3話 Tears in the sky ―クライ セカイ― 3

 白い光が瞼を透かす。沈んでいた意識が浮上していく。引き上げられるみたいに意識が覚醒していく。

 見ていた夢の内容は覚えていない。ただなにか嫌な夢を見ていたという胡乱な感覚だけが残っている。

 指1本すら動かすのも億劫と思えるくらい体がだるい。ここ連日の激務がつづいていたせいで心身ともに疲弊を自覚しつつあった。


「あ”~、だるい」


 濡れ湿ったオイリーな髪をボリボリと掻く。垢が爪の間に挟まって爪先を黒く染めた。

 歯は定期的に磨いて清潔を心がけているというのに、寝起きの口内はベタベタとしている。洗口液や歯磨剤しまざいでもあればこの不快感から解放されるのだろうか。


「…………」


 しかしまだ起きるという選択肢はない。

 半目ほど開きかけた瞼を、再び閉店へと追いやる。開店には準備がいるものだ。

 寝袋の中で体をよじるとひんやりした空気が首元から入りこんでくる。寝袋の中で蒸された肌の表面を冷気が不躾に撫でていく。

 寒気を胸元に感じて少年はぷるり、と。身を震わせる。


「めいれいつうじょうもーど、へんこう」


 もぞもぞと芋虫のように体をひねりながら声を発す。

 自分でも驚くくらいしわがれて低い音が漏れた。

 と、神経の鈍い起床僅かな身体の表面に、這うような感覚が昇っていく。ボクサーパンツの形状をした流動生態繊維が通常の形をとり戻していった。

 ひとまずの暖を確保し渇いた喉から安堵を奏でる。


「あさ、か」


 そして仰向けになりながら再び微睡みに身を委ねた。

 先進技術というのはこうも生活水準を向上させてくれるのだ。

 プログラミングされた微生物によって形作られた下着は時としてウィンドブレーカー代わりにもなってくれる。しかも身にまとうだけで人体の垢まで隅々清掃してくれるのだから頭も下がるというもの。


「どうせなら頬っ被りにして頭の垢もとってくれればいいのに……まったく作った未来人どもはかゆいところに手が届かない連中だ」


 そうやって誰が作ったのかもわからぬ未来技術にケチをつけつつ、しばし時を待つ。

 間もなく音がちかずいてくる気配を察す。

 ぺたぺた、と。小気味良い足音が部屋の外から岩壁を反響してくる。


――今日はプランPでいくか。昨日のプランBは効き過ぎたから少しソフトにしておくぞ。


 これこそが閉塞感のある生活で唯一の清涼剤だった。

 少年は、足音が近づいてくるのを尻目に、寝袋の引き上げて頭ごとすっぽり隠れる。


「おはようございまーす」


 扉のない枠から、ひょっこり。

 見目麗しくもあどけない顔立ちをした少女が身体を傾けながら部屋を覗き込む。


「まだおねむですか? もしもし?」


 おねむ、だなんて。言葉使いまでもが愛らしい。

 少年は、少女の登場にはやる気持ちを押しとどめながら、無言を貫く。


「……ぐぅ、ぐぅ……」


 これくらい良いではないか。勤労に励む毎日に色をつけるため一芝居打つくらい。

 そう、自分に言い訳をしながら呼吸深く、まるで未だ夢を彷徨っているかのようにそら寝を決め込んだ。

 これが狡猾な罠だと知らず少女は暢気なもの。てて、と小走り気味に少年の眠る寝袋の隣へ駆け寄っていく。


「今日もどんより空模様ですけど朝ですよー。それとディゲルさんが話があるとかで呼んでますよー」


「……すや、すや……」


「なにやらお願いしたいことが2つほどあるらしいんです。1つは急用とかなんとか」


 小股に近寄ってくる足音が少しずつ大きくなっていった。

 寝袋の中に籠城していても気配が近づいてくるのが顕著に理解できる。


――もう1歩、あともう1歩で射程範囲!


