BREVE NEW WORLD ―蒼色症候群(ブルーライトシンドローム)―

@PRN840

Chapter0.8 【Tears in the sky ―クライ セカイ―】

1話 Tears in the sky ―クライ セカイ― 1

 地平に2つぶんの影が落ちる。

 2人の周囲に吹き抜ける風を遮るものがない。枯れて吹き荒ぶ砂塵が互いの他人ほどに空いた隙間を舞っていた。

 生命が時を止めた孤独な荒野で、世界には立体的な紅の雲海のみが流れていく。


「伝えられることは全部伝えた。だからもう私は貴方たち人類を守ってあげることはできないということをわかってほしい」


 バタバタ、と。亜麻色をした裾の音が声を遮った。

 暮れ前の湿り気を帯びた風が薄汚れたローブを流して踊らせている。膝まで隠れるような長尺からは黒く肌に張りつくが如き生地に覆われた足がすらりと伸びる。

 発した側は長身で声は高く、毒気のない繊細な音色を響かせた。


「私はこの世界を終わらせないために向かう。とはいえせいぜい存続が緩やかになるていど。僅かばかりの時間を稼ぐことしか出来ない」


 少女はフードを目深にかぶっているため表情を垣間見ることは難しい。

 冷然とした語りで淡々と。目の前にいる少年へと一言一句をはっきり言い聞かせていく。


「…………」


 対して少年は高い位置にある彼女の顔すら見ようとすらしない。ただうつむくだけ。

 若き少年にしては長いまつげの影を伸ばしたまま佇んでいる。

 その2人の身長差はちょうど頭1つぶんくらいか。まるで姉弟が対面しているかのような風体だ。

 息吹くことのない枯れ果てた土地で、僅かに幼き少年と未だ成熟とは言えぬ少女が静かに、そこにいる。

 少女は、彼の視線が自分に向くと、微かに声色を和らげた。


「貴方には2つあるうちの1つを託した。それは私にとっても大切な……宝物よ」


 そう言って黒地に覆われた長い指で、少年の手元を差す。

 示された場所には彼の身の丈と変わりないほどに長い鞘入りのブレードが握られている。

 幼き身に余る代物だろう。だからか少年は手にした鉄塊をぶら下げるようにしてようやく握りこめていた。


「刀の名は幻想刀。その名の通り……と、すべてを知った貴方には説明するまでもないわね。それで少しでも長く家族を守ってあげて。終焉へと向かう世界で1秒でも長く生きられることを願っている」


 少女はなだらかな肩をすくませる。

 次いでふふ、という声を漏らす。

 それでも目深にかぶった影に覗く口元は決して弧を描くことはない。

 怜悧な瞳が少年のことをじっと見据えていた。


「……っ」


 少年は、彼女をよく知っていた。

 知っていたというのは違うのかもしれない。ならばことこの場において知らされたとすべきか。

 彼女は出会いから別れの時まで一切素性を明かすことはなかった。そのはずだったのだがすべてとは言わずとも明かされてしまったのだ。知りたくもなかった過分な知識が無理矢理与えられてしまった。


「そしていずれ貴方はノアへ向かい知ることになる。人という種族がどのような惨状の上に立たされているかを、認識しなくてはならないから」


 こちらの気も知らず、汲もうともせず、設けようともせず、委細いさい構わず。

 きっと彼女は影の奥でいつも通りの冷徹面しているのだ。臆面もなく貼りつけているのが容易に想像できてしまう。

 だからそうやって少年が声を返せずにいたとして、彼女は眉尻ひとつ動かすことはない。


「これで世界の真実を知っているのは貴方だけしかいない。あとは蒼に目覚めた貴方がこの終末へと収束する世界にとっての希望――ううん、道標。人種族を先導する光となってあげて」


