第2話
「いらっしゃいませー」
自動ドアが反応した瞬間、春の涼しい風よりも冷たい空気が、中から押し寄せてくる。店内から、店員さんの元気な声が聞こえてきた。
オレはフラフラした足取りのまま、トイレへ直行する。
なんとかここまでたどり着いたが、オレの手の中は今悲惨な状況だ。中途半端に口から溢れたおにぎりの残骸たちが手にベットリこびりついている。
トイレの奥に設置されているセンサー式の蛇口に手をやり、オレはなるべく中を見ないようにして吐瀉物を洗い流す。口の中に残っているのも同時に吐き出した。
うぇぇ……なんか黄色いんですけど………
ちらりと洗面台の中をのぞいてしまい、唾液の分解力を知ることになってしまった。アミラーゼすげぇ……てかほんと、ネバネバする。
水だ、水をくれ……
手を洗い切ると、トイレを出てすぐ横に並んでいる飲み物の棚から、水を見つける。ガラスの向こう側には、いろんなパッケージの水が横並びに並んでいた。ちなみにだが、オレはいろはす派でもアルプス派でもない。水の味とかどうでもいいと思ってる派だ。さっさと適当に選んでしまおう。
………うわ、サ○トリー値引きされてんじゃん
「これお願いします」
「はーい、90円です」
とりあえず、オレのお口事情は解決である。
♢♢
─────それから5分が経った
「遅刻だな」
「そうですね」
目の前にいるのは、角刈りに赤ジャージ姿のヒヒダルマみたいな男である。え、ヒヒダルマって言っても伝わらない?あー、………ゴリラ?
「そうですねじゃないだろ!理由があるなら言え、でなければ謝るのが先だ!」
別に悪い人じゃない。こんな朝っぱらから1時間近く校門前で生徒を見張っている勤労者である。この怒鳴り声も、あくまでオレをより良い男へしようとするがためのものであるのだろう。
「あ、すみませんでした。寝坊してしまって、申し訳ないです」
別に無理に不良ぶる気力も体力もないので、普通に謝る。いや、オレいうて悪くないけどね。悪いのはあの腐れ女だけだけどね。いつだって謝るのは悪くない方である。はあ、泣きたい。
「ふむ、それなら最初からそう言え。まだ1回目だし今日は許してやる。お前、何年何組だ?」
「2年3組です」
「名前は?」
「えーと、
「……成る程な」
何やらペンを動かし、ゴリ…じゃない、先生は手に持っていたボードに書き込むと、オレの方へ向き直す。
「確か鬼塚先生のクラスだったか。教室入る時謝っとくんだぞ」
「はい、勿論です」
オレは一礼すると、じゃあ行けと道を開けるゴリ…先生に会釈をする。ホームルームの開始を合図する鐘の音が校舎側から聞こえてきた。
♢♢
「遅刻だな」
「………すみません、寝坊しました」
一つだけゴリ…あーもうゴリラでいいや。ゴリラには嘘をついたことがある。
それは、教室へ入る時に謝る気はなかったということだ。
考えてみてほしい。教室の中ではクラスメイト達が真剣?にホームルームをしているというのに、突然扉を開けて「すみませーん、遅れました!」とか必ず目立つこと、根暗なオレができるだろうか?いや、できない。
てことで、オレはホームルームが終わるまで廊下で待機するつもりだった。
まあ、出来なかったのだが。
オレ達、2年3組の教室は、3階の一番端の校舎にある。校舎を登るための階段は大きく分けて3つあるのだが、そのうち校舎の端、つまり2年3組の真横に設置されている階段を南階段。2年1組の前の広場を通る階段を本階段。実験室や準備室などがある別棟と第一棟(教室がある所)の間に設置されている階段を北階段という。
オレは他の教室の前を通らないため、南階段を使ったわけなのだが、残念なことに目をつけられていたらしい。
オレが3階に上がる階段を登っていたときには、長い黒髪の女性がこちらをガン見していた。一瞬化け物かと思ったのは内緒である。
「まったく、キミはいつもギリギリだったが、ついに遅刻したか。家は近いはずだよな」
「まあ、歩いてこれるぐらいには………」
結局、オレは今、ホームルーム中にも関わらず、教壇の前に立たされ晒し首にされている状態だ。
後ろからくすくすと笑い声が聞こえてくるのが鬱陶しい。今時、他の同僚の前で注意をしただけでパワハラと言われる時代だというのに、この仕打ちはないと思う。この学校はブラック企業ですか?
