チョコ貰えないみたいなので、三ツ星シェフパティシエの後継の俺が、激うまショコラばらまいてバレンタインを破壊しようと思います

ほりやんやんやん

チョコ貰えないみたいなので、三ツ星シェフパティシエの後継の俺が、激うまショコラばらまいてバレンタインを破壊しようと思います。

「PÂTISSIER KANDA SATSUKI」


 ここらの地域では知らぬ者は居ない、有名シェフパティシエの菓子屋だ。取り扱う甘味はケーキやクッキー、アイスは勿論のこと、飴やショコラ、キャラメルなど多岐にわたる。


 中でも特に目玉商品である「KANDAロール」は土日祝日は当然のこと、平日にも夕方に売り切れる程の大人気商品だ。


 噛めばふわふわの生地がその舌にとろけ、クリームの濃厚な味わいと旬の果物の瑞々しい香りと上品な甘さが混じり合い、口の中に目一杯に広がるのだ。


 これには、息子ながらにスイーツファンが病みつきとなるのも頷ける出来映えだった。


「おい睦月! タラタラすんな! 終わったんなら次ァ生地な!」


「言われなくてもわかってるわ親父ィ!」


「あーあー! 混ぜ込みが甘えって! 生地の工程は速さが命なんだよ!」


「くっそがぁぁぁ!!」


「そうだ! やりゃアできるんならさっさとやれや!!」


 オーナー『甘田 皐月』は、普段は温厚な人であるが、菓子作りの工程に関しては鬼そのものであった。しかし、俺に対してはその数倍はスパルタな指導を行う。


 それは、親であるからか、もしくは跡継ぎであるが故なのか。どちらにせよ、俺は言いなりになるほかに無かった。



☆☆☆☆☆







「────ふう、今日のオープン準備はいっちょあがり! お疲れさん睦月ィ!」


「へ、へーい……」


 パティシエの朝は早い。前日からの仕込みに加え、朝から膨大な量の菓子作りが行われる。それも目立った休日も無くほぼ毎日だ。


 大人気店であるが故に、その働き手による苦労もひとしおである。はぁ、と深いため息を落としては、肩をバキボキと鳴らして学校へと向かう。


「ったく、親父の最近のやる気はなんだ……? しかもやたらとショコラ商品ばーっかり……」


 うちの商品の目玉はKANDAロールだ。その上うちのショコラはそこまで人気というわけでもない。


 だからこそ、親父の最近のショコラのやる気の注ぎようは何事か、と思案する。


「あぁ〜……『バレンタイン』、か」


 得心が行ったように一人呟いた。そういえば、クラスメイトの男子もここ最近ざわついてたなあ。チョコ貰えねぇかなぁとか、女子に頭を下げてせがんでる奴もいたり。


 俺としてはチョコレートを貰う用事も無ければ、家の手伝いが忙しくなる、憂鬱な年間行事の一つである。


 クリスマスでは脳がバグりそうなほどクリスマスケーキを作るし、夏には持ち場が凍りつきそうな程にジェラートを作るものだ。


 彼女の一人や二人居たらこの心労も解消されるのかも知れないが。


 なんて妄想をしては、またため息を落とした。


 その時、不意にツンとした声がかけられた。


「朝からそんな不景気そうな顔して、どうしたのよ、こっちまで移ってきそうだからやめてよね!」


「げ」


「なによ! げ! って!」


 ゴン! と腰に学生鞄を叩きつけられる。


「痛え! 痛えって!」


 何の躊躇ためらいも無くフルスイングしてきやがった。あのな、それたぶん15キロくらいあるただの鈍器なんやが? 打ちどころ悪かったら死に至るんやが??


