第12話 全ては神の導きのままに⑧
突然の通達に、とある辺境伯はワナワナと震えながら文書を見詰める。それには過去に類を見ない程の大規模な軍備費の縮小の為、辺境も例外無く軍備に関する支援を打ち切るという旨が書かれていた。
「王家は我々を見捨てたと言うのか……っ!」
辺境伯は振り上げた拳を執務机に叩き付けて激昂する。控えた部下達も皆生気の無い面持ちで俯いていた。
国境付近は常に他国と睨み合いを続けている一触即発の地だ。彼の領地だって国が安定していた頃は異民族の土地を取り返さんとする活動は鳴りを潜めていたが、ここ最近は俄かに騒ついているという情報が入って来ていたのだ。
タラスティナ辺境は全て他国や異民族から奪った土地である。少しでも瘴気の脅威に晒されない土地が欲しいという切実な願いがあったのだが、奪われた側からすればとんでもない話だ。どちらも譲れないものがある以上護り通すか奪い返すしかない。
その為貴族の中でも大きな武力を持つ彼等は一層身を引き締めて防衛にあたっていたのだが、ここにきて突然の支援の打ち切りは死ねと言ってるようなものである。
国境が不穏な空気に包まれているにも関わらず何故レオナルドは支援を打ち切ったのか。それは瘴気によって情報の伝達が上手くいかず、王都と地方で温度差が起きてしまっているからであった。
勿論辺境伯達も何度も領地の情勢について報告している。しかし報告書を預かった者が瘴気で迂回を余儀なくされたり、無理を押して突破しようとして命を落としたりした結果、王都に居るレオナルドの元に届いた報告書はどれも情報が古く判断材料にするには危ういものであった。
それでも彼等は期待していた。レオナルドがこの未曾有の危機で国境の警備を薄くするような愚かな行為をしたりはしないと。むしろこの状況だからこそより一層力を入れてくれる筈だと。
しかし齎されたのは無情な通達。辺境伯達が見放されたと絶望するのも無理はなかった。
軍人達を雇う金も武器を調達して整備する金も無ければこの土地の武力は一気に弱体化する。向こうもそれを見逃さないほど馬鹿ではない。間違いなくそう遠くないうちに異民族に奪い返されてしまうだろう。
別に死が怖い訳ではない。貴族であるからには領民を生かす為ならいつでも死ぬ覚悟は出来ている。しかしこの国に恨みを持つ異民族がタラスティナ人である領民を生かすかは不明だ。向こうが民間人に対する扱いをどうするか分からない以上、降伏するのも武の悪い賭けである。
せめて領民だけでも避難させなければならない。しかし今更何処にと考えあぐねていると、控えめなノックと共に紙束を抱えた若い女が入って来た。
女は辺境伯の姪である。彼女の両親、つまり辺境伯の弟夫婦は内陸の土地を治めていたのだが、瘴気に覆われてからこちらに避難して来たのだ。
苦労している姪に心配を掛けさせないよう、彼は苦渋の顔を無理矢理取り繕い「どうした?」と何でもないように声をかける。
見れば姪のマーガレットは眉根を寄せて神妙な顔をしていた。彼女は居候の負い目か、こちらに居る間は場を和ませようとさまざまな話題を振って自分達に気を遣ってくれていた。
弟達の生活費は弟自身が払ってくれている。そんなに気を遣う必要は無いのだが彼女の明るさに心が休まっていたも事実である。
そんな彼女が口を引き結び、怒りを孕んだ瞳でいたのだ。何かあったのかだろうと心配した。
「伯父様……スラムの人間を救助しているアレクサンドラ様に捕縛の命令が下されたのは本当ですか……?」
激情を押さえつける時の震える声が彼女の怒りを如実に表していた。
何を隠そうマーガレットはアレクサンドラの侍女であった。彼女は随分と元主人の事を慕っており、主人が追放された際は彼女の両親曰く手が付けられない程嘆き悲しんでいたらしい。
その上捕縛命令となれば彼女にかかる心労は明白だ。だから弟夫婦達と話し合ってあえてその話は伏せていたのである。
下手な慰めの言葉もかけられずどうしたものかと悩んでいると。
「あの方が……!あの方が聖女を貶めようなんて考える筈がありません!」
「……何故そう言い切れる?根拠はあるのか?」
予想外に強い眼差しと気迫に辺境伯は親しい伯父ではなくこの家の当主として冷静に問う。もし主人を慕うが故の発言であれば気持ちは分かるが窘めなければならない。証拠も根拠も無い発言はいたずらに場を混乱させるだけだからだ。
しかし違っていた。
「証拠なら此処にあります!」