 あと1歩ほどきてくれれば射程圏内。

 わくわくとした感情に煽られながらも神経を過敏に尖らせ気配を探る。

 すると少女の近づいてくる音がぱたりと止まった。


「もう……止めちゃいますか?」


「っ!」


 どくり、と。少女の声によって心の臓が跳ね上がった気がした。

 寝袋の薄い生地越しに色褪せた声が聞こえる。


「もう無理しなくてもいいんですよ? もう私たちは十分たくさんのものをいただきましたから……」


 あまりに無色透明だった。

 感情の欠片さえ感じられぬ抑揚のない問いかけだった。

 こうなってしまったのであれば起きるしかない。

 今日のところはこのあたりが関の山と、少年が跳ね起きる。


「とおおお! おはようございます! すがすがしい朝ですね!」


「――きゃぅ!?」


 勢いよく飛び起きると、少女は短い悲鳴とともに目をまん丸にした。

 そして起きがけに腕を振り上げる。彼女の白い裾をわあ、と連れてまくり上げる。

 油断しきっていた少女のワンピーススカートが強引にめくられた。

 足先から付け根まではおろか小さく口をあげたヘソまで朝日の下に暴かれてしまう。


「今日のチャチャさんは淡い桃色に黒いリボン付きか。うーん……それだと白いワンピの布地で透けちゃうんじゃないかな」


「わ、わわっ、はうぅ!?」


「いくら男っ気から逸れてるとはいえ油断するとなにがあるかわからないからね。でもまあ普段見えないところでおしゃれをがんばっちゃう女の子は個人的に2重丸」


 それからめつすがめつ。硬直した少女の下半身を舐めるように検分していく。

 なんとも抑揚の甘い腰回りか、骨盤と尻の境が曖昧。そのくせ胸はほどほどに、年相応くらいはあるだろう。尻回りが少々か細い。


「スレンダー体型とはいえなくもないけど、ちょっと痩せぎす型か。昨日プランバストで掴んだ胸はほどよき感じだったから健康的ではある」


 少年のリサーチが進むと、同期するように少女の顔がどんどん真っ赤へ染まっていく。


「きゃっ――きゃあああああああああああああああああ!!?」


 そして血色が頂点にまで達したあたりで遂に爆発した。

 打ち上がった悲鳴は無骨な岩の壁をキンキンと反響して縦横無尽に暴れ回る。

 またそれがさらに鳴子となって新たな気配を呼び寄せるのだ。


「くおらぁ!! ミナトォ!! またチャチャにチョッカイだしてんだろォ!!」


 チャチャの清楚な足音に比べてそのずかずかと豪快な足どりときたら。

 さらには低い胴間声に巻き舌気味の粗暴な声。筋骨隆々の無頼漢が部屋の中へと割って入ってくる。

 そこでミナトは颯爽と挨拶を済ます。


「ようディゲルおはようさん。次からはぱしりを使わずオレに伝えたいことがあったら自分で言いにきなさい」


「ようじゃねぇぞ馬鹿野郎! 毎朝毎朝チャチャにトラウマ植え付けんの止めろッつってんだろ!」


「だってチャチャさんってば毎朝引っかかってくれるんだもん。こっちとしてはやるしかないじゃないか」


 相手が男2人分ほどの巨漢であっても引くことはない。

 ディゲルが青筋立ててまくし立てるも、ミナトはまったくもって上の空を決め込む。

 それどころかミナトは、テーブルの上に畳まれている着慣れた衣服の着用を始めていた。

 ぴっちりスーツの上に化学繊維たっぷりのジャケットを羽織る。あとは頑丈なデニム素材のパンツを履いてベルトを絞れば完成。

 しゃれっ気はないがそれで構わない。しょせんは作業用に着ているだけ。誰かに率先して見せようという気はさらさらないのだから。

 ディゲルは、貴重でもない男の着替えシーンを、頭痛を堪えるような険しい表情で眺める。


「あのなあ……そうでなくても安定期だっつーのに変に刺激すんじゃねぇよ……」


 僅かに声を潜め、ひそひそ。

 対して着替えを終えたミナトも付き合う。


「だからこそだろ。いつまでも我が家のお姫様のままにしておいたら籠の中のチャチャさんだって」


「にしたってやりかたってもんがあんだろ。男性恐怖症相手にスカートめくりはどう考えてもよろしくねぇ。というかお前の場合デリカシーってもんが欠如してんだよ」


