彩花さんは おはなやさん🌸
SOLA
彩花さんは ××を売る
いつから浮気した方が叩かれて
浮気サレたほうが可哀相って図式になったんだろう?
男の性分もあるけれど、浮気サレる女にも それなりに理由があるんじゃないの?
なーーんて?
それは言っちゃいけない暗黙の了解。
知ってる。みんな サンドバッグが欲しいだけだもんね?
「浮気した方が悪い」なんて口実。誰かを虐めたいだけ。すっきりしたいだけ。でしょ?
そうやって現実から逃げたいだけ。でしょ?
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芸能人の不倫についてアレコレ言ってる川島さんはもう一週間以上、旦那さんが家に帰ってきてない。自分の息子が部活で優勝したとかどうとか自慢してる水嶋さんは息子の部活のコーチとデキてる。いつも夫の愚痴を言う佐藤さんは旦那さんと家庭内別居中。ブランド物を持っては他人を見下しがちだった小林さんは先日離婚を言い渡されてこの町から引っ越していった。
ご近所の人はなんとなく理由がわかってる。
でも、だーれも なーんも言わない。
誰が悪いも 誰が正義かも。わかっていても口にしない。
それが「正解」だもの。
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いつも愚痴を吐いてばかりの佐藤さんは少女漫画な理想の王子様を現実の男に押し付けてた。それで旦那に避けられるのは普通じゃないの?ヒステリー女から男が逃げたがるの、当たり前じゃないの?
水嶋さんみたいに夫のモラハラに泣いていたとき、手を差し伸べてくれる男性が現れたらすがっちゃうのしょうがなくない?
それでも浮気=悪ですか?
離婚とか白黒つける前に、逃げちゃうの、悪いこと?
一人じゃ闘えないって普通じゃないの?
弱いってそんなに悪いこと?
どうして白黒つけたがるんだろう。
どうして「浮気=悪」なんだろう?
被害者ぶっては怒り狂う浮気サレは自分に原因があるって 思ったことないんだろうか?
ヒステリックな彼女たちに真実は告げられない。
救済の蜘蛛の糸が 目の前に垂らされることは、ない。
***************
「おはようございます」
「おはようございまーす」
水無町のゴミ出し場で挨拶が交わされる。彩花が燃えるゴミを最奥に置き、カラスよけのネットをかぶせたときだった。
「ねぇ、知ってる?安藤さんのとこ」
昔でいう「オバタリアン」体型。お腹がぽっこりと出たジャージ姿の川島がニヤニヤ笑顔で声をかけてきたのだった。
「あぁー……お引越し……されましたよね」
「あの人、ウチに挨拶こなかったのよォ?来た?」
「えぇ、まぁ……(しまった間違えた!)」
一瞬、川島の眉根がしかめ動いたが、彩花に振り返るときはまた笑顔に戻っていた。鋭い視線が爪先から髪の先まで浴びせられたのはわかっているが、知らないフリ。(間違えた自分が悪い)
「そうなのぉ?でもこの辺の人に挨拶もなしに、なんて失礼じゃない?」
「急でしたしね。時間がなくて申し訳ないと詫びていましたよ。町内の方によろしくとも、おっしゃっていました」
嘘だ。だが、自分を慕ってくれた彼女を護るための嘘ならいいだろうと、彩花は背筋を伸ばして川島の舌根を踏みつける。
「でもさぁ?安藤さんてまだ子供さん小さいんでしょ?小学生と幼稚園じゃなかった?このご時世で母子家庭なんてやっていけると思ってんのかしらね?まぁ、若いから離婚したら貧困家庭になるとか考えられなかったのかしらね?母親が我慢ができないとォ、お子さんたちがかわいそうよねぇ?」
とても「心配してます」なんて表情じゃない。貧困家庭になることを、可哀想なことが起こることを、どうあっても不幸になることをお祈りしている表情だ。
「そうなんですかね?幸せって本人が決めるものですから……」
「でも、そこまで我慢できない?ウチだって旦那がムカつくけどォーー?そうそう!この間もねーー」
「あぁ!!すいません!私、今日、ボランティアがあるので!失礼します!!」
彩花は強引に会話を打ち切ると、頭を下げて川島から離れた。走ったせいでパタパタとサンダルの音がうるさいが、そんなこと気にしていられない。とにかく離れたかった。呼吸をしたかった。
**************
家につくと、ほぉ、と深い息が吐き出た。まるで息をすることを忘れていた生き物みたい。テーブルに置かれた黄色の花、床に出しっぱなしにしたままのリモコン。そんないつも通りのリビングにホッとする。
「あー、疲れる」
川島のような通りすがりのクレクレ星人からは逃げるに限る。引っ越しした安藤の話題に見せかけて、「あたしってかわいそう」アピールをしたいだけじゃないか。肯定クレクレしてるだけ。あんなとこにいたらゴミ捨て場の生ゴミ以上のドロヘドロを吸わされてしまう!
