曰く付きの人形曰く「 」
コール・キャット/Call-Cat
曰く付きの人形曰く「 」
‐1‐
長い間眠っていた気がした。
そんなこと、あるはずがないと分かっているけれど、そう思ってしまうぐらいには久しい明かりに照らされて、妾はその手に抱かれていた。
「ねぇお爺ちゃん、これがお爺ちゃんの話してた子?」
まるで赤子をあやす親がするように妾を抱き上げながら目を眇めるのはまだほのかに幼さの残る男児であった。
「んぁ? あぁ、あぁ。そうじゃそうじゃ、その子じゃよ」
男児の言葉にだいぶ間を置いて老人が物陰から顔を覗かせると妾の姿を認めてその皺だらけの顔を一層しわくちゃにさせながら首肯した。
どうやら妾が抱き上げられているのは偶然ではないらしい。
して、いかなる巡り合わせかといまだ妾を抱き上げている男児の顔を見下ろす。こちらを見つめる瞳はまるで宝石を見つけた子供のように眩く、どこか既視感にも似た懐かしさを感じさせると同時──胸の奥深くにていまだに燻っていた激情を燃え上がらせた。
あぁ、うらめしや。あぁ、うらめしや。
その瞳はかつて妾を見出した誰かを思い起こさせた。
妾を愛し、慈しみ、笑顔を向けてくれた誰かを思い起こさせた。
いつの日か命というものが宿った妾を気味悪がり、暗闇へと押し込んだ誰かを思い起こさせた。
故に。
故にうらめしや。この恨み、いかにして晴らすべからずか。
なんにせよ、まずはその誰かを思い起こさせこの胸をざわつかせてやまぬ男児を祟り殺してくれようか。
「じゃあ、本当に貰うよ?」
「あぁ、好きにおし。きっとその子も喜ぶじゃろうて」
「うん」
敵愾心を抱かれているとは露知れず、男児は妾を今まで押し込めていた棺のような箱──ではなく、なにやら内にぷちぷちとした不可思議なものが敷き詰められた箱に寝かしつけるとさらに幾重もの和紙をかぶせてきた。
視界が和紙に覆われて不明瞭となる中、闇が訪れる。次いで体全身が浮き上がるような浮遊感。
「じゃあね、お爺ちゃん」
「気を付けて帰るんよ」
箱越しに聴こえてくるくぐもった声に意識を向けていると不意に衝撃。そしてガタゴトと地響きのような揺れに──慣れぬ妾はいつの間にか意識を失っていた。
‐2‐
「ただいまー」
妾が意識を取り戻したのはそんな気の抜けるような男児の声が耳朶を打ってのことだった。とは言え目を覚ましたばかりで意識は朦朧としており、しばし状況を理解するのに時間がかかった。
今、妾は和紙に包まれやたら居心地の良い箱の中にいるのであったか。
「──♪ ──、──♪」
箱越しにやたら上機嫌な男児の鼻歌が聞こえてくる。それに合わせるかのようにとんとんとん、と床が小気味良く軋む音。
(まったく、変わった男児よ)
斯様な日本人形の何がそんなにこの者の心を弾ませているのかは分からぬが、これほどまでに油断しきっているのであれば祟り殺すのは容易いであろう。して、狙い目は男児が蓋を開けた瞬間か、はたまた寝入った頃合いか……
(うむ、この状態では和紙が邪魔よのぅ。やはり寝首を掻くしかあるまいか)
そんな風に画策しておると戸を開け閉めするような音と共に妾の収められた箱がどこぞに置かれたか、わずかな衝撃に揺れた。
「さて、それじゃ──」
かぽっと空気が弾むような音と共に蓋が持ち上がっていく。そして一枚、また一枚と和紙が取り除かれていき、例のあの手が妾の体をゆっくりと抱き上げていく。
視界が、開けていく。
「──ようこそ、おれの部屋へ」
──ひっ!
