26話:★時には頼ってあげましょう①



 皇子おうじというのは自由気ままな職業だ。毎日きりきり働かなくても衣食に住に加えて給金まで約束されているところは、さすがは特権階級というべきか。

 さらにいえば蒼翠そうすいは第八皇子なだけあって、大軍を率いて戦いに出向いたり、重要な会議や接待の宴に参加しなくてもいい。なんとも自由時間の多い職業だ。

 

 が、しかし。


 そんな蒼翠にも、父である邪君じゃくんから公務が与えられることがある。

 たとえば一年ほど前。突然詔書ちょくしょが届いたかと思えば、邪界で厄介なあやかしが暴れているから、部下を引き連れて対処しろと命じられた。

 皇族である蒼翠の役目は主に部下が失態や裏切りを起こさなための監視役なので、先頭に立って戦う必要はない。その点は楽なのだが、もし邪君の機嫌を損ねるような問題が起こった場合は責任を取らされる羽目になるので、あの時は解決するまで緊張の連続だった。


 ただ、それでもまだ相手が暴走する妖であるだけ、気は楽だった。

 

 今は時折、逃げ出したくなるほど気の重い任務も命じられる。

 それが今回のようなものだ。


 それは昨日のことだった。朝一番に邪君の太監たいかんが現れたかと思ったら、いきなり謀反むほんを起こした一族を全員捕まえてこいとの勅書を差し出してきた。

 無論、断ることなどできない蒼翠は膝を着いて拝命はいめいし、早々に準備に入った。

 捕縛対象となっている一族は、族誅ぞくちゅうが決まっている。老若男女問わず捕まれば死を免れない。そんな者たちを一人残らず捕まえ、邪君の前に連れて行くことが蒼翠の役目だ。

 

「はぁ……」


 今日は朝早くから小軍を率いて罪人のもとへと出向き、命令を遂行した。そして問題なくすべての任務を終え、たった今、罪人一族全員を重牢の番人に引き渡してきたところだ。

 太監への報告も済まし、ようやく蒼翠が屋敷に戻れたのは子の刻を優にすぎた後であった。

 

 蒼翠は自室に入ると、羽織っていた外套もそのままに寝台へと腰かけた。


 こんな時間だからか、部屋には誰もいない。寝台の隣にある丸窓の外に広がる深い闇のように、部屋中がしん、と静まり返っている。

 今日はもうこのまま、何もせずに眠ってしまおうか。寝着に着替えることすら億劫だ。全身に重石をつけられたかのような精神的疲労に両目をギュッと閉じ、蒼翠は肺の中の空気をすべて出し切る勢いで息を吐く。

 

 不意に耳の奥で耳鳴りが起こった。

 続くようにして、心臓がドクンと早鐘を打ち始める。

 

「っ…………くそっ」


 蒼翠は後悔したように、汚く舌打ちをした。

 

 ――気を抜くんじゃなかった。

 

 ここへ戻ってくるまでずっと張り詰めっぱなしだった気持ちを、少しでも緩めたのは間違いだった。あのまま何もせず、気を失う形で眠ってしまえばよかった。

 乱れ始めた心をどうにか落ち着かせようと深呼吸を繰り返してみたが、脳内に響き続ける数多の声が止まらない。



『どうか! どうか、子どもだけは見逃して下さい!』

『ちちうえぇ、ははうえぇ、怖いよぉ!』

『私は何も知らない! 騙されただけだ!』

『死にたくない! 死にたくない!』



 一族の長が起こした謀反のせいで捕まえられる者たちの必死の懇願。けれど蒼翠に、彼らの願いを聞き入れることはできなかった。これが現代の日本だったならば、家族が犯した罪で命までは奪われないのに、この世界ではたった一人の罪が家族、親族、召し使いを含めた全員の責任となる。それが掟だ。

 

 ゆえに、どれほど辛くても、助けたくても、決して情を見せてはいけない。下手に一人でも助けてしまえば、次は蒼翠自身が断罪の場へと送られる結末となるからだ。

 蒼翠が罰を受ければ当然、側仕えをさせている無風むふうにも害が及ぶ。

 だから一人も助けなかった。 



「俺は……最低だ……」


 皇子という特権を持ちながら、弱き者の命すら救えない。

 両手を強く握りこみ、治らない震えを抑えようとすると、手の甲に爪が食い込んで皮膚を薄く切り裂き、ピリッとした痛みを生んだ。

 けれど、こんな痛みを辛いと感じてはいけない。今日連行された者たちはもっと――。

 悔しさに歯を食いしばる。

 静寂の中で、ふと柔らかな声が響いたのはその時だった。


「蒼翠様」


 やにわに握り込んでいた手に温かなものが触れ、蒼翠は驚いて閉じていた目を開く。


「無風っ?」


 最小限の蝋燭ろうそくあかりに照らされていたのは、もう寝ているはずの無風の顔だった。


「なぜこんな時間に……」


 こんな夜更けに無風が起きていたことに驚かされたが、それ以上に息の音が聞こえるほどの距離まで近づいてきていたのに、まったく気づけなかったことに息を飲まされた。

 まさか、これほどまでに上手く気配を消せるようになっていたとは。



「……今日は遅くなるから先に寝ていろと言っておいただろう」

「はい。でも今夜は目が冴えてしまって」



 眠れずにいたところに蒼翠が帰ってきたため、夜の挨拶に来たのだという。


「無風……」


 柔らかな子の空気に、心の緊張が少しだけ軽くなる。

 

 

「蒼翠様も眠れないのですか?」

「……そうだな、俺も少し目が冴えてしまったみたいだ」

「一緒ですね」


 そういって無風は淡く微笑む。

 その顔を見てこちらも自然と口角が上がった。

 けれど、まだ耳の奥で響く絶望者の声は消えない。

 

 

 ――俺は、無風ぐらいの子を死地へ送ったんだな。

 

 無風を見ていると心が解れる反面、罪悪感も募る。

 

「蒼翠様……」

「ん? どうした」 

「白のお師匠様から聞きました。今日のお仕事のこと……」


 白のお師匠様とは仙人のこと。仕事は――。

 

「そうか……聞いたのか」

 

 もう二年もともに過ごしているのだ、いつかは蒼翠の汚れた仕事を知る日が来るとは思っていたが、思っていたよりも早かった。


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