 勝手なことを言う。そう吐き出せたらどれほど胸がすっとしただろう。

 少年は噴出する感情を悔しさとともに噛み締めた。

 奥歯がぎりり、と弓引くような鈍い音を奏でる。目いっぱい力を籠めて握りこんでいた鞘入りの刀もカチカチ震えた。


「それじゃあ。貴方たちの健やかな生活を切に祈ってる。せっかくこうして出会えたのだからせめて世界が終わってしまうまでは幸せに生きてほしい」


 勝手なことを言うだけ言って少女は身を翻そうとする。

 唐突にびょう、という振り払うような強風が彼女の被った布をさらう。


「――うっ!?」


 そして少年も正面から叩きつけられるような砂粒をいっぱいに浴びた。

 ようやく輪郭の整いつつある未成熟な顔を歪ませる。開いている方の手で砂と前髪を払いのける。

 ごろごろと異物感の残る双眸で再び世界を映す。と、あふれるように広がった景色の向こう側で流麗な銀の髪が踊っていた。

 砂塵舞うなか少女の髪が扇の如く流れ開く。腰ほどの長さの銀。僅かに黒が斑の如く混じり合う。


「忘れろだなんて無責任なことは言わない。だけど……ううん、違う。私は確かにここに存在していた。貴方だけにはソレを覚えていてほしい」


 ほらやっぱりそうだ、なんて。少年は、「だって寂しいもの」という音を聞きながら光源の下に晒された少女の横顔を見て確信する。

 鼻筋もくっきりとしていて輪郭もシャープ。未熟と言うには大人びて、表情は凜として儚い。だからといって成熟というには若々しい。

 きっと彼女は美しいのだろう。しかし少年にとっては育ての姉のような存在であり、恩人であって、限りなく他人である。特別な感情なんて欠片もありはしない。


「……。ここ人の住まうべきではない世界」


 少女はしばし少年を見つめてローブの襟元を引き上げた。

 口元を半分ほど隠し、それからさっ、と身を翻す。


「苦しみながら生きるか、幸福な死に身を委ねるか。これから貴方がどういう行動をとってどういう形に行き着くかだけは自由であるべき」


 僅かに細められた銀の眼差しが哀愁と思しき残光を置き去りにし、ローブの裾がはためく。


「さようなら。この神なき世界にさちある未来を」


 だから遠ざかっていくその背に言わずにはいられなかった。


「……お、俺は……!」


 濡れたまつげを振ってでも叫ばずにはいられなかった。

 たとえフチに溜めた涙がこぼれたとしても伝えなければ気が済まなかった。

 少年は、未来ある有望な顔を鬼気として歪める。烈火の如く燃えさかる怒りを喉奥から絞り出す。


「その選択をしたアンタを……絶対に、絶対に許さない!」


 吹き荒れる砂塵の中に渦巻く激情は、もはや慟哭でしかなかった。

 結末なんて、課程なんて。彼にとってそのすべてがどうでもよかった。

 許せなかったのは彼女が絶対に犯してはならぬ禁忌を犯したということ。下してはならぬ下策をその手で遂げてしまったということのみ。


「あ、アンタは……おま、えは……っ!」


 思いの丈を吐きだしたいのにうまく言葉が繋がらない。

 ぐずぐずと鼻をすすって、刀さえ手放し、膝が黄土色の砂地へと落ちた。


「笑ったんだぞ……!  それをあんたは……摘みとるような……っ、あんまりじゃないか!」


 板を引っ掻くような甲高くも子供らしい癇癪は、もはや聞きとることさえ難しかった。

 あふれる涙が乾いた地に流れ、湿らせ、見る間もなく乾いて。小さな手で拭っても拭っても止まることはない。

 家族が流せぬから滲みだす、大切な者が信じていた者に裏切られたという悔しさ。

 なのに風の音をおいて足音は遠く、遠く。沈みゆく鈍い紅の方角へと遠ざかっていってしまう。


「アンタはこの死の世界でみんな生き方を教えてくれた恩人だった! それでも俺だけは絶対に許さない!」


 一陣の突風が少年の丸く華奢な背を押した。

 吐き出した恨み言が風に舞いあげられた砂塵に乗って流れていく。

 と、少女がはたと足を止めて振り向いた。


「ありがとう、そのまま私を許さないでいて。そうしてくれるだけでここにきた意味があるのだから」


「っ!?」


「だって私……もう帰れなくなっちゃったんだもん」


 そう言って彼女は2度と少年の前には現れなかった。

 姿を消した。頬を濡らす一滴を置き去りにして。

 後に少年は思う。

 あれは彼女がはじめて見せた本当の顔だったのかもしれない、と。

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