思わずそんな情けない声が漏れ出てしまった。それぐらい、妾の目に飛び込んできた光景は衝撃的で、地獄めいていた。
否、地獄そのものであった。
まず、カーテンで仄暗く閉ざされた部屋の一角、ともすればこの部屋においては最も大きいであろう棚にずらりと人形の首が鎮座している。
丁寧に、まるで何かの儀式であるかのように等間隔に並べられたそれらの目は果てしなく空虚。どこともいえぬ虚空を見つめるその無感動な瞳は何も語らない。妾と違って単なる物でしかないのだから当然なのだろうが、その沈黙が何故だが不穏なものに思えてならなかった。
そんな人形の首から逃げるように視線を巡らせて──後悔。更に見るべきではなかったものを視界に捉えてしまった。
(あれは……なんぞや? 鋏……なのかぇ?)
今見ていた棚にほど近い場所にある三面鏡の取り付けられた机の上。本来なら小物入れであろう大量の筒に大小はおろか形も異なる鋏とおぼしき道具が収められていた。
鋏……首……
まこと不穏すぎる。
え? 妾、この男児を祟り殺す前に猟奇的に殺されるのでは?
「さーって、それじゃまずは……目隠ししちゃうかな」
妾が戦々恐々としているうちにどこから取り出したのか、細長い布を持った男児が満面の笑みを浮かべながら近付いてくる。あんな光景を見た後だからか、屈託無いその笑みがなにやら含むように見えて仕方ない。
そうこうしているうちに妾の目に布があてがわれ視界を奪われてしまう。
そして何も見えない妾の耳にシャキン、シャキン、と鉄の擦れ合う音が獣の唸り声のように耳朶を打った。
「じゃあ、まずは首から上を軽くしていこうか。久々だから上手く切れればいいけど、ドキドキするなぁ」
(わ、わ、わ……)
妾、どうなってしまうのじゃあああああああああ!?
いっそ反撃すればよかったのだが──思わぬ事態に出くわしてしまうと真っ当な判断力というものは失われるものらしく、妾はただただ立ち尽くすことしか出来なかった。
そして、遂にこの首を鋏の冷たい刃が食む──かと思っていたのだが。
サクッ。サクッ、ザクッ……──
そんな薄暗い想像とは裏腹に鋏がこの首に食い込むことはなかった。その代わりに鉄が擦れ合う度に頭が軽くなっていくような、そんな感覚だけが続いた。
それはまるで……いや、まるでというか、これは……
(妾……髪を切られておるのか?)
一体全体どういうことなのか、この男児は妾の髪を切っているようだった。しかも……やたら腕が立つ。しばし男児にされるがままに髪を切られているうちに、不思議な安心感に包まれて──
‐3‐
「よしっ。こんなもんかな。……いやぁ、満足満足!」
──気付けば妾は微睡みの中にいたらしい。男児の満足げな声に急激に意識が覚醒していく。髪は……だいぶ切られたのか、憑き物が取れたかのような身軽さを感じる。
(いや、妾自体が憑き物みたいなものではあるが)
思わずそんな益体のないことを考えていると不意に視界が白く染まった。
「はい、お披露目! じゃん!」
それが目隠しを取られたからだと気付くのにしばしの時を要した。
そして、視界が元に戻ってからそこに広がる光景を理解するのに、さらに時間がかかることとなる。
(──?)
視界を白く染め上げる光が徐々に引いていく。ようやっと視界が明瞭になった時、妾の目の前にやたら可憐な女子が佇み、こちらを見つめていた。
艶やかな黒髪は肩口で均一に切り揃えられ、その艶やかさは部屋の明かりに照らされるその頭頂部に天使の輪っかのような輝きが見て取れるほど。
そんな髪と同等、あるいはそれ以上に目を引くのがこちらを真っすぐに見つめるその双眸。まるで磨き上げられた水晶のようなその瞳は光を吸い込みまるで夜空に燦然と輝く星のよう。そんな見目麗しい女子であるが、その装いもまた可愛らしかった。
白いシャツに大海の如く深い青のスカート。その可憐な見目が夜のような静けさであったならその装いは穏やかな晴天のようである。
清楚。
そんな言葉が脳裏を過ぎるほどに、眼前の女子は愛らしかっ……
(ん? んん? んんんんんんん?)