 ディゲルも不器用な30代巨漢ながらに細心の注意を払っている。

 チャチャという10代そこそこな年頃の女性を持て余しているのだ。


「デリカシーのないヤツに育てられたからな」


 その辺を理解しているからこそ、からかう者もいると言うだけの話。

 着替えを終えたミナトは、「テンメェ……!」憤るディゲルを無視し、ちらと様子を確認した。

 小汚い部屋の隅。荒土の地べたが剥きだしになった4隅の一角に白いモノが詰まっている。


「……ミナトさんなんてキライデス……キライデスなんてミナトさん……」


 チャチャはワンピースを帯びた背を丸く、壁に向かって呪詛を吐き連ねていた。

 どうやら昨日の胸鷲掴みよりも効き目が良すぎたらしい。胸よりパンツ、乙女心というのは推して量れるものではない。

 とりあえず家族の元気を確認したミナトは、もう1人の家族に尋ねる。


「で、オレに用ってなにさ。またノアからの施しのピンハネでも通達されたとかか」


「おっかねぇこと言うなよ。嗜好品の施しも皆無だってのに食料と水まで絞られたら土食うしかねぇぞ」


 ディゲルとチャチャ、そしてミナト。これでこの石造りをした些末な家屋に住まう家族の全員が揃った。

 家族とはいっても血の繋がりがあるわけではない。ただ同じ空間で時を共有しているだけ。

 目がくりくりとして鼻の高いチャチャは、おそらく白人の血が濃い。顔のパーツの凹凸がくっきりと彫りの深いディゲルだって似たようなモノ。

 方舟から食料を配給してもらうため仕事をこなし、日々を生きるために支え合う。少なくとも2人の過去を知らぬミナトでさえ、絆という不鮮明な繋がりを信じられるくらいには長い付き合いだった。

 あとはつつがなくこの高級住宅にも等しいビーコン屋の作業を開始すれば世はこともなし。

 と、ディゲルはバツが悪そうに強面をうんとしかめる。


「そういや昨日帰ってきたときに声かけただろ。Bキャンプとの連絡が一切とれなくなった」


 そう言いながら女の腰ほどもある腕をぐるりと回した。

 ミナトは、機械油で汚れた指を輪郭に添えて、しばし記憶を辿る。

 先日は心労でくたくただったため寝袋に直行したところまでは記憶にあった。そしてなにやら物騒な話を、話半分に聞き流した――……ような気がする。


「あー……そういえば昨日は疲れて先祖返りしてたんだった」


「先祖返りはボケの暗喩じゃねぇよ。生まれの記憶すらないのにあほなことヌかすな」


「おっと、うっかり忘れてた」


 なーんちゃって、と。ミナトは肩をすくめておどけてみせた。


「ったく。くたばる直前みてぇな面で帰ってきたと思えばこの騒ぎだ。無駄口たたけて両足で立てんなら問題はなさそうだな」


 それをディゲルはまるでいつものこととばかりに重いため息で流すだけ。

 岩盤の如き腰に手を構えると、筋肉ではち切れんばかりに膨れたランニングシャツが窮屈そうに丈を上げる。

 なんだかんだと言って気にかけてくれていたらしい。ミナトは、ディゲルのボーリング玉のような肩をぽんと叩いて廊下側へと、すれ違う。


「今日も楽しい労働に勤しんでくるよ。それと……嫌な予感がするからBキャンプの様子も遠間から軽く確認してくる」


 「それでいいか?」「おう」男同士それほど多くの言葉は必要ない。

 どこかの馬の骨がこうして集まっているのだ。そうなると自然に余計な詮索というものはしなくなる。


「じゃあ行ってきます」


 ミナトが流れるがまま部屋の外へ繰り出そうとした。

 すると横から野太い腕が伸びてきて首根っこを捉える。


「まだ話は終わってねぇ」


「…………」


「そういやオメェ3日なにも食ってねぇだろ。話聞きがてら朝飯も食ってけや」


 ディゲルの声は低く、それでいて気迫が籠められていた。

 鷹の如き鋭い眼光は有無を言わさぬという脅し。

 睨まれたミナトは、はは、とわざとらしく笑ってみせる。


「ああそうだ、思い出した。そういえば3日くらい食事するのを忘れてたよ」



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