34話:聖界の町④


「お前たち、今、何をしようとしていたっ! この方は、お前たちのような者が気安く触れていい方ではないぞ!」



 知らぬ間に地面と同化していた男たちに、無風むふうが今にも口から炎でも噴き出しそうな剣幕で怒鳴る。そのとんでもなく迫力のある姿に思わず蒼翠そうすいも平伏しそうになったが、既の所で自分がする必要はなかったと思い留まる。

 

 

 ──え、いつの間に戻ってきたんだ? まったく足音が聞こえなかったけど……。

 

 

 疾風のごとく現れたことに驚愕しつつ、蒼翠は今にも男たちの息の根を止める勢いで腕を伸ばす無風を慌てて止める。



「ま、待て。それ以上手を出したら相手の命に関わる。もうここまでにしておけ」

「蒼翠様、しかし……。──はい、分かりました」


 聖界せいかいの町で騒ぎを起こしたくないと目で訴えれば、聞き分けのいい弟子はすぐに退いてくれたが、男たちに対する鋭い視線だけは残したままだった。

 そんな無風を横目に、蒼翠は男たちにシッシッと短く手を振る。



「お前たち、俺の弟子が黙っているうちに消えておけ。でないと心身の無事は保証できないぞ」



 すると、とっくの昔に心身諸共ズタボロになっていたらしいならず者たちは、悲鳴を上げながら我先にと駆け出した。

 そうして周囲に再び静寂が戻ると、最後の最後までならず者たちを睨み続けていた無風が、音速の勢いでこちらを向いた。

 

 

「蒼翠様、大丈夫ですかっ? あの男たちに何かされませんでしたかっ!」

「あ、ああ。俺は大丈夫だ。何もされていない」


 狼狽を浮かべながら蒼翠の乱れた服を直す姿はいつもの無風で、やっと安堵できた。しかし、さすがは未覚醒とはいえ聖界の皇子。今や怒鳴り声だけで蒼翠まで怯ませるようになったなんて、末恐ろしいという感想しか出てこなかった。 

 やはり無風の機嫌だけは絶対に損ねてはならない。



「蒼翠様がなんの抵抗もされないご様子で囲まれていたので、術で自由を奪われたのではと心配しました」

「そうだったのか。いや、排除するのは簡単だが大ごとにしたくなかったから、好きにさせてやっただけだ」



 どうせ金がないと分かればどこかに消えるだろう。もしかしたら一発ぐらいは殴られていたかもしれないが、あの男たちの腕力なら服に虫が止まる程度のものだし、回復術もあるから大丈夫だと判断したと説明する。

 だけれど、いつもだったらすぐに納得しているはずの無風の顔がなぜか晴れない。

 

「無風?」 

「……蒼翠様のお立場を考えれば、手を出さぬ理由にも納得がいきます。ですが、だからと不逞ふていの者たちを安易に近づかせては不測の事態を招きかねません」



 どうやら無風は、蒼翠の選択が間違っていると言いたいらしい。

 無風がこんなふうに言い返してくるなんて、珍しい。よほど看過できなかったのだろうかと驚くと、ふと蒼翠は乱れた着衣を整える無風の指が、微かに震えていることに気づいた。

 

 

「無風、手が震えているぞ。何か怖いことでもあったのか?」

「それなら今まさに目の前でありました」

「なんだ? お前は俺があの者たちに不意打ちを食らって、手籠めにでもされると思ったか?」


 冗談っぽく笑って言ってみたら無風が唐突にカッと双眼を見開いた。


「貴方様という方はっ!」

「うわっ、び、びっくりした。おい、いきなり目の前で怒鳴る奴があるか」

「っ、申し訳ありません、つい……」

「いや、別に怒ってはいないが……、俺は何かお前を怒らせるようなことを言ったか?」


 問いかけるように尋ねると、無風は一度だけ深呼吸をして落ち着きを取り戻してから、ゆっくりと口を開いた。


「そういったわけではありません。ただ……貴方様はお美しい方です。いつどこで不埒ふらちな者が目をつけるか分からないですし、もしその者が相手の奇襲術に長けた使い手だったら……そのように考えると恐ろしくてたまらないのです」

「奇襲か……確かにその可能性はあったな」



 容姿が美しい云々はさておき、自分の強さを過信して自滅した悪役キャラは数え切れないほどいる。もしも、あのならず者が無風の言うような術師だったら、蒼翠は殺されていたかもしれない。悲惨な未来を想像すると、無風が懸念する理由がよく分かった。

 そう、間違っていたのは自分のほうだ。

 蒼翠はゆっくりと腕を広げ、そのまま包み込むように無風を抱き締めた。

 

 

「ありがとうな、無風」

「そ、蒼翠さまっ?」

「それと、不安にさせてすまなかった。今度から気をつけるようにする」


 自分が与えてしまった憂慮から早く解放してやりたくて、ギュッと腕の力を強める。すると、無風が気に入って使っている香の優しい芳香が、ふわりと鼻を擽った。

 いい香りだ。無風自身の体臭と混ざって、すごく安心できる匂いになっている。できればもう少し嗅いでいたいと鼻を寄せ深く息を吸っていると、抱き締めている無風の全身がどんどん固く、熱くなっていくのが分かった。

 多分緊張しているのだろう。身体は大きくなっても、やっぱりまだ可愛い。

 小さく微笑んでから目を閉じると、蒼翠は心安らぐ川のせせらぎと、言葉を詰まらせる弟子の今にも爆発しそうな鼓動という対照的すぎる音を耳で楽しみながら、穏やかに時を過ごした。




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