 そうして何の悪気もなくぷんぷんと不機嫌そうな顔をする彼女ゴリラは、幼馴染の七海奈々だ。


 ボーイッシュなショートヘアがお似合いの男勝りの性格に、柔道部所属で成績も残している。まぁ、学業の方では俺に劣るが。


 更に奈々には俺より数ヶ月早く生まれたというだけでお姉さんぶる悪癖があった。完全に舐められてるとしか思えない。


 奈々はまだ不機嫌そうに怪訝そうな顔を浮かべ、片目を瞑りながら言い吐いた。


「それで、睦月は一体どうしたのよ?」


「どうしたも何も、この忌々しい行事のせいで毎年毎年俺が苦しめられてるって話だよ」


「行事って何かあったっけ……あぁ、バレンタインのこと?」


「だって毎日四時起きだぞ? それに、誰かにチョコが貰えるわけでもない訳だし」


「む……」


 すると奈々はどこか面食らったような顔をした。


 しかし、その後すぐまた意地悪そうな表情に変わり、にやにやと笑った。何故だか酷く嫌な予感がする。


「な、なんだよ……?」


「ふうん、へぇえ? 睦月くんはチョコレートが欲しいんだぁ? 意外と男の子なんだねぇ?w」


「ち、ちがっ、タダ働きで忙しくなるのが嫌なだけだからな!」


「へぇ? しかも貰える予定もないと?」


「喧嘩売ってんのか??」


「あはは、ごめんって! そっかそっか、ふふふ」


 奈々はどこか嬉しそうに、くしゃりと顔を歪ませて笑った。泣きぼくろがまた良く似合っている。


 そんなに俺がチョコが貰えないことが愉快で堪らないのか。


 朝っぱらからこうもバカにされたままじゃいられない。俺は訴える。


「な、何がおかしいんだこの野郎ッッ」


「へぇ、やろうっての?」


「すみませんでした……ッッ」


「よろしい」


 今回はなんとか溜飲を下げられたようだ。ふう、これだから柔道部所属ゴリラ科のメスゴリラは。


「何?」


「いえ」


 またハイライトが消えたので俺は控えめに距離を取った。なんなん? 思考まで読めるの? 流石に柔道部の戦闘能力やばくない? それはもうオカルト部の部門やん? 


 すると奈々は『何がまずいんだ?』という風の表情をしたので俺は即座に『今日は大変よいお日柄で』と機嫌を取ってはその場をやり過ごした。




☆☆☆☆☆









 クラスの様子では、また男子が来る明日に備えてそわそわとしていた。


 特に、下駄箱に【余ったチョコ置き場です】と張り紙を貼っていた男子は流石に尊敬する。その手があったか。


 極度の寝不足から一刻も早く寝たいため、帰宅部所属の俺はそそくさと帰路に着いた。


 もはや限界の身体を引き摺って帰り道を歩く。その時、携帯のバイブ音が俺のポケットを鳴らした。


【母さん:帰り道にスーパーでネギと豆腐買ってきて♡】


「いいけどさ……いいんだけどさ……!?」


 やり切れない気持ちを【了解】の二文字に抑えて、近所にある大きめのスーパーに向かった。


「豆腐豆腐っと……」


 食品売り場でネギを抱えて豆腐を探していると、ふと見覚えのある人影が見えた。


「んん……? でもなぁ、えぇぇ……?」


 どうやらお菓子売り場でぐぬぬ、と悩ましい顔をしているようだ。チョコ……? だろうか、何気なく声をかける。


「よう、奈々。何悩んでんだ?」


「うわぁっっ! ななな、何よ! 驚かさないでよ!」


「お、おぉ……悪い……」


 まさかそんな反応をされるとは。思わず困惑する。っていうか今俺謝る場面か? おかしくね??


「それで、何してるんだよ?」


「へ……? え……ぁ……」


「……?」


 奈々の顔がみるみるうちに鮮やかに紅がかる。どうにも見慣れない反応に俺は頭に疑問符を浮かべては、なんなんだよ、と奈々の後ろの売り場を見た。


【バレンタインフェア!】


【初めての手作りバレンタインチョコ】


【簡単! 手作りチョコならこれ!】


 宣伝文句として大きな文字が飾り付けてあり、売り場には板チョコレートの山と、簡単に手作りチョコが作ることができるセットが売られていた。


 俺は空いた口が塞がらなかった。え、何。このゴリラがお菓子作り? 何が起こってるんだ?つか誰にあげるんだ? 部活の奴? いやいやこのゴリラがそんな手作りなんて器用な真似しないし、そもそも柔道部の奴らもバレンタインチョコ貰えないって鬱屈そうな顔をしてたはず……いやしかし奈々も年頃の女子だからクラスに好きな男の一人や二人────


「───の────から」


「ぇ、あ? なんて?」


 そんな良くわからない思案に耽っていると、思わず聞き流してしまった。ふと前を見ると、彼女は下を向いてぷるぷるとしていた。なんだなんだ?