ふと、違和感。何かがおかしい。
目の前の可憐な女子──その後ろ。そこに男児がにこにこと満足げに立っているのだが、それがまずおかしい。だって男児は妾の後ろに立っているのだから。
なら、答えは簡単。
目の前に映っている男児は鏡に映っている男児ということである。すると、目の前にいる女子は必然的に──
(うそ……これが、妾?)
思わずそんな言葉が零れ落ちるぐらいに衝撃の事実である。長らく日の目を浴びず埃を被っていた日本人形だった妾がこんな西洋人形もかくやに化けるとは。なんだか狐にでも化かされた気分である。
「うーん、やっぱ元がいいからよく似合うな」
そして妾をそんな気分にさせている狐もとい男児が鏡越しにふむふむと妾に視線を向けていた。その真剣な眼差しに胸がざわつくのを自覚しながら妾は男児の一挙手一投足、その言の葉の一語一語に意識を向けていく。
「こっちの服も似合ってるけど、やっぱり和服の方がしっくりくるか? でも少しメイクすればロリータ系もいけそうだな……明日色々買ってくるか……」
メイクだのロリイタだのとよく分からん単語をぶつぶつと念仏のように唱えだす姿はちょっと怖いものがあるが、そこに妾へ危害を加えようといった気配は感じられない。
(ふむ。悪い気はせぬな)
されていることは幼子の人形遊びと大して変わらぬし、どうも目覚めたばかりの頃に胸を焦がしていた激情は鳴りを潜めてしまったし、もう少しだけ付き合ってやろう。うむ。
そして妾を手放そうとする気配があればその時に祟り殺してやればよかろう。うむ。
「とりあえず、記念に一枚っと」
(っ!)
男児はいきなり手に持った小さい道具を操ると妾に向けてきた。そして瞬く間に目を焼くような光が瞬く。
パシャッ。
微かにそんな音が聞こえてきたような気がするが、もしや今のは写真だったのか?
妾が知らぬうちに、本当に時代というのは変わったものだのぅ……
そんな風に時代の移り変わりに思いを馳せていたからこそ、妾はその小さな道具を見つめる男児が更に指を這わせ何事かを実行に移していたことに気付かなんだ。
それが、妾を更に想像だにしなかった状況へ追い込むとも知らず。
‐4‐
「うわ、すご! 実物の髪艶ヤバ!」
「ンンンンン! この衣装、もしかして手作りで? 最早プロの域ですぞ」
「ほんとこれをしっかり保管してたお爺さん達グッジョブすぎやん」
「うああああ尊い。尊すぎますよなでしこさん……尊死する」
(なぜ。……なぜ、こうなったのじゃ?)
妾が目覚めて早一ヶ月。今、妾は四人の若者に囲まれマジマジと見つめられたり写真を撮られたり服を持ち上げられたりとされるがままとなっていた。
男児に至ってはそんな妾達の後方で腕を組みながらなにやら満足げにこの光景を眺めているだけで何も言ってこない。これがあれか、いつぞや知った後方彼氏面というやつか。いや違うか。妾人形じゃし男児は持ち主だしの。……後方所有者面? むむむ……
なんとも釈然としないこの状況、遡ればそれはつい数日前に起きたのだった……──
『なでしこさん! こないだの新衣装も凄い評判だよ! ほら!』
男児がぐいっと妾に例の小さな道具──『すまほ』、と言うらしい──を突き付けてくる。
そこにはかれこれ六、七着目になるだろうか、男児が恐ろしいペースと連日夜なべをして制作した紫陽花柄の着物に身を包み、伸びた髪を後ろで結い上げた妾の写真が。しかし画面には写真とは別に文字の羅列が続いている。
『エモっ!』『やば! なでしこちゃんまじすこ』『なでしこちゃんのおかげでドール沼にハマりました』『なでしこちゃん神すぎ』『なでしこちゃんまじ天使』
それらの意味はほとんど理解が出来ぬものであったが、この一ヶ月で得た見解としては妾を褒め称えているものらしいことだけは分かった。なにせ男児が嬉しそうにしておるし、時折男児もこのようなことを熱に浮かされたように呟くことがあったし。
ちなみに何度も出てきている『なでしこ』というのは妾に新たに付けられた名前である。
男児に引き取られたあの日に一晩中頭を抱えていた男児から命名された名で、その名を聞いたばかりの頃は「花の名を名付けに使うとは感心せぬな」と思ったものだがどうも由来は花ではなく大和撫子からきておるらしく、そういうことなら悪くはないと妾も気に入っていた。
で、そんな妾が評価されているのがよほど嬉しいのか、男児は妾の頭を撫でつけながら
『今度ドール沼仲間と久々にオフ会することになったし、それ用の服とかも見繕わないとなー』
(ん?)