「はあ……それで、寝坊した理由は?」
長い黒髪を垂れ流したまま、腕を組み仁王立ちで鬼塚先生はそう訪ねてくる。
「………夜遅くまでゲームをしてまして」
「ほう、ゲームか」
ヒクッと片眉を上げ、そう相槌を打つ先生は中々に絵になる。綺麗な髪の毛に整った顔立ちをした若い?先生。普通にしてたらただの美人なのだが、怒ることが多く、鬼塚の名の通り鬼みたいな表情を浮かべることも多い。
今も、こうしてニヒルな笑みを浮かべこちらを睨んでいる。てか青筋出てません?え、怖い。
そして残念なことに、悪い予感は当たった。
「んー、確かテスト2週間前だった気がするんだが。私の気のせいかな?」
「……気のせいじゃないです」
「あと、テスト2週間前の勉強計画表。まだ、提出していない奴がいたな?誰かわかるか?」
「……オレです」
「それで、なんだったっけ?夜中に?」
「……ゲームをしていました」
まさかの嫌味三連発である。最早、後ろから聞こえた笑い声も哀れみの目しかないように思える。オレ自身も、苛立ちを通り越して泣きそうになっていた。
どうしよう、死にたい。
オレは真剣にそんなことを考えるが、現状は変わらない。助けてくれそうな友達など居ないし、言い訳も思いつかない。
オレは心を無にするしかないと覚悟を決めたが、その時、教室の殺伐とした雰囲気を切り裂くような声が聞こえてきた。
「鬼塚先生ー、結人くんも反省してるみたいなので許してあげてください。てか、次小テストなんで早く勉強したいです」
可愛らしいがよく通り、少し嫌味そうな声を発する、短い黒髪の少女。今時の女子高生の中ではゆるふわに部類されそうなカールのかかった髪の毛に、大きな瞳。鼻筋も通っていて、新雪のような肌には淡いピンクの唇が映えている。
そして彼女が声を上げた瞬間、それに追随する様に黙っていたクラスメイト達も、あちこちから声を発し始めた。
「あー!私も早く小テの勉強しないとヤバイかも!」
「てか先生!オレもよく遅刻するしいいじゃないっすか」
「鈴宮くん可哀想ーー」
当たり前のことだが、別にオレの人徳でこうなったわけではない。全て最初に声を上げた少女のなせることである。
オレは一瞬、感謝しそうになるが、慌てて踏みとどまる。
何故か?そんなこと決まっている。
今、オレの方へ優しげな視線を送っている少女こそ、全ての元凶である、
「おいキミたち!一旦静かにしろ!」
オレが恨みのこもった目をあの女に送るか迷っているうちに、先生は声を荒げ教室を沈ませる。
「なるほど、次は英語だったな。それは悪かった。では、ホームルームは終わるから各々、次の授業の準備に取り掛かっていいぞ」
そして、それだけ言うと、いつもの通り日直が「起立」と言い、終わりの挨拶をする。
オレも形だけ頭を下げる。みんなオレの方に頭下げてるみたいになるし、なんか罪悪感がある。
そして、オレがモヤモヤした気分のまま顔上げた時、鬼塚先生はオレの肩に手を置きこう言った。
「提出物を出さなかったら分かってるよな?」
笑顔だが、隠しきれない殺意を感じる。
オレは愛想笑いを浮かべつつ、高速で頷くと、そそくさと自分の席へと戻ることにした。
♢♢
ちっ、酷い目にあった………
自分の席に座り余裕もできた頃、オレは机に突っ伏した状態でそんなことを考える。
思い返せば、全てワサビおにぎりのせいな気がする。ただ、元凶であるあの女を吊し上げたいが、ピンチを救われたせいで何も言えない。
悶々とした気持ちのまま、英語の小テを見返すかと顔を上げると目の前には可愛らしい少女が椅子に座りこちらの方をじっと見ていた。
「結人くん、大丈夫だった?鬼塚先生にすごい怒られてたけど……」
心配そうな表情でこちらを見てくる少女は、例の如くあの女である。
やはり、彼女の顔は可愛らしく、ガラス玉のように透き通る瞳は本気でオレのことを心配しているようにも見える。
「お前マジで…………」
「ん、なに?」
にっこりと微笑む彼女は、きっと周りから見れば天使のようにも見えるのだろう。オレは込み上がってくる殺意をなんとか抑え、表情を和らげこう答える。
「…いや、助けてくれてありがとう」
彼女は一瞬、キョトンとした顔を浮かべたが、すぐに笑顔に戻ると、まるで友達かのような態度でオレの瞳をじっと見つめてくる。そして、席から立ち上がるとオレの耳横に顔を近づけ、生温かい吐息と共にこう言った。
「おにぎり、もう一個食べてもいいからね♡」
耳をとろけさせるような甘い声だったが、オレはしっかりとその言葉の意味を捉える。
「……お前、ほんといい性格してるよ」
「えー、それほどでもないよ?」
オレの精一杯嫌味を込めた呟きは、彼女の微笑みによって軽くいなされ、そのまま騒々しい教室に消えていった。
ウザ可愛い系の義妹かと思ったらただ嫌われているだけででも結局好かれているような気もしなくもない闇の深そうな女とオレの話 @morukaaa37
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