Day5『秋灯』
音を立てないよう静かに灯をつけた。薄ぼんやりとした橙色の光が、膜のように手元に広がった。
それを待っていたかのように、階下から咳の音が響いた。肩を震わせ、階段を昇る音が響けば、すぐにでも灯を消そうと身構えた。しかしそれっきりだった。ホッとして、視線を手元の本に移す。
「聞いたぞ、お前、本をぎょうさん借りたんだって? ノートと鉛筆を恵んで貰ったんだって?」
秋の夜更け、一人きりの部屋なのに、あのゼェゼェと喘ぐような声が、すぐ近くで聞こえてきたように感じた。違う、この耳の奥で鳴っているのだ。
布団の上で寝ているしかない男の声が。痰が絡んでざらついた声が。そして、引き攣ったように笑うのだ。返事をせず、ただ正座をして黙っている私の顔を見ながら、濁った目で豚のように喚くのだ。
「馬鹿だなぁ、馬鹿だなぁ、馬鹿だなぁ!」
狂った機械のように単調に、しかし心からの嘲りを込めて、あいつは私を。
「お前みたいな奴に、一体何が出来るんだ」
パタン、と反射的に本を閉じてしまった。
体温が上がっている。胸がドキドキしている。そんな時、私は自分に向かって笑いかける。
大丈夫、大丈夫。何にも関係なんてない。私は私なんだから――。
そう、胸の内に言い聞かせる。けれど期待を込めて顔を上げると、暗い硝子窓に映っているのは、真っ青になった貧相な顔一つだけだった。
耳の奥に残った、あの痰混じりの汚い声と比べて、なんという現実感の無さだろう。私はもう一度笑う。自分への優しさから? 違う違う。あまりの無力感に、やるせなさに。
(だって、私に本当にそう声を掛けてくれた人なんて、ただの一人もいないのだから!)
喉の奥で笑いをかみ殺す。本の表紙をギュゥッと掴む。
秋の夜長をやり過ごすには、この灯はあまりにもか弱すぎる。
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