なんだか聞きなれぬ単語が男児の口から出てきた。おふかい? 一体、それはなんなのだろうか。聞きなれぬ言葉に何故だか大変な目に遭うような、そんな気配を感じはしたが……心底楽しそうに妾の服を見繕おうとしている男児を見ていると、まぁ、別にいつものことか、と思えてしまうぐらいには、妾もこの男児と過ごす日々に慣れ始めていたのだった。
「──それにしても、今日の髪型も凄いおしゃれですね。前はショートカットだったけど今回とか凄い編み込み凝ってるし……やっぱ素がショートでウィッグとか被せてる感じなんですか?」
「あー……まぁ、うん。そういう感じ」
妾の髪を興味深そうに眺めていた一人に問われ男児が少し言い淀むように首肯する。だがそれが嘘であることは当事者である妾がよく知っている。
まぁ、髪が伸びていくから色々出来る、とは言えぬだろうなとは妾も思う。それが原因で押し入れに仕舞われておったんじゃし。
(しかし、まぁ……不思議なものよのぅ)
気味悪がられ、暗闇の中に仕舞われていた妾が今ではこうやって若人に囲まれて日の目を浴びているとは……何があるか分からないものじゃ。
「ふぅ。良いものを見せてもらいましたなぁ。あ、一枚記念にいいです?」
「あ、私も!」
「ンンッ! 拙僧、服の参考に何枚かよろしいですかな?」
「……」
「ぜひぜひ。きっとなでしこさんも喜んでくれると思います」
男児が屈託ない笑顔で請け負うと同時、一斉に『すまほ』を向けられる。パシャパシャ、ピピッ、カシャーンカシャーン……もうこれにも男児の普段のそれで慣れたもの。妾は撮られるがままに残りの時間を過ごしていった。
‐5‐
「今日はお疲れ様、なでしこさん」
夜。長引くに長引いた『おふかい』もようやっと終わり、家に帰ってきた妾は男児に髪を梳かれていた。男児は出会ってから毎日、こうやって欠かすことなく妾の髪を梳いてはその日の出来事を語って聞かせてくれるのだ。
やれ妾の写真が凄い評価されたとか。
やれ徹夜の影響で授業中に寝てしまったとか。
やれ妾が何を着ても似合うだとか。
やれ妾の髪は手の加え甲斐があるとか……
(まったく、おかしなものよのぅ)
妾のような髪が伸びる人形に嬉々として愛情を注ごうなどと。
(本当に、呆れたものよ。呆れすぎて──)
祟るのも億劫だ。
「明日はさ、新しく試したい髪型もあって──」
明日。
思えばいつも男児の口から出てくるその言葉に気付き妾は人知れず苦笑した。
明日も、こんな日々が続くというのか。
そしてそれは恐らく、その次の日も。さらにその次の次の日も。
うむ。悪くないな。
男児が放った何気ない一言に頷きながら、やはり妾は思うのだ。思わずにはいられない。
本当に、祟るのも億劫だ。
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