四十二話 握られた勝利

四十二話 握られた勝利



 パキッ。簡素な音とともに、下半身が凍りつく。


 ユウナは、その現状を認識するのに二秒を要した。


「え……?」


 下半身の感覚が消える。勝利は目と鼻の先にあるというのに。あと少し、足を前に進めて手を伸ばせば届くのに。


 脚は、ものの数ミリすら動かない。


「氷慧魔術、か。クソッ!!」


 宙に浮かぶ数字が『00:20』を示す。


 あと、二十秒。ユイは旗を守り、魔獣を拘束するため動けず。レグルスはミリアを止め、アリシアは未だ弓に手をかけたまま。


 一瞬にして悟った。この氷を脱するためには、己の力を使うしかないと。


「ッ、このっ!!」


 手元の剣を、腰元の氷に向けて振るう。しかし「キィンッ」と金属音が鳴るばかりで、何度繰り返してもほんの少し氷の先が欠けていくだけ。


 到底、間に合わない。そして何より、このままでは後ろの敵が立ち上がる。


「君達! 死ぬ気で立って!! その子を……止めろッッッ!!!」


「クッソ、てめぇやりやがったな。こうなったら、俺が────」


「えぇ? いいのかなぁ。私、魔素限界には入ってるけど、死ぬ気で打てばもう一発、あの二人にぶち込めるよ? 君があそこまで行くのと、私がそうして全てを薙ぎ払ってから旗を奪取するの。どっちが早いかな?」


「ッッ! クソが!!」


 レグルスの視線の先で、ユウナによってのされた三人が震える足腰を鼓舞しながら、ゆっくりと起き上がっていく。


 あと十秒もあれば、ユウナに追いつくだろう。それをアリシアが邪魔して食い止めたとしても、結局のところユウナ自身があの氷から抜け出せなければ終わり。


 敗北。その二文字が、脳内を支配した。


────この場にいる、二人を除いて。


「おいテメェ、死ぬ気で動け!! これで負けたらぶっ殺す!!!」


「レグ、ルス……」


 まだだ。まだ、終わってない。


 少し手を伸ばせば届くんだ。最後まで────

『頑張れ、ユウナ』


 諦めるな。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あッッッッ!!!!」


 魔術は使えない。どのみち、灼炎魔術でダラダラと溶かしている時間などありはしないのだから。


 ここまで、仲間が繋いでくれた。みんながいたから、この場に立てた。


 なのにここで、こんな奴のせいで負けて。そんなのが、許されるはずがない。


 動け。身体が壊れたとしても関係ない。


 動け。動き続けろ。


「勝つ……勝つんだ。僕達が、絶対にッッッ!!!」


 刹那。ユウナ本人には自覚のない熱が、身体から発生する。


 それはアンジェと過ごしたあの空間での鍛練の日々による癖。頭では魔術を使うまいとしていても、ただの根性論などでは一切打破できない現状を感じとった身体によって発生した、いわば魔術の″汗″。魔素を抑えようとする頭と発し促そうとする身体の矛盾により発生した、魔術の無意識発生による超常現象。


 魔術に耐えぬく身体を生まれつき持つこの世界における女の体温は、平常時は三十六度付近であるものの、上にも下にもおよそ十度以上の変化を許容する。本来、その身体つきを持ち合わせているのは女のみではあるが。アンジェにより魔術の″芯″を通されたユウナの身体は例外的に、その体質の部分的な獲得を完了している。


 今、魔術の汗が滲み出た彼の体温は四十八度。失神するギリギリまで上げられた体温と収縮、膨張を繰り返す筋繊維の激しい活動により、肌との接触面においてのみ。魔氷は、その温度がゼロ度を超えて溶け始める。


「邪魔を、するなァァァァァッッッッ!!!!」


 ミシッ。脚の筋繊維のあげる悲鳴の音が、脳内を反響して停止信号を送った。


 だが、既に″興奮状態″ともとれるアドレナリンが分泌され痛みが抹消されたユウナの頭は、強制的にその認識を打破して身体を突き動かす。


 全ては無意識が生み出した現象。これが彼の強さ故とは、断言できない。


 しかし紛れもなく、これを呼び起こしたのは災厄の魔女、アンジェ•ユークレクタスとの日々。そして仲間の死を乗り越え、前へ進むことを決めた彼自身の″覚悟″。


「嘘……ありえない! ただの人間が、その身体で魔術を破壊しようとしてるの……?」


「届けェェェェェェ!!!!!」


 ミシッ、バキバキバキッ。────バキャッ。


 一度入った亀裂は、あっという間にその幅を広げて。ユウナの下半身を覆った魔氷は、九秒という時を経て破壊された。


「ぐっ、ぁ……」


 しかしおよそ同時。ユウナの脚は解放されると同時に筋肉痙攣を起こし、倒れ込む。


 低体温からの急激な体温上昇。加えて伸ばされ続けた筋繊維。既にズタズタになるまで内面的な傷を負ったユウナの脚はもう、動きはしなかった。


「動け……進め……」


 感覚のなくなった脚を引きずり、伏した身体を腕の力だけで押し進める、這いつくばりながらも進む。


 試験残り時間、六秒。背後からは復活した魔獣に加え、死に物狂いで己の負けを回避せんとする亡者がその身体に食らいつこうと、手を伸ばす。


 旗は、一メートル半の高さをもつ石柱の上。


 誰の目にも明らかだった。ユウナがその旗まで今の状態で辿り着くのは、不可能であると。このまま六秒という時間を誰の邪魔もなく使ったとしても、せいぜい柱のふもとに触れるのが限界であると。


────外的要因の、関与さえ無ければ。


「アンタの勝ちよ。ユウナ•アルデバラン」


 一閃。亡者と魔獣のわずかな隙間を撃ち抜きし黒炎の閃光が、勝利を与えし一撃となって柱にぶつかる。

「あっ……」



 刹那。崩された柱から溢れた勝利の証は、伸ばされた手の内に握られていた。

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