義父はストーカー

Meg

第1話 しつこい義父

 空が赤く色づいて、空気が冷たくなる。

 リビングの戸棚の上には、幸せだった頃の、自分たちの写真が飾られている。

 その前を、夫の健二はサッと通りすぎた。

 直子はスヤスヤ眠る赤ちゃんを抱え、不安を吐き出す。

 

「すぐ帰ってね。残業しないでね」

 

 健二はちょっと笑うばかり。

 

「俺がいないとそんなに寂しい?」

 

 呑気な夫は、直子が置かれた状況の深刻さに気づいていない。

 夫が去ってしばらくすると、案の定、インターホンが鳴った。受話器を取ったりはしない。

 画面に映る、色黒の禿げて太ったおじさんが、ブルドックみたいな口角を上げて、ニヤニヤ笑っているのを見たら。

 

「直子ちゃん、起きてるんだろ。お話ししよう」

 

 直子は部屋の隅に逃げる。

 

「あの日俺と話したいってあんなに言ってたよね」

 

 声も立てない。呼吸も止める。

 絶対に反応してはいけない。

 

ピンポンピンポンピンポン

ドンドンドンドン、ドンドン

 

 連続でチャイムが鳴り、玄関のドアが叩かれる。

 たちまち、寝ている赤ちゃんが顔を歪め、オギャアと泣き出した。

 直子は後ろを向くと、赤ちゃんを全身で抱き、できるだけ声の振動を抑えようとするが。

 

「あれぇぇ? 美苗ちゃんの声がするな」

 

 インターホンのダミ声は、大げさな口調で神経を逆なでしてくる。

 

「でも直子ちゃんも健二もいないなんてなぁ。大変だなぁ。警察に連絡しなきゃだなぁああ」

 

 降参だ。

 仕方なく、受話器を取り、一言、

 

「また明日お願いします」

 

 四角い画面の中のおじさんは、顔を真っ赤にして笑っている。


「まったねー」

 

   

 すべての間違いは、初めて義両親にあいさつをしに行った時、始まった。

 夫の健二の実家には、彼の姉が住んでいて、案内されたリビングで、すれ違いざま会釈をした。

 彼女は横柄な人で、あいさつは堂々と無視された。

 少し傷ついていたら、お手洗いに行った健二の代わりに、禿げて太った義父が、まばらな眉を下げ、慰めてくれた。


「すみませんね。あいつは行き遅れで。あなたが羨ましいんでしょう。お茶淹れます」

 

 第一印象は、優しそうなおじさん。

 

「私なんて自分が透明人間になったみたいで。まあこんなナリですし、仕方ないですよね」

 

 家族に無視されているなんて、ちょっとかわいそう。

 

「いえ、そんな」

「あなたみたいな若い方も、僕みたいなおじさん嫌でしょ。ハハハ」

 

 笑っているより、泣いているような声だった。目も捨てられた子犬のようだし。

 

「そんなことないですよ。年齢を重ねた魅力があるじゃないですか。私、そういう人素敵だと思います」

 

 慰めの社交辞令のつもりだった。

 義父の目が、ギラギラした光を帯びた瞬間を、昨日のことのように覚えている。

  

 

 

 後悔の記憶に浸りながら、美苗のおしめを変える。手足をジタバタさせ、オギャオギャ泣く赤ちゃんには、大人の事情なんて関係ない。

 しかしながら、問題が一つ発生したのに気づく。

 

「あ、ヤバい。おしめもうないじゃん」

 

 買い物に行かなくちゃ。でも……。

 カーテンの隙間から、恐る恐る外をのぞいた。

 家の周りを、義父がウロウロ歩いている。

 やっぱり。毎日ああなので、しばらく買い物に行けてない。

 通販でもいいのだが、おしめはすぐ手に入らないと困る。

 そこでスマホを取り出し、実家の番号にかけた。着信履歴に、義父の番号がズラッと並んでいたが、もちろん無視する。

 番号を入力し、電話ボタンを押すと、

 

『はい』

 

 母の声がする。


「美苗のおしめ買ってきてくれない? 今すぐ」

 

 母は「はぁ?」っと間抜けな声をあげた。


『私がどこに住んでると思ってるの? 2時間はかかるよ』

「お願い。交通費は出すから」

『いい加減、親を頼らず自立しなさい』

 

 プツッと電話が切られる。

 谷底に突き落とされた気分だが、状況は切迫している。健二にも電話をかけた。

 

「もしもし。すぐおしめ買ってきて」

『出張で3県を跨いでるんだぞ』

「でもお義父さんが外にいて」

 

 夫はウンザリしたように、

 

『適当にあしらえばいいって言ったろ。俺忙しいから』

 

 プチンと電話が切られた。

 地獄の底で蜘蛛の糸を切られるのは、こんな気持ちなんだろうな。

 近所のママ友たちにも電話をかけるが、誰も応答してくれない。みんな忙しいし、寝てる人もいる。

 美苗のギャン泣きが、次第に大きくなる。

 誰にも頼れないのを悟った。

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