ノンマッチング・ラブ
踊り場で涙目
第1話
昔、私は男に生まれたかったと願っていた。女は目に見えないところで損をしていると思ったからだった。女性専用車両、レディースデイ、目に見える与えられたものには大したメリットを感じなかった。だが、これは何だ? 明らかにメリットではないか。
『男女マッチングアプリ ラッブル 月額料金 男性三千円! 女性無料!』
なんだこの差は。よく、男性陣はこれで謀反を起こさないものだ。だが、そもそも男性の三千円というのも、安いのか。合コンに一回行けば、一人あたりの負担はそれよりも多いはずだ。そう考えると男性でも安い。異常なのは女性の無料だ。これなら、旦那がいる妻も気軽にやってくれと言ってくれてるようなものだ。そう、旦那とセックスレスになってもうすぐ一年が経過しようとしている妻も。
いつからだろうか。
旦那に身体を触られることに拒否感を示すようになったのは。二年前くらいか。そうだ、そのころから旦那を「臭い」と思うようになった。と言っても、旦那が二年前を皮切りに突然臭くなるはずはない。徐々に、臭く感じるようになったはずだ。そして、旦那はまだ三十代前半。加齢臭が来るにはまだ早い。
つまり、私の中の旦那への嫌悪感が、彼から臭みを感じさせている原因なのだろう。たぶん、嫌悪感を抱くことで、脳で臭みを感じる物質が作られて、それを私自身の内部で勝手に感じているだけかもしれない。もしくは、単純に彼は元々臭い体質で、出会った頃はそんな臭みもベルガモットの匂いのように錯覚していたのかもしれない。
まぁ、どっちにしろ、今は彼に触られたくないし、触りたくもない。
この間、マミに旦那の嫌いなところベスト3を教えてくれと言われた。私はものの二秒で発表した。三位は感謝と謝罪をしなくなったこと。二位は結婚してから口数が減ったこと。一位は休みの日、家事もせずソファで寝転がってスマホばっかり触ってるところ。もう、ソファとスマホも身体の一部かよ、と言いたくなるくらい三位一体の状態で彼らは動かない。放っといたら朝から晩までその状態だ。家事を一つでも頼もうものなら、ゆっくり立ち上がり普段の二分の一倍速で移動し始める。それを注意でもしようもんなら「やる気なくなった」と一言。舐めてんのか? あいつ。お前にやるか、やられるか決める権利なんてないんだよ!
と、言ってやりたい。
それに引き換え、新婚のマミはノロケがシャツの袖とスカートの裾から漏れ出ていた。マミの結婚相手は中学の同級生のヒロテルくんだった。しかも二人はずっと付き合ってたわけでもなく、同窓会で久しぶりに会って意気投合したわけでもなく、なんと家電量販店でマミが冷蔵庫を買いに行ったら、説明してくれた店員さんがヒロテルくんだったのが出会いとのことだった。そんな偶然あるのだろうか? きっと結婚式で、司会のしっかりした女が馴れ初めを言うときには「冷蔵庫は冷え冷えでしたが、二人の仲はそのときから熱熱だったのでしょう」とでも言うに決まってる。あー、行きたくない。
心底、羨ましい。
同級生と結婚できるなんて、羨ましい。だって、運命的じゃん。紹介も合コンも運命値が足りないのよ、運命値が。しかも、なんか、いいよね。子供時代のあの小さかったときを知ってる人の、大きくなって、大人っぽくなった姿と愛し合えるなんて。
あー、私だって、同級生の男子と愛し合いたい。なんで私、結婚してるのに、今更同級生と愛し合いたいとか思ってるんだろう。マミへの嫉妬かな。いや、違うわ。きっと、私がこれまでの人生で同級生と付き合ったことが一度もないからだわ! そうよ、人は三十歳で一つの区切りを感じるとともに、後の人生を考えたときに焦りの感情が芽生える。残りの人生で、今までやったことないことを体験できるかな、って焦りが出てくるのよ。私にとってそれが同級生とセックス……いや、愛し合うということなのよ!
