三十二話 帝王学
三十二話 帝王学
一目見た瞬間から感じていた。ヘラヘラと軽い表情で顔面を取り繕っていても、俺のことを今にも食い殺さんとばかりに隙を伺っている眼。
気に入らない。コイツは言葉にする前から俺を見下している。本能的に俺を格下と決めつけ、勝つ自信と共に一人で旗を狙いにくる俺を潰しに来たわけだ。
(魔闘士だか何だか知らねえが、相手チームを取り仕切ってるのはコイツ。残りの雑魚三人はアイツ一人でなんとかなるだろ)
なら、俺のやるべきことは一つ。この女を泣かせて旗を奪い取ることだけだ。
「ぶっ殺す!」
普段の木刀とは違う、人を殺せる剣がズシリと腕の筋肉を重みで収縮させる。
切っ先を直撃させたらコイツの死は確定。ならば刃の横面で────
「────っあ!?」
「ふふっ、ばぁか」
刹那。乱暴女の顔が眼前に迫る。
振りかざされた剣を前にした、突然の加速。首元は鋭利な刃先の目の前に晒され、刃先の触れる寸前で俺の手が止まる。
「ぐ、がッ……」
それは、俺が″相手を殺せない″ことを逆手に取った奇襲であった。最大限まで加速した剣先を致死の首先に晒されれば、俺は手を止めざるを得ない。その一瞬の油断を誘われ、一撃を食らった。
鼻先に、強烈な痛みが走る。拳を顔面に叩き込まれ、反射的に身体がのけ反った。
「あははっ、だよねだよね。フリーズしちゃうよねぇ、おバカな狂犬君っ!」
「っ……クソが……」
鼻は、折れたか。分からないが、左穴から垂れ始めた鼻血を俺は止めずに、右穴を塞いで全てを一瞬で出し切る。
足元が汚い血で染まった。出血で出し切ることで無理やり応急的な止血をしたが、痛みだけは治らない。頭も揺れ、目が眩む。
「息吹し生の筋接よ、その身体を強め、全性能を加速せん────身体強化魔術、付与エンチャント!」
だがその瞬間、俺の身体を光が包む。そして瞬時にして視界が正常に戻り、痛みがほんの少し和らぐ。
(根暗女の、付与か……)
身体強化魔術。その効能は術者の実力や魔素の偏りに大きく依存するが、向上するものは身体機能全般。恐らく今底上げされた自然治癒力がその力を示し、受けたダメージを修復しているのだろう。
「へぇ、あの子付与術師か。完全にノーマークだったけど……案外面倒かも」
屈辱だ。俺がコイツに一撃をもらったことそのものに対してではない。そのたった一回のミスで敗北を連想され、ほんの少しでも心配されてしまったことそのものが。
「ふざけ、やがって。俺が止まってなかったら死んでたんだぞ」
「ふふんっ。止まる確信があったから行動に移したんだよ」
これは試験。自分に向かって来ているのは犯罪者や暴漢などではなく、ただの一生徒。この女は俺がどう足掻いても逆らえない絶対的なルールを利用し、戦いを有利に進めている。
きっと同チームの男共が真剣を手にしていた時からその事を考えていたのだろう。本番なら同じことはできないというのは詭弁だ。恐らく適応力の観点からみて試験的に減点されることもない。ずる賢い女だ。
「ねぇ、君ってさ。結構頭動かしてあれこれ考えながら剣振るタイプの人でしょ」
「……あ?」
「そういうの、分かっちゃうんだよね私。君はブレーキを踏める人なんだよ。自分に自信が無いから」
気色の悪い質問に、心がざわつく。
自信などあるはずがない。俺は常に踏むことすら叶わない影を追い続けてきた。
ある日、リヒトにたった一戦負かされた。ドーレに、一対一の打ち合いで競り負けた。
そんな小さな敗北が積み重なり、俺はアイツらとの間にある絶対的な壁の存在に気づいてしまった。それからはもう、自分が一直線に歩けているのかも分からなくなるような道を一人、進んでいる。
「人生における最大の目標がある日突然消え失せる絶望感なんて、お気楽なてめぇには分からねぇだろ」
「うん、分からないよ? だって私の目標は私だから。自分以外の誰か、何かを目標にして生きるなんて馬鹿でしょ。どう足掻いたって自分は自分でしかないのに」
「ちっ……やっぱりてめぇは気に食わねぇな」
