Chapter1 【Revelator ―キボウ―】
6話 地上人、初めて天上人に脅される
トライクを駐車場に止めるようとブレーキをかける。
「っとと、危ない。タイヤの寿命がもったいないぞ、と」
台車に載せた鉱物が重く制動距離が長い。
僅かにタイヤが砂粒を転がしてずずず、と車体を斜めに滑らせた。
駐車場とは名ばかりで屋根も白線もありはしない。ただ使うべき道具をキャンプの外れにまとめているというだけ。
決まった位置に決まったものが置かれていれば連絡する手間がはぶける。あとは担当の者が鉱物の載った荷台を検品して積み下ろすことだろう。
ヘルメットを脱いだミナトはポケットから小型のディスプレイキーをとりだす。
「42950、エンジン停止。自己診断エラーがあったら登録済み所有者のナノコンピューターにアップデート」
トライク側のディスプレイに肯定の文字が表示されたことを確認することも忘れない。
42950。これが彼、トライクの製造番号である。そして所有者はキャンプの管理人であるディゲルだった。
少年ミナトにとってもこの無骨はそこそこに付き合いが長い。
走行距離が0のころから共に生を歩んでいるため愛着が湧いている。
「今日もおつかれさま」
座席にヘルメットを投げてぽん、とグリップを叩く。
心通わぬ備品への労いは労働の一環ではない。
グローブを外し汗に濡れた前髪を右手で掻き上げると、乾燥した風が涼を運んで心地が良い。
「さて、あの惨状をなんと報告したものやら」
そうやって言葉を選びながら額を晒しひと息入れた。
周囲に気を配れば、なんてことはない。いつもと変わらぬ見飽きた景色が広がっているだけ。
一帯にはシェルターワンルームテントがわんさと敷き詰められている。はためくほど薄い生地を支える小骨のような骨組み。素材は軽量かつ劣化に強い生体繊維のため作りは見た目以上に頑丈だ。
1世帯に1人が住むには持て余す。だが人員は常に不足しているためすべての世帯に1人住んでも余りある。誰とも関わり合わずに寝食をとる
「もう派遣部隊とやらは到着してるんだよな。顔見せくらいにはいこうと思ったけど……ちょっと気がのらないな」
ミナトは移動を開始しようとしてふと足を止めた。
あちらは
そして帰る場所にはキャンプの元締めであるディゲルが君臨している。ならばノアの派遣部隊とやらはまず間違いなくそこにいる。
「よし。空気圧とベルトでも目視点検してからゆっくり戻るとするか」
なんか会いたくねぇな、と。ミナトは停車させたトライクの側へ身を翻す。
天上人と顔合わせして良いことなんぞ0コンマ1mmだってないのだ。
「こっちは不潔で雑菌まみれの地上人。あちらさんは無菌温室育ちで吸っている酸素の質すら違うってな」
ぶつぶつ、と。劣等感満載に愚痴を吐きながら適当にメンテナンスをはじめることにする。
メンテナンスといってもやることはあまりない。基本の点検はCPUがオートで済ませてくれている。
だからやることといえばホイールの油汚れを拭いたりという清掃じみたもの。
このていどのことでもやらないよりはマシ。機械というのはそれそのものが1個体ではなく、部品部品が生命線なのだ。
それに運転手の命は1つきりなのも重要である。手抜きをして仕事中に黒煙でも吹けば取り返しがつかぬことになりかねなかった。
「そういえば派遣部隊って3年位前の第5次で打ち切りになったんだっけ。あの派遣部隊全滅の一件以降ノアからの部隊派遣はぱったりなくなったんだよな」
なんでいまさら、なんて。お上の都合が地を這う旧世代に知らされるはずもなく。
ミナトはトライクに跪くような姿勢で、ぼんやり手癖のようにメンテナンスを進めていく。
アザー派遣部隊は今回が初めてではない。そして第5次の時点で総死者は120人にも及んだ。
このアザーという未開惑星には死が先住している。生に貪りつく悪夢の如き原生種族がそこいら中を徘徊していた。
連中は人を察知する。そしてその幾重にも生やした腕で人の身体が散り散りになるまで弄ぶという攻撃性をもっている。
捕まれば最後、助かる見込みはない。ゆえに現段階では逃げることこそが最良の手段とされているのだった。
――オレだってそうさ。生き方を教わらなかったらもうとっくに……
ふと耽美な横顔が脳裏をよぎって視線の影が伸びる。
過去に姉がいた。今はもういない。
彼女は無口で感情表現が下手な姉のような存在であって、命の恩人だった。
ミナトは振りほどくみたいに雑に伸びた髪を振ってから顔を上げる。
「助言を聞けばあんな犠牲を払わなくてもよかったってのにさ。どうせ今回の連中も天上人様お得意の能力が使えるから心配無用とか思ってるんだろうなぁ」
盛者必衰、油断大敵。口にしながらミナトはせせら笑う。
どれほど超能力や科学兵器をもっていようともしょせんは初心者。ここは熟練者の
「その言葉なら知っているわ。おそらくアナタなんかよりもずっと、ね」
メンテナンスを終えて伸びをした体勢のまま時が止まった。
首元にひやりと冷たいものが当てられている。視界の端に赤く光沢のある鉄の板のようなものが微かに見えた。
ミナトは自身と重なる別の影を理解し、慌てて振り返った。
「動かないで」
そして耳にした予感と視界に佇む姿を照らし合わせることで初めて憶測が確信へ至る。
「――お、おんなのこ!?」
振り返った先には少女が立っていた。
その少女は切れ長の目を細めながらまるで虫けらでも見下すが如くミナトを睨んでいた。
手にした赤い長方形を真っ直ぐこちらの首に差し向ける。
「な、んでこんな場所にっ!」
ミナトは余りに唐突な事態に息を呑んだ。
――ど、どうしてこんなところに……しかも女の子?