「ま、あーゆー人はどこにでもいるもんね」
次に彼女に捕まる人間には申し訳ないが、これも自衛だと自分に言い聞かせて。彩花はもう一度深く息を吐いてメイクボックスを開いた。
別に彼女だけが特別悪いわけじゃない。
自分の幸せを確認するために誰かを利用するのは誰だってあることじゃないか。
ただ、自分と仲の良かった知り合いが利用されるのは、あまりいい気分でなかっただけだ。
「リエちゃん、元気かな」
先ほど話題になったのは、ついこの間まで近所に住んでいた安藤理恵のことだった。彼女はこの春に離婚をして、この町内を出て行った。原因は旦那の浮気。肯定に飢えたモラハラ旦那の王道だ。
引っ越したから彼女のことは忘れた、と言えるほど関係が薄ければ今日の川島の挨拶もそれなりの対応ができたかもしれないがーー。
「ごはん、食べれるようになってるといいけど」
涙声で何も食べられないと電話で聞いた時、思わず地元の食料を送ってしまったほどには大好きな友人だった。あんな汚いクレクレに見下されるのは許せなかった。自分が彼女を防衛したところで、いなくなった彼女のことを好き勝手言う人は現れる。それでも、誰も知らなくても。彼女の尊厳は守りたかった。
カレンダーは6月。彼女が引っ越して二ヶ月過ぎた。便りがないことはいいことだが。
(泣く暇がないくらい、忙しいといいな)
眉毛を書いたら今度は茶色のアイパウダーを塗った。
**************
「旦那、浮気してました」
それを聞いた時は、他人の家庭とはいえ時が止まった。彼女の夫が単身赴任先での住まいを寮からアパートに変えたと聞いていたせいか、格別驚きはしなかった。でも「やっぱり」は言っちゃいけない気がして。なんて言えばいいかわからなくて、黙っていることしかできなかった。理恵が泣きながら色々話してくれるのが、ただ、ありがたかった。
「それでーー離婚することになりました」
「そう、なの?」
「再構築とか、ありえないです。無理。きもい」
「そっか……」
今は何も言ってもダメな気がする。本能の警告に従って、彩花はハーブティーを勧め、理恵は泣きながらカモミールティーに口をつけた。
「もぉ、なんでぇ?」
「ありえんし」
「最悪だし」
「マジ死ね」
「くそ死ね」
ブンブンと鼻を噛みながら、ひたすら吐き出される愚痴を彩花は黙って受け止めていた。
***********
年下のご近所さんが涙を流しながら本音を曝け出してくれることが嬉しい一方で、彩花にとっては彼女の泣き言がひたすら不思議だった。
「浮気」ってそんな悪いことだろうか?
それって すごく普通の方程式では?
男が肯定の居場所を求めるのは当たり前のことじゃないだろうか?
家で肯定されなければ、外に求めるのは当たり前じゃないのか?
男を縛りつければ逃げたがるのは ごくごく当たり前の自然の摂理ではないのか?
まるでリンゴが重力に引かれて 地面に落ちるように。
いやまぁそりゃあ夫の浮気が「本気」だったら苦しいだろうけどさぁ……?
でも「お金運んでくれるだけでいい」とか「生きていてくれるだけでいい」とか「今日もありがとう」って概念はないのかな?
あたしは別に浮気に寛大なんてわけでもない。
浮気は普通だと思っているだけだ。
男と女の気持ちがずっと一緒なんてありえないと解っているだけだ。
諸行無常って習ったのは中学だったけ? あれです、あれ。
でも、そんなことを考える自分が変なのだろうか?
***********
「でね?アイツのカノジョ、××で、○○でーー」
「あいつはあれでーーくそで」
「ありえんくないですか?」
「ーーしないのに」
「ーーしてくれないのに」
理恵の嗚咽は止まらない。彩花は黙ってお茶のおかわりを差し出した。
くれない、くれない、彼女から吐き出されるたびに、彩花には「不思議」がカウントされる。
今の時代、「夫」という生き物に なんだか色々求めすぎでは?
