第三話 噂の街道

噂の街道

まるで、地平線の果てまで続いていそうな草原を、爽やかな風が通り抜けていく。

草原の草花は静かに揺めき、空に登る大きな満月に照らされ艶やかに輝いていた。


そんな動物も、虫すらも眠ってしまいそうな心地の良い夜の中、草原の中に引かれた一本の長閑な街道を旅人が一人歩いていた。

その旅人はその体躯に見合わないほどに大きな皮の鞄を背負い、右手には真鍮製のランタンを掲げ、足元を照らしている。



旅人は、ふと少し先に何かを見つけて足を止める。

そこには年端も行かない小さな子供が一人、こちらを見つめて微笑んでいた。

足元には一輪の白い花が添えられており、子供はそこから動く様子はない。


旅人はやがて再び歩き出した。

そして、通り過ぎようとする旅人に子供は訊ねる。

「旅人さんですか?」

酷くか細く、それでいて透き通ったその声は、薄く張られた氷の様だった。


旅人は再度足を止め、静かに「そうだよ」と返す。

すると、その子はニコッと笑った。

今度は旅人の持つランタンが訊ねる「君は誰?こんなところで何をしているの?」

その子はランタンに向かって「待ってるの」とだけ返した。


ランタンは再び訊ねる。

「一人で?それにどのくらい待ってるの?」

「わからない。いつ迄もかもしれないし、もうすぐかもしれない」

その要領を得ない回答に、ランタンが次の質問を考えていると、旅人は「じゃあね」と言い、その横を通り過ぎる。


その場を後にする旅人に、ランタンは「いいの?」と訊ねるが、旅人は何も言わず前に進む。ランタンが後ろを振り返ると、子供はまだこちらをじっと見つめていた。



「…ねえリゼ。さっきのだけど」

それから数分歩いたところでランタンは再び旅人に訊ねる。


「あんな道の真ん中に置いてきてよかったの?もしかして迷子とかかもしれないよ?」

「連れては行けないからね」リゼと呼ばれた旅人は即座に答えると、二人は暫く沈黙のまま、ただただ月明かりの道を進んでいった。



それからどれくらい経っただろうか、ふと、リゼはランタンに訊ねる。

「ねえエノ。君にはあれが何に見えた?」

「えーっと、さっきの?うーん…小さな子供。女の子の」

エノと呼ばれたランタンは、まだ浅いところにある記憶を思い出しながら、正直に答えた。


リゼは繰り返し訊ねる。

「髪は長かった?」「うん」

「花の髪飾りをしてた?」「うん」

「青いワンピースを着ていた?」「うん」

「綺麗な黒い目をしていた?」「えーっと。暗くてはっきりしないけど多分そう」


そこまで聞くとリゼは、興味深そうに「なるほどね」とだけ答えた。

勝手に納得する彼女に、エノは「だから何?」と訊ねる。


「君はさっき、あの子供は、青いワンピースを着て、花の髪飾りをした、髪が長く、黒い目の少女だと言ったよね?」

「そうだよ?だからなんなの?はっきり教えてよ」

じれったそうにそう言うエノに、リゼは「悪かったよ」と一言謝ってから続ける。


「この長閑な街道には噂話があるんだ、旅人の間で昔から語られる話がね」

「それはどんな話なの?」エノが急かすように訊ねると、リゼは語り始める。


「その長閑な街道の周囲に獰猛な獣はおらず、千里先までも見渡せる程に広い草原は、その透明性故に野党の奇襲も恐れる必要はない。ただただ平和な街道。だが、その街道の真ん中には花が添えられている。この街道で事故が起こったと言う記録は一切なく、ましてや人が死んだと言う噂すら無い。しかし、花は常に添えられているのだ。そして、その花の周辺では見ず知らずの幼い少女が旅人を出迎える。そこにいるはずのない少女が…」

そこまで言うと、リゼは足を止め、エノを目線の高さまで持ち上げて続ける。


「この話と一緒に少女の特徴も語られているよ。長い髪に花の髪飾りをし、青いワンピースを着た、黒い目の少女だ。ってね」

「つまりこう言うこと?いるはずのない幽霊がそこにいるって?」

エノが訊ねると、リゼは「そう言うこと」と、小さく頷く。


「吟遊詩人の創作話か、このただ平和なだけの街道に何か盛り上げる要素が欲しかったのか…由来はわからないけどこの話は自然と広まって、今ではこの辺りの旅人にとって知らない人はいない程にまで成長したんだ」

リゼは、ゆらゆらと揺れるエノを見つめたまま続ける。


「…そしてこの話を聞いた旅人は皆思う《あの平和な街道には青いワンピースの少女が出る》ってね。こうして、旅人の心の中に、いるはずもない少女が生まれるんだよ。そして、そのいるはずのない少女は、この道に現れる…いつからいるのか、いつまでいるのかは分からない。でも確かにそこに居る。これは旅人の思い込みからなる幻覚かもしれないけど、少女は形をなして旅人の前に現れるんだ」


これまで、不規則に揺れながら静かにリゼの話を聞いていたエノであったが、ふと気づき口を挟む。


「でもおかしくない?僕はその噂を今初めて聞いたんだよ?それなのに、なんで容姿が噂と一致するの?そもそも、噂話を実話だと思い込んだ旅人の幻覚なら、僕は認識しないはずだよね…」

リゼは言った。

「…それがとても不思議で。不可思議でだよね」


リゼは続ける。

「言葉は霊力が宿るってよく言われているけど、もし、大勢の旅人の妄想話が媒体となって彼女を成形し、それが噂を知らぬ誰かでも認識できるほどにまでなったと言うのであれば…それは魔法よりも興味深くて、とても面白い話だよね」


リゼの話を聞いてエノは考える。

その子供は自分の質問の答えになんと言った?

彼女は「待っている」と答えた。

本当に人の意識から生まれた存在だと言うのなら、彼女は一体何を待っているのだろう。


「あの子は何を待っているのだろうか」

まるでエノの心を読んだかの様にリゼは呟く。

その、聞きなれているはずの声にエノは少し驚いてしまった。


「彼女を見た旅人は皆そう思う、そして一つの思考にたどり着く。この誰が初めたか分からない噂話に《続き》があったら、《続き》を作ってしまったらどうなるんだろうか…ってね。だから旅人はこれ以上深追いせず、噂も誇張せず、現状のまま話を伝える必要があるんだ。この噂話自体無くなるのが一番良いかもしれないけど、一度広まった噂話なんてそう簡単に消えないからね」

リゼはそういうと、しゃがみ込み一輪の花を摘みあげる。


「それどうするの?」エノは静かに訊ねる。

「ほっといたら花はすぐに枯れてしまうからね。現状維持だよ」

そういうと、二人は来た道を戻り始めた。

ありもしない幻覚に花を供えるために。

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