まず少女という存在があまりに現実味のない相手だった。
少なくともその雑な人生に女性という異性が現れたのは、ただの2回だけ。どちらも同居人。
そしてなにより少女は美しかった。
女性として美しいかといえば、また別の話。たかが地上人が美醜を見極められるほど肥えた目をしているはずがない。
この星で生まれ育ったミナトにとって目の前に佇む少女は、とにかく正確だった。精巧と言い換えても良い。
汚れなき白い肌、宝玉の如く一切の曇りなく澄んだ瞳、良く梳かされ枝毛ひとつない髪。それらすべてが1個の生命としてそこにいるということさえ奇跡のように思えたのだ。
「……。アナタに質問があるわ。拒否と黙秘の権利は当然皆無よ」
あっけにとられているミナトの首に赤い長方形が、ぐい、と押し当てられた。
少女は一瞬唇を噛むような素振りをして、淡々とした語りをつづける。
「ただ私が尋ねたことに対して誠心誠意を尽くすことのみが許諾されている」
「……? なんだこれ?」
対してミナトはもっとも近くにある物体に興味を惹かれてしまう。
先ほどからついぞ首筋ギリギリの辺りに置かれている長方形があった。
面の部分は薄汚れた少年の顔が映るほど綺麗に磨き込まれてまるで鏡のよう。
ミナトは何気なしにその赤い鏡面物体に触れてみた。
「……あ」
「……あっ」
ただ触れただけ。
なのに手の中央辺りを走る線に沿って僅かな痛みが生じた。
見れば、横一線といった感じで掌の皮膚が裂けている。そこから徐々にじわり。鮮血が染み出す。
ミナトが「すごいなこれ」と己の傷に感想を漏らした直後。悲鳴じみた叫びが鼓膜に衝撃となって伝わってくる。
「馬鹿じゃないの!? なにやってんのよ!?」
少女はびくっ、と全身を震わせた。
かと思えば手にした武器らしきものをおもむろに放り投げる。
「高周波のブレードに素手で触れるとかなに考えてるの!? もし強く握っていたら痛みを感じる前に手が切断されてるわよ!?」
早く傷を見せて! まくし立てられるままにミナトは「あ? は、はい?」少女に手を差し出す。
と、彼女はかぶりつくような勢いでしゃがみこんで傷を凝視した。
「はあ……良かったぁ……。軽く触れただけだったから表面だけが斬れただけ……」
大げさに吐息を吐く。
そうしてなにやらごそごそと幅の広い腰辺りをまさぐって道具をとりだす。
「そ、それってヒールゼリー? 高いやつじゃないのか?」
「泡状で傷口に濡れば凝固するタイプの治療器具よ。止血と保湿が可能なゼリータイプの最新式で、アナタが言っている物よりもっと高いやつなんだから」
「そんなすごいものをこのていどの傷に使うなんてもったいないって!」
少女は、ミナトの制止を一切聞こうとせず、傷に泡を塗りつけていってしまう。
そうなってしまってはもう後の祭り。アザーで治療道具なんてものは宝石以上の価値がある。
「う、うわ、どうしよ。これってビーコンのポイントいくつぶんになるんだ?」
「まだ動かないで! その上に包帯を巻かないと泡がすぐに剥がれちゃうから!」
慣れていないのか少女の包帯を巻く手は非常に不器用だった。
しかしミナトでさえもはや混濁の極みを彷徨っている。
目の前に年が近い少女がいて、彼女が四苦八苦して動くたび髪が鼻先に触れた。嗅いだことのない甘い香りが鼻腔を満たす。
「き、きみは……さっき着いた派遣部隊の子かなにかかい?」
「そうよ! あーもうなんでこんなにねじねじになっちゃうの!?」
どうやら衛生兵でないことは確かだ。
清潔な包帯が無駄に折り重なってミナトの右手がどんどん球状に膨らんでいく。
つまるところこの子は天上人――選ばれた人間ということ。与えられし者、
――なんか、思っていたイメージとの乖離がすごいな。しかも普通に親切ないい子だ。
唾でもつけておけば治るほど小さな傷を前に、この慌てふためきよう。
地上人を相手に威厳、驕りの類いは微塵もない。しかもぱっと見てただ年相応の少女でしかないのだ。
そうしてようやく少女は苦闘の末に包帯の処置を終わらせる。
「ふぅ。これでオッケーね」
ひと仕事終えましたとばかりに白い手をぱんぱん、と軽く払う。
そしてくるりと踵を返し鷹と思えば赤い武器を膝を曲げずに拾い上げる。
流れるがままに呆然と眺めるミナトへ突きつけ直す。
「ということで、こほん」
可愛らしく咳払い。
すると同時に――いまさら――キリリと表情を引き締めた。
「ここの1番偉い人が住んでいるところって、どこなの?」
「……しかもまさかの迷子かぁ」
宇宙からやってきた偉そうな少女は、迷子だった。
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