そうと、決まればさっそくこのマッチングアプリに登録、登録と。どうせ、無料だし。どうせ、旦那はソファとスマホと一体化してて気付かないし。
えーと。ニックネームは、うーん……エミリでいいか、本名だけど。年齢も嘘言っても仕方ないよね、二十九歳と。はぁ、今年の秋で私も三十路か。で、趣味は……ないよねぇ……まぁ、無難に買い物と映画鑑賞と。映画なんて二年くらい映画館で観てないけどね。え? 未婚と既婚のステータスもいるの? まぁ、これは流石に未婚にしとこうか。いや、嘘はまずいかな。いや、大丈夫大丈夫。私は一時だけ同級生と愛し合うだけなんだから。長期戦にはしないから大丈夫。
あっ! そっか、顔写真も入れないといけないのか。駄目じゃん、私の正体バレちゃうじゃん。正体知らずに会ったら、結果的に同級生だったってのがベストよね。だって、最初から同級生狙ってるのって気持ち悪いし。よし、ネットで美人の画像拾って載せるか。いや、駄目だ。あっちが私に会ったときのガッカリが強くなる。うーん……中学の同級生なんて、十五年くらい前の状態で止まってるんだから、化粧したらあっちはわからないんじゃないかな? ほら、女性は化粧で変わるって言うしね。よし、そうしよう。
私は、その後二時間かけて本気のメイクをした。かと言って、メイクで盛ってるのがバレない程度の盛りメイクである。念の為、名前は「カオリ」という偽名を使うことにした。名前なら、あとでどうとでも言い訳がつくし、免許証を見せ合うわけでもないからバレない。ベストは相手の同級生が私の正体に気付かず、私は正体を明かさずに相手が誰だかわかっているという状態。
よし、これだけ化粧したら、あの清純だった時代のエミリちゃんしか知らない男どもは、私の正体に気が付かないでしょう。
さて、物件探し始めますか。同級生を見つけるには、まず同じ出身県を選んで、同じ年齢の二十九歳から三十歳を選ぶ。うーん、出身の市は選べないし、出身中学も選べないのか。こりゃ、一筋縄ではいきそうもないわね。こんな大量の中から同級生を探さないといけないのか。日が暮れそうね。しかも、どいつとこいつも、本名じゃなくニックネームだからKentaやら、あっくんやら同級生かどうかなんて分かりづらいったらありゃしない。まぁ、偽名の私が言えた義理じゃないけど。まぁ、いっか。適当に良さそうな男がいたら覗いてみるか。
同じ県の同じ時代に生まれた色とりどりの男たちをスクロールしていく。センター分けがいる。坊主もいる。赤髪もいる。禿げもいる。よく見たら禿げもいる。サイド刈り上げは半分以上いる。この世は刈り上げ天国だ。刈り上げ一味の一人に見覚えのある顔がいた気がするので、詳しく見てみる。
『はじめまして! ユウイチです。職場に出会いがないので、思い切って始めてみました! 仕事に趣味に毎日忙しくしています! 趣味はサーフィンにスカイダイビングにフットサルです! あと、美味しいもの食べにいくのも好きなので、ぜひ知ってたら教えて下さい!』
なんだよ、これ。そもそも、職場に出会いがないとか、知ったこっちゃねえよ。それに何? 趣味がサーフィンに、スカイダイビングに、フットサルって、陸空海全部網羅してるじゃねえか。職場、軍隊か? そりゃ、出会いもないわ。でも、顔はカッコいい。正直、好き。いや、ダメダメ。私の当初の目的忘れてるじゃない。この男は同級生じゃない。ユウイチって名前の子はいたかもしれないけど、この子は違う。よし、次次。お、この子もカッコいいな。名前はレン。
『はじめまして! 職場に出会いがないのと、友人に勧められたので始めてみました! 使い方がよくわかりません! お肉が好きです! よろしくお願いします!』