少女漫画の王子様を求められたら 誰だって逃げたくなるのは当たり前ではないのか?
私たちは清廉純潔を誓った宗教徒でもないのに
何にそんなに縛られなきゃいけないんだろう?
誰かのせいにしたがる逃避って誰の常識なんだろう?
この資本主義社会で女のヒステリーはなんの役に立つんだろう?
目の前の友人が泣くことが悪いとは思わない。私は「いっぱい泣いて」しか言えない卑怯者だ。
************
だって 男と女の関係に 白黒つけるなんて 無理じゃない?
誰かを責める常識って 誰の常識?
でも彩花の日本語は目の前の友人には届かない。
きっと友人にとっては浮気した男が悪者で、浮気相手が悪くって。自分は世界一かわいそうなヒロインで。
誰かを憎むことでしか、誰かを恨むことでしか解決できない彼女は、大切なぬいぐるみをとりあげられたように泣きじゃくる。ーー泣きじゃくる。
「……」
生き地獄を彷徨う彼女に救いの手は届かない。他に掬いの匙はないかと探したがーー適切な表現は最後まで見つからなかった。
**********
引っ越してしまった今でも考えてしまうのだ。
どんな言葉なら彼女に届いただろう、と。
だけど教科書にも載っていない。SNSに質問を投げても、質問コミュで呟いても、新世界への切符の渡し方は見つからない。
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「さ!行きますか!彩花さん!」
仲の良かった友人はいなくなっても、地球は回る。友人が離婚しても夜が来て朝は来る。たまにお茶してお喋りできる相手がいなくなって寂しくても、仕事はある!
彩花はコーラルピンクの口紅を塗り、鏡に向かって笑いかけると、カバンを持って仕事用の茶色いレザー風スニーカーを履いた。
玄関で活けられた一輪の薔薇の花に「行ってきます」と挨拶をしたら、先ほど淹れたばかりのコーヒーが入っている水筒を絶対に忘れないよう、カバンの中身をもう一度、チェック!
(朝イチの配達を終えた夫が戻ってくる頃だから、労ってあげなくちゃ。ね?)
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「このお店はお花も綺麗だけど、彩花さんが素敵なのよねぇ」
「いやぁ、どうもぉ♡嬉し〜♡えぇ?もしかして今から河合さんのために薔薇の花束とか作っちゃっていいですかぁ?♡」
「おいおい」
彩花が調子に乗るものだから、夫の洋二がストップすると常連の河合が笑った。
「本当、前園さんはいいお嫁さんもらったわねぇ」
「いえいえ、河合さんと江尻さんに比べたら!いつもご贔屓いただきまして!ありがとうございます!!」
お祝い用の大きめの花束とシャボンフラワーのギフトボックスが三つと、高級路線が売れたので店主の洋次も上機嫌を隠せず、お辞儀が深くなる。
「今日だけでボックス五つも売れたぞ」
「イェーイ!ありがたいねぇ!」
夫婦のハイタッチをお客たちは微笑ましく眺めている。
「いい笑顔ねぇ、彩花ちゃんは」
「ありがとうございまーす!」
薄化粧でいつも笑顔の彩花は近所でも評判だ。おまけに人の話を聞くのが上手い。
「ねぇ、玄関に置くのにどんな花がいいと思う?」
「あら?どなたかいらっしゃるんですか?」
「息子が来るの。孫とお嫁さんも一緒だから明るい方がいいかと思って」
「あら?じゃあピシッと綺麗なお姑サマってことでーー百合か芍薬か牡丹でも?」
「ええぇ?」
周囲の客もクスクスと笑っている。あの有名な都都逸で自画自賛、なんて高年層には無理なことは彩花も解っている。
「怖くないお姑様を演出するなら黄色のヒマワリなんておススメですよ?」
「そうねぇ?孫も好きだから向日葵にしようかしら?」
「一気に明るくなりますものね」
最初から向日葵を勧めない鮮やかなテクニックはお見事!
