第8話②

 迅は、日高の肩を掴んで忠告した。


「日高、もう千景には気を許すな。お前にこんな怪我を負わせたのは、あいつなんだ。もしかしたら、覚えてないかもしれないけど……」


 ふるふる、とはっきり首を横に振る日高。


「いや、ちゃんと覚えてるよ。俺をお札で吹っ飛ばして、俺の中にいる怪異物の暴走を止めてくれたんだ。千景にはむしろ感謝してる」


 その日高の台詞に、迅は目を張った。お前は、千景を微塵も恨んでいないのか。まともに起き上がれないぐらいボロボロにされても、許すどころか、ありがたい善行だったとまで評するのか。


 しばらく言葉を失う迅。彼は心底呆れ返って、薄ら笑いを浮かべた。


「どうして、あんな奴に感謝なんかするんだ。あの変貌ぶりといい、恐ろしいほどの落ち着きといい、あいつが善意で動いてるわけないだろ。きっと千景は、学院長の指示を受けて、俺らを殺しに来たんだ。ああ、改めて口にすれば納得だわ。そうでなきゃ、キャリア目指してる生徒会メンバーが、わざわざ問題児に構ってこないもんな」


 そうつぶやいた刹那、日高の顔が、凍りついた。


「……お前、それ本気で言ってんのか。本気であいつが、悪の手先に成り下がったとでも思ってんのか」

「だから、さっきからそう言ってるじゃないか」


 日高の手が、密かに迅の腕に伸びた。不意を打って身体を引き寄せる。胸ぐらを掴む。


「ふざけんじゃねぇ! 仲間に対して、よくそんなことが言えるな。あいつは、人殺しなんてする人間じゃない。俺を攻撃したのだって、本当は望んでいなかったはずだ。たぶんあいつには、そうせざるを得ない、何か深い事情があったんだよ。お前は、千景を信じられないのか!?」

「逆に、そこまで信じ込める思考回路が理解不能だね。俺に言わせれば、今のお前は、千景を信じたいという自分のエゴを満たしているだけだ。自分を可愛がって、希望的観測、現実逃避をしてるんだよ」

「……っ」


 日高は、何も反論できなかった。迅の言葉が胸に突き刺さり、息が詰まってしまったのだ。そしてそれはまた、まるで鏡のようで、自分の姿をありありと見せつけてくる。でも、日高はその鏡に写った姿を、恥ずかしいものだとは思わなかった。


「エゴで結構、希望的観測で結構! 俺は迅とは違う。迅みたいに、客観的に物事を考えることはできない。だって、千景を信じたい気持ちは、どうあがいても無くならないんだ」


 迅の肩がピクッと震えた。それは、紛れもない事実だった。迅の主張と同様に、否定できない正論だった。だが、迅は日高の主張を受け入れられなかった。


 日高は、迅のポーカーフェイスから、そこまでのことを読み取って言う。


「理解してもらえなくていい。代わりに俺も、これ以上お前の意見に文句は言わない。それでも俺は、自分の気持ちに正直で在りたいんだ」


 それから日高は、心地良いほど潔く、白い歯を見せて笑った。


「もちろん、俺の勝手で信じる以上、裏切られた時は、責任を取ってボコされてくるけどな」


 彼の台詞は、口調こそ軽く子供っぽいが、言葉の端々には決意がにじみ出ていた。鋼のように固く熱い決意だ。迅は、日高はもう、何をしても揺るがないのだと悟った。


「……勝手にしろよ」


 小さく呟き、吐き捨てる迅。やたらイラついてくるのは、日高への呆れのせいか。はたまた、日高を止められない歯がゆさのせいか。たぶん、どちらも正解なのだと思う。


 互いに話すことがなくなり、再び病室に静けさが訪れる。迅は、自分の主張が、日高に認められたとは思っていなかった。千景を信じないという判断は、依然彼にとって許しがたいことだ。文句を言わない、つまり文句はあるが声には出さない、という言い方がそれを証明している。かく言う俺も、日高の狂信には賛成できそうにない。だから今の俺らは、互いを尊重したというよりも、喧嘩してそっぽを向いているだけだ。いずれ話し合わなくてはいけないとは思う。


 しかし。


「千景を信じるかどうかは、正直今考えるべきことじゃない。目下の問題は、俺たちが命を狙われていることだ。早く身を守る策を考えないと」


 迅のこちらの意見には、すぐさまうなずき返す日高。彼は頭の後ろで手を組み、天を仰ぎながら考えはじめた。迅が顎に手を当てて呟く。


「まずは行方をくらませるのが妥当だろうが、それじゃあ一生学院から逃げ回ることになる。きちんと決着はつけないと。やっぱり戦うしかないのか? 日本一の祓魔師集団を相手取って? 先制攻撃を、さらに不意を打って食らわせるにしても、勝ち目があるかどうか……」


 その時、パチンッ、と指を鳴らす音がした。日高が、よく見慣れた笑顔を浮かべていた。純朴に目を輝かせつつも、ニヤリと口角を上げている。


 それは、つまらない日常がひっくり返る合図。胸の暗雲を吹き飛ばす疾風。少年の心を思い出す合言葉。日高のこの笑みに心惹かれ、はじめて連れ出されたのは、いつのことだっただろうか。


「なぁ迅。俺、いいコト思いついちゃった」


 学院一の問題児は、そうヴィランらしく微笑んだ。

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