なんか、頭悪そうだな。そもそも、このアプリやり始めた理由、職場に出会いがないからなのか、友達に勧められたからなのか、どっちなんだよ。というか、そんなに言い訳まみれじゃないと、始めるの恥ずかしいのか? そもそも、皆なんで始めた理由の説明から入るんだろ? 就職面接の志望理由じゃあるまいし。そういう、テンプレでもあるのかな? そのわりには、肉が好きだって言うの、唐突だしな。「わかりません!」のすぐあとに「肉好きです!」は意味わからんわ。でも顔はカッコいいし、身長は百八十あるのか、最高だな。いやいや、ダメダメ。この子も同級生じゃない。「レン」なんて、今どきな名前の子はいなかったな。はい、気を取り直して次次。
私はまた一覧に戻った。よし、もうイケメンを見つけるたび中を覗きにいってたらキリないわ。じっくり、顔写真見て同級生の誰かに似てないか見てから、中を覗きにいこう。
また一覧を見ていると、見覚えのある顔を見つけた。しかも、最近見た顔な気がする。名前はTeruと書いてある。まさか? そうだ、マミの旦那のヒロテルだ。この間、マミに写真見せてもらったところだから、記憶が新しいんだ。
私は迷わず、中を覗きにいった。胸は弾んでいた。
『こんにちは! 出会いがないので始めてみました! 素敵な出会いがあると嬉しいです! 好きな乗り物はヘリコプターです! 彼女ができたら、ヘリコプターに乗って夜景を観覧するのが夢です!』
私は一旦画面から目を離して、マミの家がある方向を見て、敬礼をした。「お疲れ様」という意味合いだ。ヒロテルは学生時代、私とはほとんど絡みがなかったから知らなかったけど、こんな変な文章書く浮気男だったとは。「ヘリコプターで夜景観たい」に繋げるために無理やり好きな乗り物聞いてるから、超不自然だし。「乗り物」って、小学生じゃん。さらにステータスを見ていくと、既婚ではなく未婚になっていた。また、マミの家の方角に深く敬礼をする。マミ、あんたはハズレくじを引いたみたいだよ。久しぶりに私は旦那がまともな人間に見えた。
これ以上ヒロテル、いやTeruのページを見るのは忍びない気がしてきた。私はまた一覧に戻った。まさか、最初に見つけた同級生が新婚ホヤホヤのマミの旦那だとは。ついてるのか、ついてないのかよくわからない。ただ、貴重な情報を得れた気はした。
他にはいないのか、同級生、同級生。サムネイルに、もったいぶって横顔しか載せてない人もいるし、ラーメンの写真の人も漫画のキャラクターの人もいるし、中々探すのが難しい。そもそも、同級生なら誰でもいいというわけではない。上坂、和多田、木部の不潔三人衆とかは論外だし、斉藤、山村、吉嶋の卓球部芋洗三人衆も嫌だ。そう、実は私には心の中に「この人だ」という想い人はいた。瀬良くんだ。瀬良エイジくん。エイジとエミリ、ちょっと響きも似ているし。当時から私は瀬良くんが遠いところで好きだった。もちろん、ほとんど話しかけたことはない。瀬良くんはクラスの中心グループにいて、ルックスも良くて、スポーツは出来て、クールな雰囲気だけど話してみると結構素朴で優しい感じだった。期間限定のハンバーガーの話をした記憶がある。私が教えたハンバーガーを「美味しそうだね」と言って、笑ってくれた。瀬良くん。いないよね、まさかこんな有象無象の中に。瀬良くんだったら、横顔でもわかる気がするんだけどな。
私が妄想の世界の瀬良くんに想いを馳せていると、ラッブルから通知がきた。
『ユウイチさんから、あなたにいいね! が届いています。ぜひ返しましょう。いいね! をし合うとマッチング成功となりメールを送れるようになります』