「あんたのじゃないからっっ!!」


「はぁぁぁぁぁ???」


 奈々は真っ赤な顔で大声でそう言い放っては、市販の板チョコを数枚手に取り、ダッシュでレジに向かった。


 ぽつん、と取り残された俺は今日1番の大きなため息を落とした。豆腐をやや無造作に買い物かごに投げ入れて、どしどしとした重い足取りで帰路に着く。


 自分でも訳が分からない程に腹が立っていた。腹が立つというより、妙に苛立つ感覚だ。胸の辺りがもやもやと謎の感覚が撫で上げ、脳は熱が篭っている。


 ────理由はわかる。理屈がわからない。


 理由はそりゃあ、あのゴリラ《奈々》だろう。別に欲しいとも言っていないチョコに対して「あんたのじゃないわよ」だと指摘されたことである。


 お前さん俺が何年連続で貰ってないと思っとるんや。既にもう悟りの領域に辿り着いてるんだわ。


 心の底では欲しかったりもするのかもしれんが、そこをくすぐられた程度でここまで苛立つ訳がない。


 それともなんだ。あの奈々が一丁前にラブコメしようとしてて苛立ってるのか。お前なんぞが俺より先に彼氏作る気か、と。


 いやそれもない。別に彼氏ができようが俺に関係ないだろう。むしろつっかかってくることが減っていい事尽くめの筈だ。


「なんなんだよ、じゃあ!」


 今最高に苛立ってるのは、自分の怒りの終着点がどこにあるか分からないからだ。振り上げた拳をどこに振り下げれば良いかわからないのだ。情けない自分に腹が立つ。


 帰ってはまた、チョコを作って、迫る明日に備えて、寝不足の朝を過ごすのか。憂鬱でならない。一刻も早くこのお菓子会社の陰謀バレンタインが無くなることを心の底から祈る。


 夜まで仕込み、早朝から仕上げ、品出し。明日はサボってやろうか。いや、そんなことをすれば親父が殺しに来るだろう。


 それで親からの不感を買うのは俺としても本意ではない。では、何かこの鬱憤を晴らす方法はないものか。


 何か、手は。手は。


 己の手を見つめる。毎日毎日の菓子作りの末に皮が厚く、タコだらけになったその手を。


 俺は思いついた、悪魔的な作戦を。


「────そうだ、俺がチョコ作ればいいんだ」


 家に材料は無限にある。そもそも日頃から菓子作りに携わっている俺とこの時期と趣味程度にしか手を出していない女子では雲泥の差があるはずだ。


 それも、菓子作りなんて生まれてこの方経験のない奈々との差など考えるにも及ばない。


 月とスッポン、ショコラと泥だ。


 題して、【あれ? 待って七海さんの手作りチョコめっちゃ微妙じゃね?wさっき食べたチョコのが100倍美味いんだけどw】作戦である。


 人は比べたがる。


 それに、その差が絶大である程、不味く感じるものだ。


「奈々の手作りチョコを食う男子には地獄を味わって貰おうか……ッッ」


 俺は頬を吊り上げた悪魔的な笑みを浮かべ、足早に準備に取り掛かった。



 ☆☆☆☆☆









 問題はすぐに見つかった。まず一つ目は奈々の意中の相手が誰か全く分からないという点だ。そのため、全校生徒男子に渡す必要があった。


 次に、それらの作業量は明らかに一人では不可能であるという点だ。時間も足りない。


「なぁ睦月よォ、なんなんだァ? 今日のやる気は?」


「何ってなんだよ!」


「いや、もうノルマは達成してるんだけど……まだ作るのか?」


「バレンタインデーだぞ! この日に作らなきゃいつ作るんだ!」


「あ、まさか睦月お前……」


「な、なんだよ……」


 バレンタインをぶち壊すその手立てがバレたのか。怪訝そうな顔つきの親父が口を開く。


「好きな人ができたのか!!」


「はぁぁ??」


「いいぞォ、お父さんいくらでも手伝っちゃうぞォ〜⭐︎」


「いや違ェわ!!!」


「恥ずかしがらなくてもいいんだゾ☆」


「それなんなんだよ!」


 幸いにも、ド田舎に建つうちの高校は全校生徒の人数は少ないものだ。3学年4クラスの内訳約30人のクラス、男子は半分と仮定して、約180個ものガトーショコラが必要となる。

 これを一日で仕上げるとなると、プロである親父の手助けは必須条件であった。


 夜に仕込み、早朝に仕上げて盛り付け飾り付け、ラッピング。全ての工程が完了したとき、俺達は一睡もしていないことに気がついた。


 現在の時刻は二月十四日朝四時半、勝負はここからがスタートだというのに。


「おいおい今更だけど、これどうやったら持って行くんだよ……」


 棚に山のように積み上がったそれらを眺めて冷や汗を垂らした。まさに壮観である。達成感がどっと疲労として身体に現れる。


 しかし、これからそれら全てを運ばなければならないとなればこうも突っ立ってはいられない。


 俺は倉庫から台車を引っ張り出し、丁寧に丁寧にそれらを並べた。四段の段に20個ずつ、計80個を一度に運び出せる。


 考えるに、少なくとも三往復する必要がある。全く持って時間が足りない。休憩する時間すらないのだ。


 俺は直ぐに制服に着替え、走り出した。古い台車ともありギィギィと音を立てて駆け抜けた。汗を拭う間もなく男子の靴箱に片っ端から放り込んでいく。


「おらおらおらおらおらっっ!!!!」


 深夜テンションとでも言うのだろうか、まだ日も登らない真っ暗な校舎で1人暗躍する自分が何故だかとても誇らしく感じられた。まるで手に持つそれらが時限爆弾であるようにすら感じた。


