アイルランド詩人の見る夢

中田もな

haon

 アイルランドの首都・ダブリン。日本とは異なる空気を思い切り吸い込むように、桜井叶さくらいきょうは大きく深呼吸をする。少し伸びた黒髪に、茶色の瞳。中性的な顔立ちの彼は、周囲を行き交う人々を見ながら、改めて荷物を背負い直した。

 単身赴任の父に会うために、高校生ながら初の海外旅行。いきなりの長距離移動になってしまったが、行動に移してしまえば何てことなかった。後は防犯にさえ注意すれば、難なく父と合流できるだろう。近未来を彷彿とさせるエレベーターを利用しながら、彼は早くも心を躍らせていた。

 八月にも関わらず、時折吹く風が実に心地良い。さすがは北国と言ったところで、この分なら、汗だくになる心配もないだろう。……そんなことを考えつつも、ぐるっと辺りを見回してみる。父が言うには、市内へ向かうバスが出ているそうだ。

「えーっと、どれに乗るんだったかな……」

 案内板の下から発車するバスは、二階建てのもの、車体が緑のものなど、様々な種類があった。料金が安いのはどれか、最短経路をたどるのはどれか。不慣れな桜井には、その違いが全く分からなかった。とりあえず、次に来たバスに乗ろう。そう決心した彼は、ぞろぞろと動く人の流れに紛れようとした。


「やあ、こんにちは。君はアジア人だね?」

 ――その直後、背中から飛んでくる知らない言語。桜井は思わずドキッとして、恐るおそる後ろを振り返った。

「久しぶりだな、アジアの人に会うのは。まぁ僕自身、街に出ることは滅多にないからね」

 そこにいたのは、ぶかぶかのフードを被った、気の良さそうな青年だった。彼より少し年上だろうか。キャラメル色のミディアムヘアが、緑色の瞳に掛かって美しい。

「えっ、えっと、あの……」

「あははは、そんなに緊張しないで。ほら、英語も喋れるから。それとも、君は中国人かい?」

 しどろもどろに返答する桜井を見て、青年は面白そうにクスクス笑った。今までアイルランド語で話していたのは、どうやら彼をからかう目的だったようだ。

「あ、いえ、日本人です」

「ああ、そうか。残念だけど、日本語は分からないんだ。中国語なら、つい最近勉強したんだけどね」

 彼の口調はさっぱりとしており、純粋に話す相手が欲しかっただけのようだ。すらっと長い手足の動きからも、彼の親しさが伝わってくる。

「ところで、君はどこに行く予定なんだい? 大聖堂の方? それともダブリン城かな?」

「えっと、父との待ち合わせ場所まで行きたいんです。確か、大きな像の近くの……」

「像? ……ああ、オコンネル像のことか。それなら、次に来る黄色いバスに乗るといいよ。あ、乗り方は分かるかい? 支払いは? お金はあるよね? もしよかったら、僕が払うけど?」

「え、あ、その……」

 矢継ぎ早に飛んでくる英語に、オーバーな動作。少なくとも、悪い人ではなさそうだ。内心では慌てながらも、桜井は少し助かった心地がした。

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