第8話 千年前の鬼
百合が眠ってしまうとそっと畳の上に寝かせた。涙を拭ってやると不意に背後から声がした。
「獅子と牡丹か……」
振り向くと、部屋の隅に白髪碧眼の男が座っている。その男の顔が自分によく似ていて目を伏せた。
「分かっているはずだけど、彼女はお前の人形じゃない」
「君の?」
「誰のものでもない。彼女は人間に戻して外へ帰す」
「……そうか」
白髪碧眼の男が静かに頷くと、明神は眉を潜めた。
「お前は彼女をここに縛り付ける為に式神にしたんじゃないのか?」
明神の問いに男は嘆息した。
「いや……」
「じゃあ何故?」
「寿命が尽きかけているから一時的に式神にしたと言うだけで、他に理由はない。彼女が生きることを望めば寿命を授ける事は簡単だが、生憎そう願わなかったからそうせざるを得なかったと言うだけだ」
彼女が自分の死を望んだから、こういう形を取ったのだろう。
「彼女が百合姫の生まれ変わりだから?」
男はこくりと頷いた。
「病を治してやるから自分の屋敷へ帰るように言ったが、聞き分けのない娘でな。死んで魂になってもここへ戻って来たから放っておいた。まさかこんなに長く留まるとは思わなかった」
彼の静かな声に明神は目を瞬かせた。
「流石に長く居すぎるのは良くないと思って思念と魂とを分けて魂は空に還した。思念の方は何れ勝手に消滅するのを待っていたんだが……仕方がないから入れ物に思念を移して屋敷から追い出すつもりだった。外の世界を知れば、ここに留まることが如何に無駄なことかに気付くと思っていた」
男はそう話すと溜息を吐いた。明神が不満そうな視線を送る。
「あんたが百合姫の思念を押し留めていたんだと思っていた」
「何の為に?」
問い質されて少し口籠った。
「彼女を愛していたからだろ?」
男はゆっくりと目を伏せて首を横に振った。
「この世から消してしまいたいと思う程にあの長い黒髪と黒い瞳が妬ましかった」
「嘘だ」
明神が呟くと、男は明神を見つめた。
「あんたは自分の身の上を悲観したんだ。自分の髪色と瞳の色が他と違うことを引け目に感じて卑屈になったんだ」
男はそれを聞くと目を伏せた。
「もう許してやったら?」
「何を?」
「全部」
彼の瞳が不満気に俯く。まだ、許せないのだろう。
「お前が許せないと言うなら俺が全部許してやる。恨みも悲しみも呪いも全部俺が持って行くから……」
首を縦に振らない彼を見て溜息を吐いた。扇を出すと、開いて虎斑竹の模様を眺めた。
「お前の望みを叶えてやる」
彼の表情は変わらないが、瞳に不安と悲しみが浮かぶ。
明神は百合の頭に扇子を載せた。撫でるように扇を仰ぐと百合の直ぐ傍に髪の長い少女が現れる。十二単を着た彼女が振り返ると、その顔は百合と瓜二つだった。彼女が白髪碧眼の男に近付くと、男は不意に立ち上がって彼女の眼を見つめ返した。少女が男の頬に触れようと手を伸ばすと、弾くように振り払う。少女は俯いて目を細めた。
「どうすれば許してくれるの?」
涙が頬を伝うが彼は何も答えない。何も言わない彼が何を考えているかなど分かるはずがなかった。
「お前が欲しかったわけじゃない」
一瞬、彼の碧い瞳が揺らいだ。刀を振り上げると、躊躇なく振り下ろして少女の胸に突き刺さる。赤い血が迸ると彼は直ぐに刀を引き抜いた。返り血で顔や髪が紅く染まる。少女の苦悶に満ちた顔を見ても彼の表情は全く変わらなかった。
「やめろ」
刀を掴まれて男は明神に視線を投げた。
「何故止める」
「お前は間違ってる」
「間違う?」
彼の表情は変わらないが、瞳を宙に飛ばした。
「間違ってない。こいつを消さないと終わらない」
「お前が彼女を千年も縛り付けたんだ。もう離してやれ」
彼の瞳が一瞬揺らいだ。
「違います……」
少女が呟くと明神は少女に視線を向ける。
「私のせいなの」
彼女がその場に座り直すとそっと目を伏せた。
「私が貴方を鬼にしたの」
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