 三周目にて全てのチョコを仕掛け終えた頃には汗が全身を覆い尽くし、冬だと言うのにまるで寒さを感じられなかった。疲労感と満足感で胸がいっぱいいっぱいであった。


 証拠隠滅とばかりに台車を校舎裏の林に隠し、棒のような足でゆっくりゆっくりと歩いた。


 登り行く朝日がどうにも赤く色鮮やかに空を彩った。


 ざまぁみやがれバレンタイン。お前の陰謀はそこまでだ。ニヒルな笑顔を浮かべる。


 クラスに辿り着くと、やっと一息つける、と席に着き、ぶっ倒れるように眠りに着いた。


☆☆☆☆☆










「────!!!」

「────ッッ!!!!」


 騒々しい様子に目を覚ますと、既にクラスにはクラスメイトが集まっている様子であった。時刻は8時半を指しており、朝の集会が始まる直前といった流れであろうか。


「おい起きろよ睦月! 大ニュースだぞ!!」


「なんだよ……こっちは眠いんだよ……」


 ぐわんぐわんと肩を揺らされては何事か、と彼の方を振り向く。その手にはやけに見慣れたショコラがあった。しかも一口食った跡がある。


「モテ期が来た!!」


「いやそれ佐藤だけじゃなくて全部の男子に配ったわ!」


「ええぇこれお前なの!? なんで!?」


「なんでって……あの、ほら、あれだよ……店の……宣伝?」


「えぇマジかよ!! それでも嬉しい! クソ美味えよ!! ありがとうな!!!」


「え、あ、おう」


 想像以上の反応に思わずたじろいだ。本来の目的はこの日をぶち壊すはずだったのだが、どうにもクラスのこの様子を見るに、俺のチョコ《時限爆弾》は無事に大爆発したらしい。


「うんめぇぇ!!」

「なんだこれ初めて食ったんだけど!!?」

「死ぬほど美味い!!!!」

「バレンタインデー最高かぁ!?」


 俺単身で作ったものでもなければ、理由は最悪であるのだがやはり作った菓子を褒められるのは嬉しいものだ。ぐっと拳を握りしめる。


「ねぇ! なんで私たちの分は無いの!?」

「あんなに美味しそうなチョコ、アタシだって欲しかったのに!!」

「甘田くん、すごいね! 作り方教わったらよかったぁ」


「え、いやバレンタインってほら、男子が喜ぶ日じゃねぇのか……?」


「じゃあ余ったこれあげるから! お返し楽しみにしてるね!」「ずるい!私も!」


 席の周りにクラスメイトが集まり、チョコレートが積み重なる。どうしてこうなった、こんなはずでは。ふと見ると佐藤が『甘田のチョコが死ぬほど美味い』と大声で触れ回っていた。


 俺は大急ぎで佐藤の肩をつかみ、迫真の表情で言った。


「ちょ、おい、やめろ。頼むからやめてくれ!」

「え、だって宣伝って……」

「そうじゃない。あれ見てくれよ」

「うわお前こそモテ期じゃねえか!!」

「押し売りの間違いなんだわ!!!???」

「え、あ? 後ろ! 睦月後ろ!」


「……殺気!?」


 そこには恐ろしいまでもの殺気を放つ幼馴染の姿があった。眉間には皺が寄っており、今すぐ殺されてもおかしくない程の死の予感が漂う。


「ふうん、睦月、チョコいっぱい貰ったみたいじゃない」


「は、はいっ!! すみませんでした!!」

「なぜ謝る」


「……よかったわね!!」


 奈々はそれだけ言うと、どこかやりきれないような顔をして、意気消沈したように立ち去って行った。こんな表情を見せたのは初めてだった。


「なんなんだあいつ……」

「な、なぁ睦月、もしかしてお前なんかやらかしたんじゃないか? 謝ったほうが……」

「いやなんで俺が謝るんだよ! 俺はお前らにチョコ配っただけだぞ!?」

「そうだけどさ……」


 そうだ。そもそも、この作戦は奈々のバレンタインをぶち壊すための作戦。想像とは違った流れだが、結果としては大成功なのだ。


 これで、これでいいんだ。きっと。



☆☆☆☆☆










 昼休みには他学年からも余ったチョコレートが押し寄せ、既に俺のロッカーには溢れかえる程のチョコが入っていた。


 必死に頑張ったツケが来たようで嬉しかった。……その筈なのだが、締め付けられる胸のせいで何故かやはり喜び切れなかった。机に大量に乗ったチョコのせいで俺と佐藤は中庭のベンチで昼飯を食うことになった。


