第96話 異空間をぬけて

 クロアはマヌーフの森の奥深くへと分け入った。リリアも後に続く。


「おばあちゃん、近くに住んでるの?」


「空間的な概念で言えば遠いってことになるが、所要時間で考えると近いとも言える」


「クロちゃん、たまに小難しいこと言うね。学者みたい」


「ある意味、エルフはみんな学者だ。それぞれが専門領域を持ってんだ」


「クロちゃんの専門は?」


「そんなの知りてえのか?」


「うん、興味ある!ある!」リリアはクイズではしゃぐ子供のように目を輝かせた。


「教えねー」クロアは半笑いで言った。


「うわ、やっぱ性格わるー!」リリアはむくれた。


「うるせー。んなことより、こっからちょっと気をつけろ。人によっちゃ、気分悪くなるヤツもいるからな」


 そう言うとクロアは立ち並ぶ巨木の中でも一際大きな木の根本に歩いて行った。すると、まるで木がクロアの身体を吸収したかのように消えた。


「早く来い」クロアの声だけが響いてくる。


「なるほど、そういうことね」リリアはためらうことなく、進んだ。


 ここは謂わゆるワープゾーンで、どんなに離れた場所でも一瞬にして行ける。ただし、紐づけられた2つの地点を行き来することしかできない。つまり行き先は決まっているのだ。


 エルフ特有のスキルでしか作れないのだが、リリアは魔王討伐軍の移動で使った経験が何度かあった。


 リリアが木の根に手を伸ばすと、すり抜けるようにして異空間へ誘われる。


「あはは、やっぱり楽しい」


 何度やっても飽きない、日常では味わえない感覚。遊園地で遊ぶようにリリアははしゃいだ。


「お前なあ、ガキじゃねーんだからよ」


 クロアはあきれたように言ったが、内心は微笑ましく思っていた。


──こいつこんな風に笑うんだな。なんか変なオーラ出してたから、すげーネクラか訳アリの家出娘かと思ったぜ。しかし、こんなオーラ初めてだな。変な女であることに変わりはねえが……ま、楽しそうなのはいいこった。


 クロアはホッとしていた。リリアの掴みどころのないオーラを感じ、心配すらしていたのだ。ある意味リリアは<すげーネクラ>かつ<訳アリの家出娘>なので、クロアは本質を見抜いているとも言えなくはないのだが。


 オーラというものはその人間の性格や生き様、そして宿命などが現れる。エルフならある程度は感じられるものではあるが、クロアは特にその感覚が鋭く正確に感じとる。


 例えるなら絶対音感のある人が全ての物音が音階で聞こえるような感じだ。人間でもエルフでも鳥でも虫でも花でもコケでも生きとし生けるものに触れるたび、その全てにオーラを感じるのだ。


 これから会いに行くクロアの祖母は素晴らしい才能だと讃えた。「お前は世界を救うことができるんだよ」それが祖母の口癖だった。しかし、実際のところ、この能力はクロアを苦しめた。クロアがマヌーフの森の見張り役というエルフの中で閑職に追いやられているのも、オーラを感じ取る力が関係しているのだが……。それは、後に語られることになる。



 リリアは木と異空間の間を行ったり来たりするのに飽きると、木の根本をすり抜けた。そして、そこからはモヤの中を進み、光の中に身を委ねた。


 気がつくと、顔に大量の水しぶきを浴びていた。


「つめたッ!」


 目の前には、巨大な滝があった。とてつもない水量で轟音が響く。上を見てもどこから流れ落ちているか分からないほどの高さだ。


「おい、大丈夫か!? 今、俺がそっち行くから待ってろ!!」クロアが声をかけた。リリアがいるところより一段上の丘の上に立っている。


「だいじょーぶだよー」リリアは軽々と岩場を飛び越えていくと、あっという間にクロアの隣にやってきた。


「あー、もうびしょびしょ」リリアは濡れた髪を掻き上げた。


「お前、なにかと心配して損するヤツだな」


「は? なんかよく分かんないけど、とにかく悪口だよねー。それ、悪口だよねー」


「悪口でもなんでもいいから、ちょっと後ろ向け」


「え? どうしてよ?」


「お前、服が濡れて透けてんだよ、目のやり場に困るだろが!」


「!!」リリアは自分の胸元を見ると、薄手のワンピースが濡れて完全に透けていた。


「ぎゃああああ!! 見た? 見たよね!?」


「見てねーよ……いや、ちょっと見たかな……ああ、確かに見たような気もするようなしないような……」


「あああああ!! お嫁に行けないじゃないよぉ!!」」


「ってか、お前、大丈夫なのか?」


「なにがよ?」


「体の傷……ひでえからさ……すまん……なんつーか……答えなくていい」


「見たっていうの、傷のこと?」


「そうだよ」


「じゃ、胸は見てないのね?」


「はぁ? 見てねーよ!」


「ああ、よかったぁ!! お嫁に行けるぅ!!」


「なんなんだ、お前はよぉ! ホント、心配して損しかしねえぜ!」


「私、勇者なんだー。傷いっぱいあったでしょ。あれ全部、魔王軍と戦った時にできたんだ。ちなみにこの顔のアザは魔王にやられたの」


「マジかよ。どうりで……」


「どうりでなによ?」


「なんでもねーよ」


「エスちゃんとルイーズちゃんには内緒ね。せっかく気兼ねなく女子旅やってんのに。勇者なんて知られたらいろいろ面倒だから」


「わかったよ、言わねえよ!」


 と、滝の轟音が急に止んだ。リリアは言葉を失った。なぜなら、時が止まったように滝の流れが停止していたのだ。


 そして、まるで陽だまりの中にいるような温かなものを体の内側に感じたかと思うと、優しく心休まる波長の声を聞いた。


「勇者リリア、よくぞいらっしゃいました」


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