なに? ユウイチ? まさか、私がさっき足跡を残した軍隊男か? うわ、そうだ。陸空海の趣味を持つソルジャー、ユウイチだ! こんなに早く足跡踏み返してきて、いきなりいいね! 押してくるのか。どこが「毎日忙しくしてます」だよ。でも、どうしよ? いいね! 返したほうがいいのかな。でも、顔はカッコいいと思ってたけど、なんか嫌だな。ガツガツしてるのが漏れ出てる感じが。いや、駄目だ。そもそも、こいつ同級生じゃないし。
そのとき、また通知が来た。
『Teruさんから、あなたにいいね! が届いています』
えーー? ヒロテルが! なにあいつ、マミがいるのに、友達の私にアプローチしてきてるの? キモい、キモい、キモい。キモい……けど、なんか気になるわね。というか、私ってもしかしてモテてる? 意外と全然通用するじゃん。プロフィールとかも、適当に書いただけなのに。ちょい盛りメイクがイケてたのかな。
よし、いいね! 返してみようか。ゴメン、マミ。
私がヒロテルにいいね! を返すと「マッチング成立」の文字とともに、画面からはみ出すのではないかというくらいの大きなハートマークに現れた。祝福されている気分だった。そして、大丈夫なのだろうかと不安になる。もし、ヒロテルと会うことになったら、彼は私の顔に気付かないだろうか? たぶん、マミは私の写真なんて見せてないと思うのだが。まぁ、万が一見せてたとしても、名前が違うし、出身地も偽っておけばまずバレないだろう。メイクもさらに盛って、服装もエキゾチックにしていこう。いや、それもまだ気が早いか。まだマッチングしただけなんだし。
すると、また通知が。
『Teruさんからメールが届いています!』
早いな、行動が。でも、なんだろう。このワクワク、ドキドキした気持ち。久々だわ。これって、久々に異性とやり取りしてるからなのかしら。それとも、友達の旦那が相手だからなのかしら。でも、どっちでもいいわ。たぶん、私ヒロテルくんのこと、結構好みだったのよね。瀬良くんほど、華はなかったし、ギャップみたいな萌え要素もなかったんだけど、髪質が私の好みだし、なんかちょっと天然系なのよね。喋ってると、癒やされる感じとか。好きな乗り物をプロフィール欄に書いちゃう感じとかも、完全にそれだもんね。
期待に胸を膨らませてメッセージを開封してみる。
『カオリさん、はじめまして。いいね! 返してくれてありがとうございます! カオリさんとは、趣味が合いそうだなと思い、いいね! させてもらいました。カオリさんの飾らない雰囲気も素敵だな、と思っています。よければ、ぜひお話させてください』
なんか、すごいテンプレ臭がするわね。私、人事部だったらこの候補者落としてるわ。そもそも、趣味が合うって、私の書いた買い物とか映画なんて、全国の人間が普通に定期的に行くでしょ。よし、ちょっと意地悪で掘り下げてみよ。
『Teruさん! こちらこそ、よろしくお願いします! 映画とか買い物好きなんですか! 一緒ですね、映画はどんな作品が好きなんですか? 理由も一緒に教えて下さい』
よし、送信と。ふふ、エセ映画ファンが一番聞かれたくない質問をしてやった。ちょっと理由まで聞くのはやりすぎたかな。試験感がでちゃったかも。
すると、数分後メールが帰ってきた。今までの連絡ペースよりは遅かった。彼なりに悩んだのだろう。
『よろしくお願いします!
えーと、好きな映画ですよね。最近、忙しくてあまり観に行けてなくて。でも、コナンの劇場版は好きで、結構観てますね。理由は、そうですね、コナンが活躍してるのが魅力的だからですかね?
ところで、カオルさんは好きな動物なんですか?』
こいつ、絶対映画好きじゃないだろ。たぶん、コナンも大して観てなさそうだし、すぐ話そらしてるし。好きな動物……うーん。考えたことないな。適当でいっか。
『コナンが活躍してるの、魅力的ですね!私も結構観に行きます! コナンのどの作品が一番好きなんですか?
