しい。良い眷属を見つけたようだがぁ。本人は納得してなさそうだな」
そう言って寿に話を向けられ、先ほどのキスの感覚がよみがえり、慌てる信久を「かわゆいのぉ」などとおちょくりながら。
「なに大丈夫だ。どうやら仮契約の様な事にしてあるようだ。繋がりとしては薄い。おぬしが望めば、普通の人間に戻れるぞ」
「寿様!」
「なんだ、私は間違っていないし、おまえも少しは気が引けたからこんな中途半端な状態にしているのであろう? しかし、仮契約状態でまともに穢れを払い取ってきて、自分に穢れが付かんとは、よほど廻りが良いのだな?」
未菜は慌てながら、いつもより声音が数段上がり、怒鳴り声にも近い音量で寿を制止するが、上神という事もあるのか、それ以上は言えず、不貞腐れたようにそっぽを向いた。
「つまり、俺は今からでも望めば」
「ああ、人としての人生を歩める。しかしだ、おそらくだが、ここへの扉を開けたのも、多少なりとも未菜が動けているのも、今君が穢れを少しでも払ってくれたり、君そばに居るからこそできたことだ。
今君が眷属を止めるというのなら、この娘は今ここで私が引き取ろう、おそらく今のまま社に返しても何もできぬまま滅びるだけだしな」
「滅びるって・・・・」
「死ぬことだ。神も死にはする。死なないまでも、邪神になる事もある、穢れが払えないとは、穢れにのまれる可能性がある問う事だ。今のこの子には穢れを自分の体や、社から流すことが自力でできない状態だ。今のままだと、消滅はほぼ確定だ」
「もう一つ聞かせてください。昨日、穢れを払ったのに、その穢れが戻ってました。未菜は地面に流せば流れる、という解釈で良いのかわからないが、そういう感じだったみたいなのですが、これは・・・?」
信久がそういうと、少し考え、寿が未菜に視線を向けると「確かに戻ってきています、なのでここで浄化させれば戻らないと思い、開きました」と言った。
「未菜、その戻り方だとおそらく」
「ええ、間違いないかと思います。近くで、呪詛が使われたか、現在進行形で使われ続けているかの。そのどちらかなのかと思います」
また専門用語が出て、信久は説明を求めた。
「呪詛・・・人を呪う事をさすが、その方法は多岐にわたり、神が協力して神力を使い、望むものに不幸をもたらすこともある。おそらくだが、その戻りが早いのを見ると、どっかの神が関わってるのは間違いなさそうだな」
「あのぉ、初歩的な質問で悪いんだけど。呪詛と穢れって何の関係が?」
はぁ、そんな事も教えておらんのか未菜、と少し強い口調で寿は未菜を叱りながら、仕方ないというふうに信久に視線を向けた。
「穢れ、これは人の、負の感情で生まれる事が多いが、普通に生きていても出てくる。要は排せつ物の様に生れ落ちる。
しかし、穢れ自体はそこまで強くなければ蓄積されることなく、自然に溶けて消えてしまう。
だが、憎悪や妬み、恨みという強いマイナスの感情は穢れを膨れ上がらせ、実態を持たせたり、人に害をなすことが多く、さらにその穢れはその場にとどまり続け、永遠と人を苦しめ、さらに増幅していく、それを流し、正常な状態に戻すのも、神である私たちの仕事であり、土地神はその土地を守り、清め、より良い状態へと導くのが使命である」
「つまり、土地神である未菜は、清めるのがお仕事だけど、今それができませんよぉという状態で、さらには穢れが多く集まりすぎている、さらに言うなら、穢れが何らかの原因で強く発生している可能性がある・・・みたいな解釈であってます?」
そう信久が寿に尋ねると、目を見開き、驚きの表情をした後、未菜に視線を向ける。
「未菜、おまえとんでもない人間捕まえてきたな」
「はい、私の自慢の旦那様です!」
鼻息荒く、まるで自分の事の様に自慢げに語るので、流石の寿もこれにはたじろいだ。
信久はと言えば(これ何となくゲームとかアニメの設定に近い感じだから、当てはめてみただけなんだけどなぁ)と野暮な事を想いながら、決して口には出すまいと思いつつ、2人を見ていた。
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