第35話 狂気に満ち溢れて
「最近隣国のグランテラスがまた軍事力を蓄えようと動いているようでして。大戦責任を課せられて王は惨殺されたにも関わらず、次のトップになった輩はなにも反省していないようで」
賢者が発する言葉はカエデに伝えようとしているのではなく、自身の中からこみ上げてくる怒りをただ吐き出し続けているようであった。二人と別れてから少し違和感を感じていたが、ここに来てまるで別人のように変わってしまった。
そのあふれ出す怒りを目の当たりにするカエデは、両目を大きく開きその信じられない事実を前に硬直していた。
「ちょっ! ちょっと待ってください! これを動かすのになんで人を殺す必要があるんですか!?」
言葉の意味を自身の頭が理解するまでに少し時間を費やした。そして、伝えられたその内容はカエデが到底受け入れられるようなものではない。この男は少女を悪魔かなにかに仕立て上げようとしているのではないだろうか。
「祝福の少女の世界ではどうだったか分かりませんが、この世界では人の命こそが一番のエネルギーの元なんですよ。その力で、城全体に結界を張っているような国があるほどですから」
「だからって、私が元の世界に帰るために関係ない人を殺すなんてことはできません!」
カエデの世界のフィクションでもそんな話の内容はあったかもしれない。労働力という点ではその話は当てはまるかもしれないが、実際に人そのものがエネルギーになることは無い。それは、この世界でも同じだと思っていた。いや、そんなこと考えもしなかった。
既にこの男のことを信用できなくなってきているカエデは頭が混乱し始めている。これが、戦争を有利に進めるための嘘なのか、それとも本当に人そのものにエネルギーとしての価値があるのか。
「関係ない? そんなことはありませんよ。第一にあなたはこの国に救われているでしょ?」
さっきまで一切カエデの方を見ようともしていなかった賢者が、恐怖で後ろずさむカエデの方を勢いよく振り返る。その表情はとても正気なものではない。真顔なのか笑っているのか、怒っているのか。すべてが混同してそして黒く染めたようなそんな顔をしている。
「……はい?」
「あの野蛮な娘もこの国の人間ですし、第一もし最初に来た場所が隣国だったらすぐさま殺されていましたよ」
「だ、だからって……!」
一歩一歩ゆっくりとカエデに近づいてくる。それと合わせるようにカエデも一歩づつ後ろに下がっていく。大の大人に詰め寄られることがこうも恐怖を感じることを初めて知った。すでにこの場に冷静なものは誰ひとりいなかった。
少女がこの国に来てから見てきたことは、表面上の綺麗な物だけだったことは正解だろう。しかし、だからと言って過去の産物にとって関係のない少女に対して、それを無理やり知らしめることは正しいことではないだろう。
近づてくる男が、なにかはっと気が付いたような顔をして、「なるほど」と言わんばかりに両手を合わせる。
「大丈夫です。安心してください。もし自らの手で人を殺すことに抵抗があるのならば、兵士にやらせればいい。あなたの魔法の力はとても強大だ。それで直接留めをささなくとも、十分戦況をリードするために役に立つ」
「そ、そういうことを言っているんじゃありません!」
賢者の妙案を反射的に否定するカエデの声は恐怖で震えてはいたものの、声量は今までにないほどの大きさだった。
これは、まさしくカエデという一人の魔法少女を戦争兵器として使おうとするものであった。カエデにとってはそれは到底受け入れられるものではない。
「そうすれば、10年前の責任も果たせる。そうすればこの国もより豊かなる。そうすれば、俺の役目もようやく終わる」
賢者の耳にはカエデの言葉は一切入ってはいない。何かにとらわれている人間の恐ろしさを体現している。
「だから! 祝福の少女には! 力を貸してもらう!」
「私の話を聞いてください!」
賢者はそのままカエデに詰め寄り、両手で片を掴む。
「いたいっ!」
賢者の握る手の力は徐々に強まってくる。魔装を装備すれば振りほどくくらいはできるであろう。しかし、少女にとって命に別状はないその誰に向けられているかも分からない悪意の対処法が分からないので。
ここで、願いの力を使い賢者を拒絶していいのか。人と言う感情を持った物を相手にすることが、ここに来るまでなかったカエデにとっては困惑を加速させるだけであった。
「祝福の少女! 国の! 俺の力になってくれるよな!」
上から押さえつけられるように両肩を掴まれていたが、今は少女の顔を覗き込むような態勢になったため少しだけ力が緩んだ。
少女は一瞬のスキをついてその手から逃れることができた。チャンスは今しかないと思ったのと、その恐怖に満ち溢れた顔が目の前にきたことによるとっさの行動でもあった。
「落ち着いてください!」
そのまま少し距離を置き、はっきりと拒絶をする。またしてもその体は、恐怖で震えているが今は頼れるあの人はいない。少女は一人で挑まなければならない。
「このガーランドが滅びてもいいのいか! このガーランドの民が隣国のゴミ共に殺されてもいいというのか!」
すぐさま、少女を取り押さえることはせず、体はそのままで首だけでその姿を捉えれる。怒りで我を忘れた初老の男性の姿は、初めにあった時よりも老けて見えるような気がする。
「私はその答えを持ち合わせてはいません! ただ、私の力は人を殺すためのものじゃありません!」
「違う! 魔法は皆すべかず人を殺すためのものだ! 俺はそれ以外知らない!」
再び全身で少女の方を向きながら叫ぶが、焦点は定まってはいなかった。怒りに叫んでいるように思えたが、その真相には怒り以外の感情が強く見えるものであった。
生きていれば辛いこともある。それは長く生きていればなおさらのことだろう。しかも、ずっと生きるか死ぬかの生活をし続けてきた人間が寝れば綺麗さっぱりと言うわけにはいかない。
「ごめんなさい! ここまで来ましたが私はこの国お力にはなれません! 失礼します!」
律儀にもその狂乱している賢者に深く一礼をしてから、返事を待たずに逃げるように去っていく。
「待て祝福の少女! どこへいく!」
最後の最後にすがろうと思っていた大木に見放され、希望を見失った賢者はそれを見て、ただ行かないでと願うことしかできなかった。
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