花を買いにくるのではなく、彩花と会話するために花を買いに来ている客がいるのだから、家を継いだ洋次の方が頭が上がらない。
*************
「いらっしゃいませ」
「小林さま!いつもありがとうございます!」
「どうも。えぇと。今日はこちらをいただけますか」
スーツを着た常連の小林が店頭に飾られていた黄色のガーベラが主役の花束を指差した。
「私が作ったんですよ」
彩花が言うと小林は黙って頷いている。
「どこに置くのがお勧めかな」
「黄色ですからーー他の方も笑顔になりやすい、玄関ホールか応接室ですかねぇ?」
「社長室は?」
「もちろんおススメいたします!」
客からはお金と茶色の封筒が渡される。
「この花はーー社長室に置くことにするよ」
「ありがとうございます!」
店主はほとんど毎日来るお得意様に頭を下げて深々と見送った。「花束(彼女)を社長室(自分のそば)に置く」という言葉の意味も知らないで。
「ねぇ?ヨウちゃん?小林さん、わざわざお礼状書いてくださってるよ?『先日のお花のおかげでお客様との話題が進み、〇〇との商談が円滑行きました。感謝いたします』だってさ?お金持ちは丁寧だねぇ?」
封筒に入った手紙の一枚目をわざと丁寧に読んでみせると、夫は嬉しそうに笑ってバックヤードに消えた。鼻歌を歌う後ろ姿を確認したら、彩花は二枚目以降の手紙で溶けてしまいそうな顔を隠した。
事務的な茶封筒に入っていたおかげで、店主は二人のやりとりをなにも疑わない。二枚目以降には次のデートの行き先、口実、待ち合わせ場所と時間が書かれているなんて、思いつきもしない。そして三枚目には常連客の熱い気持ちがしたためられていることも、知らない。
*************
あたしは世の中的には「不倫サセ」とでもいえばいいんだろうか?
浮気サセ?若い頃ならカップルクラッシャーってヤツ?
でも、別に誰かの夫を口説きたいたわけじゃない。
あちらが勝手に惚れてきて、あちらから勝手に寄ってきただけ。
あたし、なにもしてない。
ただただ淡々と生きてきただけ。できるだけ、丁寧に。
若いうちは女に嫌われることがしんどかった。たくさんいじめられて泣いた。
「あたし、そんなに悪いか?」って思えるようになったのは最近だ。
魅力ある女に男が惹かれるのって、しょうがなくない?フツーじゃないの?
負けた女に魅力がないのが悪いのではないの?
尽くしすぎる女。愚痴を聞かせる女。相手を支配しする女。理想を押し付けてくる花畑脳女。そんなの誰だって逃げたいに決まっているじゃないか。
そんな正論は自分が悪いと思えないヒステリック女たちに届くわけがない。
あたしは 男の弱さを否定しないだけ。
世の中の少女漫画脳が、王子様信仰、恋愛宗教洗脳が嫌いなだけ。
たったそれだけ。肯定に飢えた雄たちがかぎつけては寄ってくるだけだ。
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「家に配達はーーできないよぉ」
ほぉ、とため息が出た。小林からの手紙には、いずれ自分が社長室か自宅に花を配達するよう書かれている。
それ、すなわちーー意味がわかってしまい、おへそが疼く。
行ってしまったら。あのゴツゴツした指先に触れられたくなるに決まってる。あの家から一歩も出られなくなる未来が判ってる。だから、行かない。
お客さまの小林さんはあたしのために離婚をしてしまった。
そりゃあお金持ちのイケメンに口説かれたら心は揺らぐけれどーー。
「花屋の店員」の才能を必要としてくれるヨウちゃんの方があたしには大切だ。
だからあたしは離婚しない。あたしが欲しくて、あたしと再婚するために離婚した小林さんの元へは行けない。
それでも世の中からしたら あたしが悪者になるのだろうか?
*******************
昼のピーク時過ぎ、彩花は店頭の花を選別し終えると、見切り品用の花たちだけのバケツを作った。見切り品とはいえ、まだまだ綺麗で三日間……長ければ一週間以上も保つ花たちだ。
ガーベラ、バラ、かすみ草、カーネーションたちに何かできることはないかと彩花は見切り品の花たちで小さな花束を作る。「お買い得」と書かれたバケツでは売れない花々がひと工夫で売れた時は嬉しくって。自分では思いつかなかったと夫が褒めてくれたのが嬉しくって。ミニ花束づくりはお客が少ない時間の習慣になってしまった。
「ヒト それぞれ好みは あるけれど♪ どれも みんな 綺麗だね♪」
作業をしながらついついあの大ヒットソングを口ずさんでしまうのは。
若い頃は好きじゃなかったあの歌の意味がよくわかる年頃になってしまったからだろうか?
