25話:無風のひとりごと<誰よりも優しい主>


「お前さんのあるじが外に出る仕事? どうしてまたそんなことを知りたがるんじゃ?」

「それは……上手く説明できませんが、邪君じゃくんから黒龍が刺繍された巻物が届けられると、いつも蒼翠そうすい様はお辛そうなお顔をされるので……」


 説明を聞くと、仙人は白く長い顎髭あごひげを撫でながらふむふむと考えこんだ。


「黒龍の刺繍が施された巻物、ということは詔書ちょくしょだろう」

「詔書?」

「お前さんところの一番のお偉いさんが出す、緊急の命令みたいなもんじゃ。例えば今すぐ誰かを探してこいとか、謀反むほんを起こした一族を捕まえてこいとか、そういったものじゃな」



 普段届く仕事の書簡と違い、すべてを差し置いてでも最優先で遂行しなければならないものが詔書による命令なのだと仙人は言う。



「勅書の命令は、蒼翠様にとってとても難しいものなのですか?」

「相手によっては抵抗があるだろうが、あやつぐらいの地位なら指揮官として呼ばれているだけじゃろうから、そう危険ではないじゃろう」


 軍や小隊を動かす場合、命令違反や裏切りを防ぐために皇族を長に就ける慣例がある。おそらく主はそのために呼ばれただけであり、よほどのことがない限り前線に立つことはないと仙人は断言する。

 

「きっとお前さんの主は、天幕てんまくの中で茶でも飲みながら状況報告を聞いてるだけじゃ。そう心配せんでいい」


 物知りの仙人が言うのだから、間違ってはないだろう。安心した。

 がしかし、だったら、なぜあんなに辛そうな顔をするのだろう。


「なんじゃ、まだ腑に落ちんのか?」

「いえ…… 白のお師匠様のおっしゃることは確かだと思います。ですが……そこまで難しいお仕事でないのに、どうして蒼翠様は毎回お気分を落とされるんでしょう」


 

 外の仕事が入った時は、必ずといっていいほど主の顔から笑顔が消える。戻ってきた夜はうなされ、眠りながら涙を流すことも多い。

 自分はそんな主の姿を影から見つめることしかできないため、いつもやるせない気持ちになるのだ。

 だからこそ原因があるなら突き止めたい。

 


「そりゃまぁ……あれじゃろ」

「白のお師匠様は、お分かりになるのですか?」

「簡単なことじゃ。あやつは黒龍族こくりゅうぞく皇族こうぞくのくせに、妙にほだされやすいところがあるからのぉ。謀反人むほんにんの捕縛のような非情を貫かなければならない任務は、ちと堪えるじゃろうて」


 邪君じゃくんに対して謀反を起こした場合、処罰は本人だけでなく先祖・子孫の各四代を含めた九代の親族全員が族滅ぞくめつの対象となる。生きている者は白髪の老人から生まれたばかりの赤子まで容赦なく処刑され、一族の墓も暴かれ、壊され、むくろをすべて焼かれるのだ。

 遺体を焼けば、次の世への転生ができない。加えて先祖への冒涜ぼうとくは生きている者にとって耐え難い屈辱であるため、きっと死よりも辛く苦しいはずだ。

 そのような未来が待っている者たちを、問答無用に捕縛しなければならない。それが蒼翠に与えられた命令なのだと仙人は語る。



「お前さんも知ってのとおり、あやつは表面上では冷酷無比れいこくむひな邪界の皇子を演じておるが中身は真逆じゃ。そんなやつが『子どもだけは助けてくれ』と泣き叫ぶ母親を見てどう思うかなんて、説明しなくても分かるじゃろう?」


 

 確かに主は黒龍族こくりゅうぞくでは珍しく、命を奪うよりも守りたいと考える人だ。二年前に全壊させてしまった雨尊村うそんむらも完全に復興するまで責任を持って見届けたし、屋敷の者が失敗をしても咎めず笑って許してくれる。本当に心の優しい、いや、優しすぎる方なのだ。

 だからこそ、今、心が引き裂かれる思いでいるはず。想像するだけで、胸がギュッと締めつけられた。



「まぁ、きっと今夜は万年曇天まんねんどんてん邪界じゃかいの空も逃げ出すぐらい陰気な顔をして帰ってくるじゃろうから、お前さんが慰めてやれ」

「私が……お慰めなんてできるのでしょうか?」

「あやつを大切に思っておるんじゃろう? その気持ちのまま接してやれば、弟子を溺愛してやまないバカ親なんぞ、すぐに元気になるわい」

「分かりました。誠心誠意を込めて、蒼翠様をお慰めします」


 

 どこまでできるかは分からない。でも、主の心を少しでも癒せるのならば、全力を尽くすのみだ。

 無風はしっかりと頷いて、屋敷へと戻るのだった。



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