60話:処刑の日②
「な……んだ、これ……」
驚きで目を開こうとするも、瞼の向こう側から差し込む強すぎる光のせいで眼球に痛みが走ってかなわなかった。そんな
一体何があったのだ。
ほどなくして、ようやく
「空と……太陽?」
雲一つなく晴れ渡った邪界の空なんて、初めて見た。見慣れないというよりも懐かしい気持ちで蒼翠が青空を眺めていると、ようやく視界を取り戻した太監らが、こちらを見て「ひぃぃっ!」と悲鳴を上げ、腰を抜かした。
「りゅ……龍だ!」
「龍?」
太監の言葉に驚き、慌てて背後を向く。
と、そこに在ったのは、一瞬で言葉を失うほど荘厳で神秘的な金の龍だった。
鹿のような堂々たる白角に、鋭い眼光と牙。そして
そんな煌めきを纏った金龍が突然目の前に現れたのだ、驚くなといったほうが無理である。
「なんて……」
なんて美しいのだ。
奇跡が今まさに目の前にある。蒼翠は思いがけず見惚れてしまう。
しかし太監たちは違った。
「て……敵襲! 敵襲だっ!」
太監が声高に叫ぶと、即座に数十人はいる屈強な武官たちが間髪を入れずと抜剣した。けれど一番逞しい者よりもはるかに極大な金龍は、繰り出される攻撃などものともせず武官たちを容易くなぎ払う。
「ひぃっ! バケモノ!」
なす術もないうえに金龍の鋭い眼光に睨まれた武官たちは皆その場で腰砕けとなり、全身を震わせながら声にならない悲鳴を上げる。
その中、金龍に少しも恐怖心を覚えない蒼翠はゆっくりと龍体に近づき、その横顔をじっと見つめた。
なんだろう、どこか懐かしい。
「あ……」
目が合った瞬間に、鋭かった龍の瞳がふわりと柔らかく細められた。微笑みかけられたみたいに感じて双眼を丸くしていると、ゆるゆると動き出した金龍が蒼翠の身体に巻きつくような形で胴体を寄り添わせてきた。
まるですべての災厄から遠ざけると高らかに宣言せんばかりの、それでいて蒼翠を絶対に逃げられない真綿の檻に閉じ込めたいと主張せんかのような。
この溢れんばかりの慈愛の温かさを、蒼翠は知っている。
「もしかして……無風……か?」
そっと龍顔に手を伸ばし、愛おしい者の名を口にしながら撫でると、金龍は懐いた猫のように顔を擦り寄せて蒼翠の問いに答えた。
「っ……無風っ! 無風っ!」
確信した途端に心から歓喜が噴出し、堪えられず蒼翠は金龍の胴体を抱き締めた。
「会いたかった……会いたかった、無風……」
金龍の鱗は人の皮膚と違って硬く、ごつごつとしていた。しかし触れた場所から伝わってくる体温は無風のそれとまったく同じで、疲弊しきっていた心が瞬時に蘇る。
この温もりを死んでも手放したくない。蒼翠が抱き締める腕に力を込めると、金龍も嬉しそうに長い髭を揺らした。
「あの時は怖い思いをさせてすまなかった……。そうだ、
獄中でもずっと気になっていた。無風は
「もし辛い目に遭ったら、仙人に相談するんだぞ。あまりにも酷ければ少しぐらいならやり返してもいいが、お前の立場もあるからほどほどにな。……俺はもう死を賜った身だからお前を守ってはやれないけれど、父君と母君の言うことを聞いていれば――」
愛おしい鱗を柔く撫でながら伝えたかった言葉を紡ぐ。しかし途中で視界に映っていた景色が、急にふわっと浮いた。
「……え?」
不可思議な浮遊感の正体を掴むべく、蒼翠は自身に目を向ける。
「は? 嘘だろっ?」
蒼翠の身体は宙に浮いていた。しかもただ浮いているだけでなく、ぐんぐん空へと上昇している。原因は金龍が蒼翠に巻きついたまま空の見える雲間に向かって勢いよく飛び立ったからだ。
仰天した蒼翠は無我夢中で金龍の胴体にしがみついた。霊力が枷で封じられている今、邪界一と言われている
「おい、無風っ、一回降りろっ、降りてくれ、頼むっ!」
必死に訴えるが、空を翔る金龍は止まらない。龍胴にしがみついている蒼翠の位置から金龍の尊顔は拝めないこともあり、今どんな気持ちで飛んでいるのかも分からないが、なんとなく笑っているように思えるのは気のせいか。
キュゥィーンと金龍が威嚇とはまた色の違う、高らかに歌うような雄叫びを上げる。咆哮につられて顔を上げれば、邪界の重たい雲を切り裂きながら飛び進む金龍がわずかだがこちらを向いた。その瞬間に蒼翠は悟る。やはり今、無風はかなり浮かれていると。この分だとこちらの声は聞こえていないだろう。
どうやら地上に降りるまで、自分の腕力だけでなんとかしなければいけないようだ。無風への説得を諦めた蒼翠は無駄に騒ぐのをやめると、振り落とされないことだけに集中して時をやり過ごそうと決めた。
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