そう言ってマーガレットが腕に抱えていた紙束を机に広げる。何十枚にも及ぶ紙束はどうやら何らかの研究資料のようで、読み進めていくうちに辺境伯の目が驚きで見開かれる。
「これは、もし実現すればとんでもない偉業になっていたぞ……」
そこに書かれていたのは聖女の力に頼らない浄化システムの構築であった。
土台に使う素材は石でも木材でも丈夫であれば何でも良い。それに数種類の材料を使用して一定の手順を行えば、その素材は魔力を貯められる性質を持つようになる。
それを各地に魔法陣を描くよう敷き詰め、毎日少しずつ魔力を流し込む。そして瘴気が発生した際に魔法陣を発動、長年貯めていた膨大な魔力で瘴気を祓うというものであった。
まだ未完成らしく詰める部分もあれば改善すべき点もある。だが聖女に頼らず自分達で対処出来るシステムを構築しようなどとは今まで誰も考えなかったし、それを発想してここまで構築出来る彼女は正しく天才であった。
また問題提起にも書かれていたが、今の瘴気対策は聖女に頼り切っており、もし聖女が病弱などの体質または流行病にかかった場合に、かなりの無理を課した挙句死亡させても可笑しくはない。その為聖女に頼らない浄化システムの構築は急務であると定めていた。
彼女が危惧していた聖女の不調が現実となった今、追放さえしていなければ今頃は道が開けていただろうに。
たらればを考えても仕方がないが、救いの手をこの国が自ら手放してしまった結果が今の状況なのかと思うと増々悔やまれる。
「実はアレクサンドラ様がこの研究を始めたのは歴代の聖女様達の事を想っての事なんです」
肩を落とす伯父にマーガレットは語った。追放される前のあの日の記憶を。
『お嬢様、ご所望のお品が届きました』
『ありがとう。そこに置いてちょうだい』
熱心に書物を読み、時折何かを書きつけるアレクサンドラの集中を切らさないようタイミングを見計らって声を掛ける。届けられた品物は平民でも安価で手に入る物から少し値が張る物まで様々で、アレクサンドラはそれらを刻んだり砕いたり混ぜ合わせたりと根気のいる作業をずっと続けていた。
『でも大丈夫でしょうか?聖女に頼らずとも良い理論を発表するなんて』
「教会から怒られそう……」とマーガレットは不安そうに呟く。
瘴気は聖女しか祓えない。この絶対的なルールが覆せるアレクサンドラの理論は確かに画期的だ。実現すればもしも聖女の身に何かあった時の為の保険にもなるし、過去に存在していたような傲慢な振る舞いをする聖女への牽制にもなる。
それでも伝統だなんだ、神や聖女に無礼だと声高に騒ぎ立てて変化を拒む輩も一定数居るのをマーガレットは知っている。
だからこそ彼女は主人を心配した。主人の事を尊敬し信頼している者も多ければ妬んで隙あらば追い落とそうとする者も少なくない。
主人は小物に潰されるようなヤワな器ではないがそれでも心配してしまうのだ。不遇な環境に置かれても胸を張り、常に気高くあろうとする彼女の障害は少ない方が良い。
しかし主人は彼女の心配にフフッと微笑んで作業の手を止めると『これは未来の聖女になるかもしれない人の為でもあるから』とマーガレットの方へと振り返る。何処か楽しげに煌めいていたアレクサンドラの瞳は今も記憶に新しい。
『召喚された少女達は聖女として敬われ、最上の待遇が約束されている。でも召喚された方にとってはたまったものじゃないわ。だっていきなり家族や友人から引き離されて、常識も文化も何もかも違う場所で一生を終えろと言われるんですもの。ショックだろうし簡単に受け入れられるものではないわ』
『そもそも全く違う世界に住んでいる人間に何とかしてもらおうとするのが可笑しいのよ。自分達の国の問題は自分達で解決する。私は単に当たり前の状態にしようとしているだけよ』
マーガレットは感激した。主人自身は特に大した事はしていないと言いたげだったが、そこまで考えられる人間が果たしてどれだけ居るだろうか。
誰も彼もが聖女の召喚を望み疑いもしていない。現にマーガレットも彼女が言及するまでは聖女にも故郷や家族があるのだと全く気付いていなかった。
やはりこの方に着いて来て良かった、そう感慨に耽るマーガレットに『もし』と静かな声が掛る。
『もし私の身に何かあったら、これだけは守ってくれる?』
その頃には国を追われる予感を彼女は既に覚えていたのだろうか。そんな弱気な事を言うなんてらしくないと、あの時は良い返事をしつつも流してしまっていた。
彼女が追放処分を下された際、マーガレットは半狂乱になりつつも何処か冷静な頭で研究資料を彼女の机の引き出しから自分の私物に紛れ込ませ、怪しまれないよういつでも持ち出せるようにしておいた。