えーと。好きな動物ですよね、ペリカンですかね』
ちょっと、コナンのことで追求しすぎたかな。でも、焦ってウィキペディアとかで調べてるの想像したら面白いんだよね。送信、と。
今度はさらに時間があいて返ってきた。
『コナン好きなんですか! じゃあ、今度一緒に観に行きませんか? コナンの作品はどれも好きで、一つに絞れないですかねぇ〜。でも、どちらかと言えば初期のほうが好きですかね。
カオルさん、好きな色は何色ですか?』
なんで、コナン一緒に観に行くことになるんだよ。強引にも程があるだろ。コナンって、そんな釣り針の役割果たすの? 名探偵じゃなかったの? 『名釣り針コナン』なの? あと、私のペリカン回答無視してるあげく、また質問してきてるのはいいんだけどさ。さっきは好きな動物で、今回は色って……私のこと幼稚園児の姪っ子だと思ってる?
ただ、それからも私はヒロテルくんとやり取りを何日間か続けた。そして、本当にコナンを観に行くことになってしまった。どこかで、やめなければと思ってはいたが、久しぶりに恋愛のアクセルを踏むのは気持ちよくて、ブレーキは作動しなくなっていた。ヒロテルくんと、やり取りをしてるときは、旦那に対して今までほどマイナスな感情は出てこなかったし、マミには申し訳なさからか、心の嫉妬は消えた。
そして、デート当日。私は今まで着なかったエキゾチックな服装に身を包み、旦那が見てもわからないくらいに化粧をして、家を出た。旦那がソファスマホ民で良かった。化粧して、いつもと違う服装で家を出ていく私を見もしない。「友達と会ってくる。晩には帰ると思う」これだけで十分だった。休みの日とはいえ、晩御飯を作らないと、この男は機嫌が悪くなる。自分で作ればいいのに。まぁ、こっちもヒロテルくんと、初日から晩御飯一緒に食べるのはハードル高いだろうしね。なにしろ、彼にも家庭があるし。
ヒロテルくんとの待ち合わせ場所に向かう道中、ビルの窓に映る自分の姿を見ると、ニヤけていた。あ、やっぱり私かなり楽しみにしてたんだ。着ていく服も昨日のうちに部屋の床に並べておいたし。気合も入っていたんだ。心にねじりはちまきを巻いていたような気分だった。
そして、待ち合わせ場所の駅近の旅行代理店前には時間の十五分前くらいに着いてしまった。どうしよう、どこかで時間を潰そうか。こんなエキゾチックな女が十五分も男を待ってたら、周りの人も気持ち悪がるよね。私は適当にあたりをプラプラと練り歩いた。通り過ぎる人の視線を感じる。不思議と悪くない気分。そうか、私に足りていなかったのは、人から見られるということだったのよ。旦那と結婚して早三年、いつの日かあの人は私を見なくなった。私が求めていたのは、優しさでも思いやりでも体臭のしない身体でもなかったのよ。視線よ、視線を私は求めていたに違いないわ。視線の風を浴びていると、あっという間に十分が過ぎ去った。そろそろ、待ち合わせ場所に行かなきゃ。
本日二度目の旅行代理店前に到着すると、まだ、ヒロテルくんは来てなかった。なんだ、まだ来てないの。もしかして、私騙されてるんじゃ? そう疑心暗鬼になっていると、向こうからヒロテルくんらしき男がやってきた。どんどん近づいてくる。たしかにあれはヒロテルくんだ。ただ、彼の隣には女がいた。その女はマミだった。
「よくもまあ、ノコノコとやってきてくれたわね、エミリ。いや、カオリって言ったほうがいいかしら?」
マミのその言葉に私は何も反論できないでいた。身体も小刻みな震え以外は動かなかった。ヒロテルを見ると、申し訳無さそうな顔をしている。
「ごめん、騙すつもりはなかったんだ」
ヒロテルが今にも消えそうな声で謝罪をしてくる。やめてくれ、情けなさに拍車がかかる。
「よくもまあ、そんな派手な服着てきて。なに? 今から外国人オーナーが経営してるオイスターバーでも行くつもりなの?」
マミの煽りに、私はなんとか反応した。
「……な、なんでこんなことを?」
