第46話

「……もういい」


どのくらい時間が経っただろうが。

ハンス王子が、呆れたご様子でわたくしの言葉を止めた。


案外早かったわね。困ったわ。他に何を話そうかしら。


わたくしが話そうとすると、ハンス王子の手から見た事のある黒い靄が出てくる。靄はどんどん大きくなりわたくしの周りを取り囲んだ。


「……最初からこうすれば良かった。どいつもこいつも意思が強そうな目をしていた中、あの王太子だけが不安そうにエリザベスを見つめていた。だから選んだ。けど、案外使えない。王太子なら兄上みたいにやりたい放題だと思ったのに」


「権力のある方は責任も伴いますからね。勝手な事は出来ませんわ」


「そうらしいね。お堅い国だよ全く。利用価値ならアンタの方がある。アンタを奪えば、あの熊は何も出来ない。人間、誰でも闇はある。アンタだって、少しくらい夫に不満があるだろう? 僕の操り人形になってよ。もう知られてるから言っちゃうけど、僕の魔法は不安がある人ほど操るのが簡単なんだよね。ただねぇ、あんまり複雑な事は出来ないし、操るヤツが嫌がる命令は難しいんだ。僕があそこでボッーとしてる男にした命令は、アンタをここに連れて来い。だよ。本当は乱暴でもしてやれって思ったんだけどね、無理だったから諦めた」


「……そんな事したら……」


「あの熊は、怒るよねぇ。出来ればそうしたかったんだけど、駄目だったよ。色々命令して、ようやく受け入れてくれたのがここに連れて来い。だったんだよね。魔法には掛かってるのに、意思が強くて嫌になるよ」


「なぜ王太子殿下はわたくしを相談役にしようとしたのですか?」


「命令した事をどうやって達成するかは個人でバラバラ。だから、アンタを連れ出す理由はあの男が勝手に考えるんだ。歪んでるからめちゃくちゃな行動は取るけど、本人の潜在意識にある願望が表に出る事が多いよ。例えば、城に侵入しろって命令しただけなのに出会う人を全員惨殺するヤツも居るし、こっそり侵入するヤツも居る」


「ただ城に侵入しろと命じただけなのに、わざわざ惨殺するような人間は心の内にそのように振る舞いたいという願望があるという事ですか?」


「そゆこと。やっぱりアンタは賢いね。辺境に居るなんて勿体ない。だからアンタがエリザベスの側にいて欲しいって王太子は思ったんだよ。王太子はね、エリザベスとの間に子が生まれない事に悩んでたんだ。お優しい国王や王妃は何も言わなかったけど、結構色々言われてたみたいだよ。妾を取れ、とかね」


「なんて無礼な事を言うのでしょう……! 許せませんわ」


「アンタはさ、あれだけ熊に溺愛されてんのに子どもが居ないでしょ? だから、エリザベスは焦ってなかった。2年も先に結婚したアンタ達に子どもが居ないんだからね。アンタ達は跡取り候補がもう居る気楽な立場だから良いけど、王族はそうはいかない」


確かに、カールの子が辺境伯を継ぐ事は可能だ。カールに子どもが居るからか、わたくしは一度も子を産めと言われた事はない。


「国王の子は王太子だけだからね。えっぐい貴族達に妾を取って子ども作るのが正しいって言われてたよ。僕が来訪した時に、こっそりぶらぶらしてたらたまたま聞いちゃったんだ。あの様子は、何度も何度も言われてるなって分かった。アンタが慌てて城に来るちょっと前だよ。最初はアンタを狙ったけど、熊にベタ惚れで無理だったから……あの男を操る事にしたんだ」


「単に自分の娘を妾にしたいだけでしょうに。側妃は法律で認められておりませんし、妾に地位も権力もありません。たとえ子が生まれても継承権はありませんわ。そんな事も知らないなんて、貴族失格です。それに、王太子殿下は妾を欲しがるような方ではありませんわ」


「そ、真面目ないい子ちゃん。エリザベスだけを愛してる王族としては無能な男。けどね、アンタ達みたいに子が生まれなきゃそれはそれで仕方ないって割り切れてる訳じゃない。不安なんだよ。エリザベスを裏切りたくない、でも、王族の務めもあるってね。だから茶会の後に2人になった時に言ってあげたんだ。あんなに仲が良ければ、辺境伯にお子が生まれるのもすぐでしょうね。そうなれば、エリザベス様もお喜びになられるでしょうね……いや、焦られますかねって。アンタとエリザベス、親友なんだって? 親友に子どもが生まれたら、きっとエリザベスも焦る。女って周りが変わると引き摺られるように変わるからね。生涯独身が良いって言ってたのに、友達が結婚しただけで焦って結婚を迫ってくるようになる。だからさ、ちょっと傷を抉ってやったの。そしたらようやく魔法にかかってくれた。エリザベスやアンタは、何度操ろうとしても夫を信じきっていて操れなかったけど、王太子は思ったより簡単だったよ。ちなみに、アンタの夫に僕の魔法は効かない。てか、辺境伯の兵士達全員無理。戦場で操れれば簡単だからって兄上に無理矢理前線に立たされたけど、誰も魔法が効かないんだよ。おかしくない?! 普通戦争なんて不安になるもんだろ?! 新人兵士まで真っ直ぐな眼をしちゃって! 異常に強いしさ! アンタらなんなの?」


「兵士達は常に訓練を欠かしません。人を操るなんて、そう簡単に出来ませんわ」


「そうみたいだね。ま、もう良い。アンタを連れて来た時点でこの男は用済みだ」


そう言って、動かない王太子殿下を蹴ろうとした。わたくしは王太子殿下の前に立ち、止める。


「おやめください」


「ちっ……。アンタにはまだ利用価値がある。傷なんてつけたらあの化け物が激昂する。それじゃあ、交渉にならない」


なるほど。確かに生きて攫われるのは利用価値があるからね。まさか、2回も攫われるとは思わなかったけど。


「でしたら、おやめいただけますわよね? 僅かでもわたくしが傷つけば、夫が黙っていませんわよ」


「ちっ……。もう話すな。僕を見るな!」


大きな黒い靄がわたくしの周りに広がり、わたくしを包み込もうと迫ってくる。


だけど、黒い靄はわたくしに近寄れない。


「なんで! こんな所に連れて来られたら不安だろ?! なんで操れない!」


「さぁ、何故でしょうね」


このブレスレット、恐ろしいくらい効くわね。バレないように服の中に隠して良かったわ。


「なんで! アンタに不安はないのかよ!」


「ありませんわ」


「……は?」


ハンス王子が、キョトンとしておられる。どうやらハンス王子の魔法は不安がある人しか操れないみたいね。こんな所に攫われれば、わたくしが不安がると思ったのでしょう。


わたくし、そんなに弱くありませんわ。


「わたくし、とっても満たされておりますの。先ほど、少しくらい夫に不満があるだろうと仰いましたけど、フレッドに不満などありません」


「ちょっとくらいあるだろ。父上も母上も、いっつもお互いの悪口を言ってる。兄上も、姉上も……使用人達だって陰口のオンパレードだ!」


「ハンス王子のご家族はそうなのですね。ですが、そんな人ばかりではありません。世の中には、お互い支え合い、笑顔の絶えない家庭もありますわ」


「そんなもんあるか! 誰だって自分が一番可愛い。良い子ぶるのもいい加減にしてくれ!!!」


ハンス王子が叫んだ瞬間、わたくしを包もうとした黒い靄は方角を変え、ハンス王子を包み込んだ。

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