「なんなんだ、これ。マジで」


「何もかにも、睦月のチョコが美味すぎたからだろー」


「ガトーショコラな」


「あれ今度また作ってくんない? 金なら払うからさ!」


「……店に来ればいつでも食えるだろ!」


「はっ、これが宣伝効果というやつか!! 思う壺じゃん!?」


「思わぬ壺というか、まぁ、いいか……?」


「え。なあ、おいあれ!」


 話をぶった斬って佐藤が目を丸くして指差した。どうしたと指差す方を見ると、中庭の隅で奈々と男が2人で話してる所が見られた。


 遠くでよく見えなかったのかも知れないが、恐らく他学年であろう見慣れない男であった。


「あれ七海さんじゃないの?」


「あー……そうだな」


「あんなとこで何してるんだろ」


 理由は俺にとっては明確だった。奈々が手作りチョコレートを渡しているのだ。恐らく、思う評価は得られないだろうそれを渡しているのだろう。


「そりゃ、お前……告白だろ」


 何故か、見ていられなくて思わず目を逸らした。弁当を食べる手を強引に進ませ、ゴクンと飲み込んだ。当然の如く喉を詰まらせてゴホゴホと咽せる。じいと告白の様子を見ていた佐藤は不思議そうに呟いた。


「へぇ、告白かぁ。わざわざこの日じゃなきゃいけなかったのかなぁ」

「いや、この日だからだろ……」

「え、そうなん?」


 こいつはバレンタインをなんだと思っているのか。告白といえば本命チョコ、バレンタインは勇気の出せない女の子が言葉にし辛いその言葉を明確化した物として渡すための日なのだ。


「ま、俺のチョコは全部義理なんだろうけどな!!」

「見え見えだもんなー、見返り」


 当然だが、義理チョコというものも存在する。日頃の感謝の目的で渡すものなら大歓迎だろうが、見返り目的で貰うものほど悲しいものはない。まぁそれも貰っているだけ贅沢というものなのだろうか。


 しかし、顔も名前も知らない奴から貰うチョコなんて欲しいだろうか。俺は全くもってそうは思わない。つか今更だけどどうやって返すんだよこれ。え? また俺180個作んの?


「ほら、そろそろ帰ろうぜ。邪魔しちゃ悪いだろ?」

「え、まだ食ってる途中なんだけど!?」

「いーから! 教室で食えって」

「今詰め込むから待ってよ!」


 そして急いで残りを詰め込んだ結果、思った通りに佐藤は大いに咽せて「すまん……」と謝った。



☆☆☆☆☆









 授業中も、なんなら放課後となった今の今までどこかぼうっとしていた。自分が自分でないような、心ここにあらず、というような。


 奈々の意気消沈したあの表情が、頭の隅から離れなかった。こんなことをして悪かった、と、謝りたくて仕方なかった。しかし、昼休みの奈々を見て、身体から力が抜けてしまったのだ。


 彼が食べたチョコレートは、どんな味がしたのだろうか。俺のせいで奈々の勇気が台無しになってしまったのではないだろうか。じわじわと膨らむ喪失感と胸を責め立てる罪悪感に襲われて、どうにも精神的に参ってしまう。


 疲労と寝不足と、精神的に身体が重く、まるで立てそうになかった。


「やばい!! 大変だ!!」


 放課後、クラスメイトの一際声の大きい奴が叫んだ。なんだなんだとクラスでざわめきが起こる。俺はハッとして、耳を傾けた。


「竹下の野郎が抜き打ちチェックとか言って門番してやがる!」


 竹下先生。学年担当の先生であり、そのねちねちとした陰湿な説教と、重箱の隅をつつくような点を指摘してくるところから学年中から嫌われる人であった。


 特に嫌われる理由として、その威圧する態度にあった。デフォルトで不機嫌なのだ。挨拶が小さいだけで泣くまで怒鳴り散らされる生徒だっていたほどである。


「なんでこの日なんだよ!!」

「今日だからだろ!!」

「どうせ学生の頃モテなかったから妬んでるんだよ!!」

「ほんっと最低じゃねえか!食うなら今だ!食え食え!」


 クラスメイトがそうやってそそくさとチョコレートを食べている中、佐藤が駆け寄ってきた。


「どうするんだよ睦月! その量絶対食えないじゃん!」


 佐藤にそう言われて、俺はようやく気づいた。今から食うにはどう考えても不可能の量を持つ俺はもはや絶対絶命であった。


 なんならもし一つであっても喉を通せるとは思えなかった。まるでそんな気分ではなかった。まんまと没収されて竹下に馬鹿みたいに怒鳴り散らかされた方が余程よかった。


 奈々が作ったチョコレートも、没収されてしまうのだろうか。


 初めて、初めてあいつが勇気を出して作って、勇気を振り絞って渡したチョコレートすらも、没収されてしまうのだろうか。


 それで、いいのか?