マーガレットのこの行動は正解だった。アレクサンドラが居なくなった事で暇を出された頃には既に古本業者が彼女が集めていた本を引き取っていたからだ。
「……だからあそこまで考えていたあの方が聖女様を貶めるなんてあり得ないんです……っ」
1つだけ守り切れた証をマーガレットは手を握り締めて見詰める。主人は強かな人だ。追放先でも居場所を確立して主人らしく生きられるのならそれでも良いと思っていた。
だがこれ以上主人の名誉を貶められるのはもう我慢ならない。危険を冒して民を救う為に戻って来たあの人の行いを、聖女に取って代わろうとしているだなんて何処まで悪し様に言えば気が済むのだ。
姪の話を聞いた辺境伯はある決断をした。アレクサンドラが何故戻って来たのか、本当のところは本人にしか分からない。彼女らしくない考えが浮かんでしまったのかもしれないし打算も含まれているのかもしれない。だが少なくともこの研究には敬意を示さなければならないのは確かだ。
辺境伯の頭に友人のアイゼン伯爵が思い浮かぶ。彼は瘴気が再発した直後から別の土地に領民ごと移住をしており難を逃れている筈だ。自分も共に避難するよう声を掛けられたが、あの時は国境を守る為に此処から離れられないと断っていた。
状況が変わった今、虫が良いとは思うが彼を頼るしかない。
「話してくれてありがとう。さあ部屋に戻りなさい。私はやらなければならない事が出来たからね」
「どうかお願いします」と懇願するマーガレットを促し部屋に帰らせる。辺境伯は早速引き出しから便箋を取り出すと一心不乱に文字を綴った。彼女の研究はこの国に残された最後の希望だ。絶対に闇に葬られてはならない。彼はそれから寝る間も惜しんで机に向かい続けた。
友人の移住先だけではなく、地形の関係で比較的瘴気が薄く人が住める土地にも彼女の研究の写しを送る。より多くの人に興味を持ってもらえるように。
ただしタダではくれてやらない。わざと途中までの写しと共に、領民を受け入れてくれれば改めて完全な写しを移民団の代表に持たせると手紙に認めた。
部下にも代筆してもらったお陰で土壇場でも複数の地域から受け入れの承諾が得られた。流石に全ての領民を受け入れられる土地は無く分散してしまうが背に腹はかえられない。
家族とも話し合い家財道具や銀食器、宝飾品や衣服など余程大切な物以外を売り払って得た金で移住の費用を賄い、ギリギリまで軍備を維持した。どうせ大事に取っておいても攻め来られれば略奪されてしまうのだ。だったら先に自分自身で処分してしまった方が遥かにマシである。
辺境伯や部下達の努力もあり、兵の数が減る前には殆どの領民は移住先へ出発出来ていた。
そしてその時は訪れた。
火の手が上がる屋敷を遠くに見ながら辺境伯の妻や子供達は侘しく身を寄せ合う。恐らく他の馬車に乗っている者達も最後の姿を眺めている事だろう。
辺境伯は最後の領民や部下を複数の馬車に分けて乗せ、友人が住む土地へと急ぎ走らせていた。食料は少しだけ余裕を持たせているが荷物は最低限、きっと目的地に着くまでは辛抱しなければならない旅になるだろう。
実は彼は本当は屋敷と運命を共にする筈だった。直接的な要因は王家にあるとは言え領地を守れなかったのは事実、当主としてその責任を負うつもりだったのだ。しかしそれを引き止めたのは家族達や部下、そして領民達の言葉だった。
『「全員」の中には貴方も入っているんです。子ども達の為にも一緒に行きましょう?』
『僕達は父上から教わりたい事が沢山あるんです。話したい事も……まだ沢山あるんです……』
『お願いします。私達をどうか「主を守れなかった不忠者」になさらないでください』
『領主様が此処に残るって言うんならオレ達だって残ります!梃子でも動きませんからね!』
結局周囲の説得に根負けして生きる道を選んでしまった。何も言わずに死ぬつもりだったが、妻と部下にはそのような事はお見通しだったらしい。
辺境伯達はその後無事に友人が待つ土地へと辿り着き彼と再会する事が出来た。他の土地へと移住した民からも全員無事の連絡をもらい安堵した辺境伯は「良かった」と頻りに呟きながら嗚咽したそうだ。
しかし彼等のように辺境で全員無事でいられた例は少ない。大抵の辺境は領民の避難もままならない中で兵士数の減少を察知された隣国と戦闘が複数回発生し、時間と共に領民と領地を少しずつ失う事になる。
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