相談より先に病院に行く
精神疾患を疑って、まず私の考えたことは、病院に行くこと。
そして、誰かに相談したら絶対に止められると思ったので事後報告を決めて、メールで予約の取れる精神科へと行きました。
正直、めちゃくちゃ精神科というものが怖かった覚えがあります。
初めて踏み入れるから、周りに非難されそうだから、だけど症状は明らかに精神のものだから、予約までのハードルがとても高く感じていました。
うつとは、自分の苦しみの割には周りの理解が本当に難しい病気です。
一日落ち込むことはあって、それが鬱だと表現されることはあっても、本当のうつ病はその苦しみが何ヶ月先、何年先、再発を繰り返しながら10年先までも続くことのある病気です。
感情のコントロールが効きにくくなり、強制的に自分の汚い感情に振り回されたり、動けなくなったり、死にたくなったり消えたくなったり、熱が何ヶ月も続いたり腹痛や吐き気がずっと治らなかったり、そうして人間関係が崩壊してしまったり。
そういう、脳のホルモンバランスの崩れた状態の病気です。
人に相談しても、体験したことの無い人には理解不能な苦しみがあります。
理解が得られなくて、さらに苦しむよりは、疑いがあったら先に病院へ行くべきです。
再発率は50%、再発する度に再発率が高まる病気です。
こじらせると本当に、病気のまま10年過ごすことになりますよ、私みたいに。
私の場合、子供時代に精神的な虐待があったので、症状もうつ病に当てはまるし、精神の問題だろうなとすぐ疑うことが出来ました。
考えを抑圧されるように育てられ、自分の気持ちを人に言えないまま大人になったのです。
しかし、幼少期にこういった問題がある人だけでなく、これまで健康で恵まれた環境で育っていた人も、残業やハードな仕事などでうつ状態になることはあるそうです。
そうなると、検査をして他の病気がないかを潰してから精神科を受診という形になると思います。
初期の初期、私は事務で働いていました。
定時で帰っていたのに、だんだんと朝起きることも辛くなり、夏から理由の不明な微熱が三か月ほど続きました。
それでも職を失う恐怖から仕事に行っていたのですが、スムーズに進めることができなくなり、エアコンやPCの音に過敏になり、外階段へとリフレッシュしに行けば道路を見下ろして「もし落ちたら?」と考えるようになっていました。
死にたいわけではないけれど、落ちたら?という妄想に取りつかれていたように感じます。
電車のホームでも同じことを考えていました。
この時すでに、病気的な思考回路になっていたのだと思います。
誰にも相談できなかったけれど、当時の上司は異変に気付き、面談を繰り返して気にしてくださっていました。
上司に言われて最初は内科を受診しましたが、胃酸過多ということしか解らず。
あまりにも長いこと体調が悪いし、どんどん首や腕を搔きむしらないとやっていけない程に病んでいき、職場への恐怖感が強まっていくのを感じて、ネット予約できるメンタルクリニックを受診し、カウンセリングを半年ほど受けました。
カウンセリングを受けている30分間は、ほぼ泣いていて喋れていませんでしたが、それも必要な時間だったと今では思います。
最初のメンタルクリニックでの診断書では不安障害と書かれていました。
通勤時間(1.5時間)の長さが悪いのかと思い、引越しをして、別のメンタルクリニックに移りました。
その病院で、うつ病と、社交不安障害と診断されました。
うつ病の時、とにかく重大な決断はしないように言われます。
引越しや人との別れ、退職など、強いストレスのかかることであり、冷静な判断が出来なくなっている状態でもあるからです。
そして私もその中で引越しをしてしまっていました。
引越しは強いストレスを感じる為、最悪な選択をしたという後悔もありますが、引越し先の環境も良くて、もうしばらくは仕事を続けられていました。
しかし、SSRIの薬を飲み始めてもすぐには治るわけもなく、結局休職の後に退職。
しばらくは休養しましたが、職のない焦りからアルバイトを始め、半年ほどは働けていました。
そんな頃、地元の友達から連絡が入ったのです。
「薬をたくさん飲んじゃう友達がいる、助けてほしい」
そんなような内容だったと思います。
自分のことを傷つけたくなってしまう気持ちを、私は知っていました。
なので最初は二週間と期限をつけて、その子と接していました。
ここで終わればよかったのですが、その子からこれからも友達だと言われて、ふらりと関係を続けてしまったことが、一番大きな鬱の波の原因でした。
解離性同一性障害……いわゆる多重人格、メンヘラ、人格それぞれから受けるダブルバインド、モラハラ、脅し、自傷行為。
睡眠時間を削がれ、思考力が落ちていくと、どんどん抜け出せなくなり、助けたい衝動が強くなっていました。
夜中でも呼び出されていたし、連絡も来ていました。
家に来いと言われ、行けば来るなと言われたこともありました。
私も友達も疲弊していき、先に抜け出したのは私でした。
その頃辺りからTwitterを始めていたので、Twitterの投稿も病んでいる時期から始まっています。
このままじゃ治ってもずっとうつ病を再発してばかりになってしまう。
そう考えた私は、認知行動療法、そして暴露療法に目をつけて、少々強引な方法ですが、根本的な原因から潰していこうと考えたのです。
人相談できない、愚痴を言えない自分を変えようとし始めたのが、この頃になります。
2016年頃でしょうか。
自分に自信がないから、自分を責めてしまう癖があるから、幼いころの精神的虐待の影響がずっと続いているから、だから再発してしまいやすい。
まずは社交不安障害……対人恐怖から慣れていこう。
責められないことに慣れていこう、小さなことでも話せるように暴露していこう、トラウマも丁寧に分析していこう。
そうやって、心の苦しみと対峙するようになり、6年近く経ったと思います。
そして、現在。
再発しました。
……え、ダメじゃん効かなかったの?
そういうことではありません。
以前より悩みすぎなくなり、ある時を境に反芻思考がぱったりと消えました。
それは、酷いうつの頃には見られなかった、ハッキリと改善されていることを自覚できたことです。
前回のうつ病は三年ほど長引いていて、途中で起立性調節障害も起こし始めて、うつ病が治っているのかの境目がよくわからずにいました。
けれど今回のうつ病では半年で症状が落ち着いてきていることを、実感出来ています。
長いな、と思われることでしょうが、本当にうつ病の治療、再発防止には、時間や無理をしない程度の根性が必要です。
諦めたくなります。
人生を諦めたくなるし、決して楽ではないのに罵声を浴びることもあります。
仕事をしたくても、趣味を楽しみたくても、友達と遊びに行きたくても、それすらもハードルが高く、難しく感じます。
けれど、それでも、私は寛解まで持っていきたいと思い、諦めたくない気持ちをもって、ずっと認知の歪みを修正してきました。
それは、これから先も続けていく必要があり、弱い自分と向き合い続けていく根性も必要です。
根気がいります、根気なしでは良くなれません。
休むという勇気も必要です。
年単位の変化になるので、変化もわかりにくいけれど、確実に変えていけます。
三歩んで二歩下がる、本当にそんな感じですが、一歩一歩、確実に良くなっていることを実感しています。
その辺の人に相談するより、まずは病院へ。
大きな決断に感じますが、本当は小さな一歩です。
小さく大事な一歩、踏み出す時は自分で決断してください。
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