「どうしたんだよ! このままじゃお前めっちゃ怒られるぞ!? 竹下のことだからどうせ下校時間ぎりぎりまでネチネチ説教されるからな!?」


「下校時刻……か」


 ここに来て、俺はとんでもない作戦を思い付いたのだった。


「佐藤、ちょっと手伝ってくれないか?」


「え?」


 題して、【アホみたいな量のチョコ乗せた台車で竹下の前通ったら比例してアホみたいに怒られるから多分他の男子は許されるだろ】作戦だ。


 ────まぁ要するに、ただの囮作戦だ。



☆☆☆☆☆










「どこから持ってきたんだよそれ……」


 校舎裏に隠した台車を取り出しては正門前に隠れ、佐藤と2人でそれに一つ一つ形が異なるチョコを並べていく。どれもこれも朝積んだものとは質が落ちるものだろうが、作る際に込められた気持ちは俺より格段に上だろう。


「せっかく貰ったチョコなのに、絶対没収されるからなー? 本当にいいのか?」


「どうせ食い切れんし、構わんさ」


「勿体ないなぁ……」


 それに、俺に渡されたのはどうせ全部義理だからな。没収されたとしてもあまり心は痛まなかった。しっかりお返しの日にガトーショコラを詰め込んでおくならチャラだろう。


「おし、これで全部……か」


 思った以上にスペースが足りず、乗り切らないチョコは台車に括り付けて縛り付けた。

 余りにボリューミーになった台車を見て、思わず佐藤と2人で笑った。

 あとはその台車で正門に突っ込むだけ。台車に手を掛け押し出そうとした時。


 そこで、異変に気づく。


「やばいぞ、これ、1人で動かせないわ」


 寝不足だろうか、あるいは体力切れだろうか。台車はギィギィと音を立てるだけでまるで動く気配がしなかった。


「おっしゃ、2人で行こう」


 これまでで1番楽しそうに佐藤は笑いかけた。


「いいのか?」


「いや、だって! そうじゃなきゃ動かないんだろ?」


「……わかった。じゃあ、押すぞ? いっせーのーで!」


 2人で思い切り押すと、思ったより速度を増して台車は動き出した。そして、そのままの勢いに正門に突っ込む。


「いっけぇぇぇ!!!」


「行けぇえぇ!!! 睦月ぃぃ!!」


 動き出して、スピードが増した途端。


 ……佐藤は手を離してダッシュで逃げ出した。


 ここから先は下り坂である。よって、ハンドルを任された俺はもう手遅れなのだ。


「お前ぇぇぇぇぇ!!!!???」


「後は任せたぜ!!!!!!」


「後で絶対殺すからな!!??」


 背中しか見えない佐藤に罵詈雑言を投げつけるがもはや手遅れである。台車の悲鳴にかき消されているだろう。


 そして、突っ込んでくるデコトラばりの台車に、竹下が怒号を撒き散らした。しかし、まるで減速の様子を見せないこの台車に、徐々に焦りの色を見せていく。


「なにをやっとるんだぁぁぁ!!!???」


「おい甘田、止まれ、止まれ!! 止まってくれええええええ!!!」


 竹下の顔が見る見るうちに青くなる。正門前に陣取った彼は、ついにその扉を開いて避けた。


 すれすれで扉をくぐり抜けた俺と台車は勢いを徐々に失い、最後にはぎぃ、ぎぃ、と泣き止むように停止した。肩を掴まれ、強引に振り向かされる。


「おい甘田ァ……お前なにをしたか分かってんのか……」


 さぁ決め台詞だ。俺の作戦はこれで終わる。あとは下校時刻までできる限り粘るだけだ。