そう生きれたならどれほどよかっただろう。常に自分を最強にするために、我を貫き一つの道を極め抜けたなら。
俺にはそうする事はできなかった。超えるための目標がある日突然、訳もわからず死んでしまって。それからがむしゃらに剣を振り続けているが、あの日から俺の成長は止まっているようにすら思える。
ふとした瞬間に突然。リヒトならこうする、ドーレならこうすると雑念が湧くのだ。俺は、俺を百パーセント信用できていない。だからいつまで経っても……弱い。
(だけどな……)
自分の可能性のみを信じ、一つの道筋を走り続ける。それは確かに、出来れば素晴らしい事なのだろう。
だが、それがどうした。俺はまだ弱くていい。きっとこの強さへの渇望は、自分の中での最適解を見つけた瞬間に止まってしまう。
他人の自分より優れている点を取り込み、自分の型へと嵌めて最適化する。俺にとっての最適解は他者を喰らい、常に進化し続けること。
「自分大好きっ子ちゃんのてめぇは、俺様がこの手でねじ伏せる。人を窮屈人生マンみたいに言いやがって」
これこそが、俺の帝王学だ。
「泣きべそかいても許してやらねえからな。乱暴女」
言葉と共に、俺は駆け出す。根暗女の術のせいか、身体がいつもより軽い。百パーセントの、そのほんの少し先を見ることができる。
「まぁた大振り? 学ばないねぇ!」
「はっ、ばぁか」
女の胴に向け放った一閃を、俺は空中で可動修正。大きく上に振り、空を切った剣を手放して拳を放つ。
「フリーズするよなぁ! 俺に剣しかないと思ってる脳筋乱暴女ならよォッ!!」
「ぐっ……! 女の子の顔を殴るなんて、やってくれるじゃない!」
頰に喰らわせた拳を掲げ、落下する剣を再び握る。
本来格闘技や対人での素手の戦闘の訓練は、俺たちにとっては優先度が低い。学園の授業でも、最低限しか学んではこなかった。
だが、そういった固定観念は時に油断を生む。俺は個人で剣を振るのと同様に、相手に型を読ませないことを目的とした素手の戦闘も普段から組み込んでいる。
「俺が物事を考えながら攻撃をする事でそれを読んでるってんなら、てめぇが考えらんねぇ事を繰り返す! そうすりゃついてこれねぇだろが!!」
相手は闘士。女の中では圧倒的に少なく希少な戦闘スタイルの派閥だが、当然これまで幾度も戦闘訓練は積んできているだろう。
近距離での素手、剣を使う相手をコイツは腕っぷしとそれを強化する魔術のみで打ち負かしてきた。
だから、これまでの相手の動きをほんの少しでも再現するわけにはいかない。型にはまった戦闘スタイルは、きっとコイツ相手にはまともに機能しはしないのだから。
「っ────らァ!!」
「う、ぐッ……!」
膝、腹に空中で二連蹴り。どちらも確実にヒットしたが、最後の一撃をかまそうとしたその瞬間
「ナメ、るなァァ!!!」
「ッッッ!!」
振り上げた脚を払われ、体勢を崩される。咄嗟に修正するが、生まれてしまうほんの寸分の隙をつかれ、受けに構えた剣から身体中を伝染して衝撃が流れ込む。
(流石に、そう簡単にはいかねぇか……)
この女が使っている魔術、身体強化。全身の血液の動き、赤血球量、筋肉運動。幾重にも強化が入り混じるその術は、更に女の動きを加速させる。
俺にも未だ効力は残っているが、付与術による魔術は本人が使うよりも威力、効能が落ちる。同等の性能は当然纏えてはいない。
その差に加え、奴自身の経験則と基礎身体能力の高さ。何より俺が背負ってしまった、使うことのできない剣のハンデ。いっそ完全にこの重りを捨てて戦いたいが、俺の中に引っかかる本能的な″何か″がそれを拒否している。
その正体は剣士としての意地か、この試験そのものに対する疑問か。そんなことを考え整理している余裕は、今の俺には無い。
「はっ、ならとことんやり合うしかねえよなぁ。うだうだ考えるのはてめぇをのしてからだ!!」
戦いは、加速していく。
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