「いっしょ〜お けんめ〜に な〜れば〜いい〜」
苦しい人って 咲く場所を間違えてるだけなんだよね
自分が どんな花かわかってないだけなんだよね
向日葵なのに バラになろうとしているだけなんだよね
「よし、かわいい♪」
黄色と緑の花束、ピンクと水色の甘やかな花束、ピンクと赤の花束。白と赤の花束。オレンジ色と黄色の花束。
色とりどりの花は下品すぎず、安っぽくならないように。でもついつい手に取りたくなるように。玄関、台所に飾りたくなるように。持って帰りたくなるように。
明日の午前は商店街のスーパーがセールだから。客寄せ用にはこれだけあればいいだろうか?
「幸せにしてあげてね」
彩花がバケツの中の花たちに微笑んだ後、休憩椅子に座るとスマホにメッセージが届いていた。
***************
「本日は薔薇の花を買いに行きます」
平安時代だったらもう少し艶やかなヒネりもあったろうに。令和を生きる男たちのメッセージはどうにも浪漫がない。もちろん無いくらいでちょうどいいのだが。
これなら夫が見たとしても単なるお客さんからのメッセージだし、まさか客が堂々と自分の妻を口説きに来ている確認だなんて気づきもしないだろう。
夫が配達に出かければ店先は彩花一人だけ。夕方の客が一番少ない時間帯。男性の常連たちが訪れていることを店主だけが知らないでいる。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
佐々山は花を買いに来たと言いながら彩花の好きな店のショートケーキを手渡した。箱の中にケーキは二つ。一つは彩花のもの、一つはこの店の店主のものと考えられそうなものなのにーー
「一緒に召し上がります?」
彩花が声をかけると彼は頷いてレジ横のテーブルに腰掛けた。先ほど「偶然」淹れたばかりの紅茶と一緒に美味しい、嬉しい、と笑いかければーー男の生唾を飲む音が聞こえてきそうだ。
佐々山は仕事先に戻る直前、家に帰る前、理由をつけてこの店に通う。まるで花に吸い寄せられる虫のように抗えず、理由を作っては彩花にかしずく。
「ここのケーキ、生クリームが美味しいんですよ♪」
彼女はキスをさせない唇を指差しては微笑む。
「……舐めてみます?」
彩花から生クリームのついた指先を彼らの唇や舌先に触れさせてみせーー
「私にも、して?」
男性の指先にわざとクリームをつけると、ちゅ、と音を立てて、尖った舌でクリームが舐めとられた。チロチロと指の股を舌が這うたび、佐々山の唇から切なく甘やかなため息が漏れる。
あぁ なんてかわいらしいの。
「もっと」
彩花は男の指先にケーキを持たせると、静かに、ゆっくりと舌を動かす。ゆっくり、ねっとり這わせたら、今度はちゅ、ちゅ、と音をたてて舐めとってみせる。
「もっと」
今度は彩花の指先についたクリームを舐めなければいけない。男の舌が指先から鎖骨、うなじ、耳の穴を這う。だらしのない、甘やかな声をもっと聞かせろと男の唇は太ももを這うと、それらをきれいに舐め上げてしまった。
***********
「今日はーー薔薇の花束でしたっけ?」
「いえ。イチ輪だけ」
佐々山の答えはいつも同じ。それをわかっていて、彩花は毎回同じ質問をする。
「リボンは?」
「赤色で」
「お待たせしました」
佐々山は一旦それを受け取ると、もう一度、彩花の手に包ませた。女店員は何も言わない。訊かない。ただ一輪の花を受け取った後、見つめあって微笑み合う。
彼が欲しいのは挿入の穴じゃない。飢えた穴は肉壁では癒えない。それがわかっているから彩花は何も言わない。佐々山も彩花がわかっていることを知っているから、余計な言葉を添えない。
「また、来ます」
「お待ちしております」
佐々山を見送ると、今度は別の「お客様」からメッセージが届いていた。
残念。まだ店主は帰る時間ではないもの。
彩花は艶やかな濃いめのピンク色の口紅を塗り直し、ローズの香水を浴びる。
世界で一番美しい華であるために。
彩花さんは おはなやさん🌸 SOLA @solasun
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