「俺のチョコが羨ましいか竹下ァ!!!!!!! いいだろう台車ごとくれてやる、その代わりに他のチョコは見逃すんだな!!!!」


「な、何を言っとるんだ!!! さっさと指導室に来いバカタレ!!!」


 ゲンコツを落とされた末に首根っこを掴まれて子猫のように俺は連行された。


 くぅん。



☆☆☆☆☆










 結果から言えば、めっちゃめっちゃに怒られた。罵詈雑言から始まり人格否定に自分語りの数え役満フルコース説教である。


 時刻は午後7時。下校時刻どころの騒ぎではない、1時間オーバーである。正直もうかなり参っていた。あと佐藤はバナナ踏んで死ね。


 もはや部活で居残る生徒も居らず、氷点下を下回る極寒の中一人で正門から出所した。白い息を吐いて、呟く。


「はーさみぃぃ……」


「チョコも無事ぜーんぶ没収されたし、敵に塩は送るし、なーにやってんだろうなぁ、俺」


「……はぁ。マジで何やってんだろ、俺」


 悲しそうな奈々の顔を思い出して、せめてあの男がチョコを美味しく食べられたことを祈った。贖罪しょくざいにはならないだろうが、それでも。


 すると、後ろから声をかけられた。そして思いっきりゲンコツを落とされる。


「……ほんっっとに……何やってんのよ、このバカ!!」


「痛えええっっ! 2回目のが効くなぁぁ!?」


「え、な、奈々!? こんな時間まで何してたん」


 本当に唐突なエンカウントに俺は思わず大声を撒き散らして驚いた。青白い街灯に照らされて彼女はその白いマフラーを風に揺らされる。奈々の顔がやけに青白く見えた。


「……何って、待ってたのよ、悪い!?」


「え、待つって……誰を」


「アンタをよ!!!」


「おおお俺!?」


 ふん、といつものようにツンとして不機嫌そうに腕を組んだ。安心したのか、何故か胸が熱くてつい笑ってしまった。つられたように彼女も微笑む。


「あはは、なんだよそれ!」


「もう……!」


 そうして、俺達はいつものペースで歩き出した。隣をこうして歩くのも、これでもう最後かも知れない。必死に作り笑顔を貼り付けて、俺は核心に突いた。


「あぁ……そう言えば、奈々。チョコちゃんと渡せたみたいだな、良かったじゃん。勇気出して、作ってよかったな」


 そう言い切ると、奈々はあんぐりと口を開けて、大きな大きなため息を落とし、わざわざご丁寧にもう一度落とし、言い放った。



「〜〜〜ッッ!! 私が、誰に渡したって?」


 怒りのボルテージがみるみる上がってるのが目に見えてわかる。なんなのお前、渡せなかったん?


 いや、俺の囮作戦大失敗で草。


 いや待て、他の人に渡したという可能性もある。まだあわてるな。まだあわてる時間じゃない。


「え、ほら、昼休み呼び出したんだろ?」


「あれは告白のよ!」


「え、はぁぁ?」


「はぁぁ? はこっちの台詞よ!」


 奈々はぷんすかとまた腕を組む。え、だって、佐藤だって見てたよな……?


『へぇ、告白かぁ。わざわざこの日じゃなきゃいけなかったのかなぁ』……って、え、あれ?


 確かに俺は見たくなかったから目を逸らしてたが、まさか、本当に? 奈々の不機嫌そうな表情を三度見し、言った。


「返事は!?」


「断ったわよ。好きな人が居るからって……」


「え、じゃあ折角作ったチョコは?」


「…………まだ渡せてない」


 俺の作戦二つともまんま無駄になってて草。


 道化師やん。1人空回ってただけですやん。

 自己嫌悪でふらついてきた。俺の努力は一体……?