「なんで? 決まってるじゃない。あなたみたいな裏切り者をあぶり出すためよ。結婚したら、今までほど自由な時間がなくなるでしょ? だから、遊ぶ友達も厳選したほうがいいと思って。そしたら、まず切るのは私の旦那にちょっかいかけるような女よね。だから、ヒロテルにラッブルに登録してもらって、私の友達がいたらアクションかけて、それにのってくるかどうかを見ていたの。まさか、既婚のエミリが釣れるとは思わなかったけどね。なに? やっぱり旦那のことが嫌になっただけで、女はまだ捨てたくないってわけ?」
屈辱のあまり、私はまた何も言い返せないでいた。自分の着てきたドレスの柄の赤色よりも、自分の顔が赤く染まっている気がした。
「あー、あと、エミリってあんな感じで男とメールするんだぁ。興味深かったわ」
そうか、私へのメールの返信がタイムログがあったのは、マミが目を通してたからなのか。きっと、私のペリカンの件とか見て、笑ってたんだわ。悔しい。
気付けば私は帰路を一人で歩いていた。どうしよう。こんな格好で、むざむざと昼間に家に帰るの恥ずかしい。旦那に「早かったじゃん?」とか言われたらどうしよう。いや、それすら言ってこないかな、興味ないだろうし。
数時間離れただけなのに、外から自分の家を見るとやけに懐かしく思えた。恐る恐る玄関の鍵を開ける。なんとなく、時間をかけて靴を脱いだ。
咳払いを一つして、リビングに入る。そこには、私が家を出る前と何一つ変わらない姿勢の旦那がいた。やはり、この男に限って浮気の心配はなさそうだ。無気力にソファの上でスマホをいじっているのが何よりの幸福なのだろう。
「ただいま」と声をかけたが「ん? おぉ、おかえり」とだけしか返ってこなかった。たしかに、こんなに早く帰ってきた理由を聞かれるのも嫌だったが、それにしても何も聞かれないのも不快だった。
私は、逃げるように自分の部屋に入り、エキゾチックな今日の装いを脱ぎ捨てた。いつもの上下ネイビーの部屋着に着替えると、気持ちも少し落ち着いた気がする。しかし、マミへの怒りと自分の情けなさは、まだしぶとく残っていた。そんな落ち着かない心境でいると、スマホから通知が着た。また、ラッブルからだ。もうラッブルのラの字も見たくないのだが、渋々確認する。
『ユウイチさんからいいね! が届いています!』
ユウイチ? どこかで見たことある名前だ。画面を確認すると、思い出した。そうだ、あの陸空海の趣味を持つ男だ! 趣味の上げ底感と『美味しいところに連れてってください!』という女子感が嫌で、忘れていたが、よく見るとやはり顔はタイプだ。それもそのはず、サムネイルの顔が好みだったので、このラッブルを始めてから最初に見に行った男だったからだ。
ヒロテルくんのことで意気消沈していたからか、なぜか今度はユウイチのことが魅力的に思えた。しかも、あちらからマッチングをしようとしてきている。私は、すぐにいいね! を返し、今度は自分からメールを送った。とにかく、ヒロテルくんのことを忘れたかった。
今日は土曜日で休みのはずなのに、ユウイチくんはすぐにメールを返してくれた。多趣味の割に、意外と暇してるのかもしれない。それとも、あの趣味はやはり嘘なのだろうか。メールのラリーは快調に続いた。よかった、捨てる神あれば拾う神もある。しかも、ユウイチくんとのメールは初めてとは思えないくらい息が合った。
楽しい。そう思い始めた、夕方頃だった。嫌な予感が私の頭を駆け巡った。いや、そんなわけはない。いや、あってたまるか。だが気になったので、もう一度ユウイチくんの顔写真を見る。そんなわけない。だが、残念なことに確証がない。私は一階に降りて、リビングのドアを開けた。まだ、旦那はソファに寝転がっている。ドアを開けても、相変わらずこちらを見ようともしない。正面に回り込んで久しぶりに顔を見る。
そこには、さっき見たユウイチくんと同じ顔をした男がいた。異臭を放ちながら。
ノンマッチング・ラブ 踊り場で涙目 @odoriba-de-namidame
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