 奈々は、目を逸らして小さく呟いた。


「────だから、こうして睦月を待ってたんでしょうが」


「……え」


「ほら、睦月にあげるわよ。あんなにいっぱい貰ってたのに、全部没収されて、可哀想だし」


「いや、あんなん全部見返り目当ての義理だから……」


「でもちょっとは嬉しかったくせに」


「う」


「もう、ほんっと馬鹿。勝手に勘違いして、私も……馬鹿だけどね」


 奈々はそう自嘲気味に笑っては、手元にはぁ、と白い息をかけた。その手には見慣れない絆創膏があちこちに貼ってあった。思わず声が漏れた。


「馬鹿野郎は俺だろ」


「いや、それはそうよ?」


「おっ」


 おっ。考えがそのまま口に出た。反論の余地もない。


「バレンタインチョコ取り締まり門番してる竹下先生に囮として突っ込んだって、佐藤君が。何してんの? あんた」


「いや、だって、だってよ。奈々が初めて必死に作ったチョコだぞ、没収されたら、可哀想だろ……」


 もごもごとそう伝えると、案の定奈々はおかしそうに顔を歪めてくしゃりと笑顔を見せた。やっぱり、こいつにはこれが1番似合うのだろう。


「……ぷっ、あはは!! なにそれぇ、ほんと馬鹿ねぇ、だって私、誰にも渡してないのに!」


「俺だってそう知ってたらやってねぇって! その場でチョコ全部食べてやったのに! 結局ひっとつも食べれてないけどな!!」


「私から貰えてほんと良かったわね?」


「まぁな。どうせなら今から食ってやろうか」


「え、やめてよ。どうせ睦月のと比べて不味いわよ? 初めてだし」


「うるせー絶対食う!」


 なんとも初心者らしい、不恰好な円形のチョコであった。

しかし、それがなによりも、なぜか嬉しく感じた。


 4つ入ってるうち、一つを口にする。「あーもう、……知らないから」なんて言って奈々は顔を背けたが、構わぬまま咀嚼する。


 信じられなかった。衝撃が走った。


 無言で口の中で溶けるチョコを味わい続ける。


「……な、なによ、感想とか言いなさいよね」


 俺は、そのままノータイムで2つ、3つと口に放り込んだ。


「ねぇ、ちょっと!……もー……」


 お構いなしだ。そうして全て食べ切って、手を伸ばして、残りが無いことに気づく。


 美味すぎる。美味すぎるのだ。星3つシェフパティシエの息子、跡継ぎの俺が言うから間違いない。舌は誰よりも肥えている筈だ。


 なんだ、なんなんだ。


 このチョコは、俺のガトーショコラより……いや、間違いなく親父のショコラより美味かった。俺は、奈々に詰め寄った。


「おい奈々」

「な、何よ」

「これ、なんだ。原材料は? 製法は?」

「ま、不味かったならそう言いなさいよ!」


 食い入るように彼女の目を見る。


「その逆だわ! 美味すぎるんだよ!!」

「近い近い近い、近いってばぁぁ!」


「へぶぅッッン!」


 バチィン!と音が鳴り響く。手形にじんじんと頬が痛むが、お構いなしだ。


 もっとゆっくり食えば良かったと後悔した。もっと大切に味わえばよかった、と。心の底から伝えた、感想を。


「……はっきり言って、これまで食ったどのチョコよりも、美味い。マジで、めっちゃ美味かった!!」


「あ、あり……がと……」


 奈々の顔が喜びからか、目は薄くなり、表情が緩んだように見えた。薄暗い街灯で良くは見えなかったが、どこか顔も赤く見える。


 すると、今度は奈々の方から距離を詰めてきた。ビンタされた右頬に手を触れられる。彼女の手は、ひんやりと気持ちよかった。


「なッ……?」


「……ねぇ、睦月。私のチョコ、何が入ってたんだと思う?」


 頬を撫でる。


 まるで愛おしく子供を愛でるように。


「な、何って……なぁ、だから、教えてくれよ」


「…………さぁ、なんでしょう?」


「なんなんだよ!!」


 顔が熱い、特に、彼女に触れられてる頬が余りにも熱い。きっと赤くなっているだろう。奈々の暴走は止まらない。


「ねぇ睦月。目、瞑ってよ」


「え、なんだよ嫌だけど」


「無理矢理瞑らせよっか?」


「ハイ……」


 泣く泣く目を瞑る。無理矢理瞑らせるってなんだよ……。愚痴も言いたい気分である。


 先程まで手が触れていた右頬に、よくわからない暖かく柔らかい感触があった。


「え、何してん────」


「……まだ開けちゃだめ!」


「ぐへぇ」


 誤魔化すように、彼女に押しつぶされた。というより、抱きしめられたという感覚だろう。力加減が余りにも現役柔道部すぎる。思わず声の根が漏れた。


 そうした奈々の身体は、寒空の下であるにも関わらず、どうしようもないほどに熱かった。


 そうして、最後に耳元で小さく呟いた。


「……お返し・・・、楽しみにしてるから……!!」


 そう言って、彼女は猛ダッシュで走り去っていった。


 この感情の意味を、心の高鳴りを、どうしようもないほど俺に訴えるその心臓の意味を。火が灯ったような、全身を蒸せ返すような熱の正体を。


 俺は来る1ヶ月後、白い日までに奈々に返すことができるのだろうか。この感情を、少しでも正しい形にして、表現できるだろうか。


「楽しみにされてるなら、仕方ないよな」


 街灯に照らされて、ゆっくりとゆっくりと、雪が降り始めた。火照った頬に雪が付き、じわりと柔らかく解けていった。


「……また、作戦考えなきゃなぁ」


 彼女の背中を見送っては、俺はまた、ゆっくりと歩き始めた。

 ───その足取りは、普段よりもずっと、軽かった。

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チョコ貰えないみたいなので、三ツ星シェフパティシエの後継の俺が、激うまショコラばらまいてバレンタインを破壊しようと思います ほりやんやんやん @horiyanyanyan

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