十一話 魔術の根源

十一話 魔術の根源



「待たせたな、アールグレイだ」


「あ、ありがとうございます」


 照りつける太陽、ほんのりと吹く緩い風、揺られる草原。


 そんな心地いい空間の端で、小屋の前の椅子に座り僕は出された紅茶を一口飲んだ。


 柑橘系の匂いがするそれは、暖かい味がする。飲むだけで喉から身体がポカポカしてきて、心がとても安らいだ。


「美味いだろう。私のお気に入りだぞっ」


「はい。温度も味づけもちょうど良くて。これならいくらでも飲めます」


「ならよかった。ふー……ふーっ……」


 ちょびちょび、ちょびちょび。満足げにそう答えたアンジェさんは、ティーカップの水面に息を吹きかけてからアールグレイをほんの少しだけ飲む。何もしなくても熱いなんて感じない水温だったと思うけれど、もしかして……


「アンジェさん、猫舌なんですか?」


「はっ、そんなわけないだろう! 私は魔女だぞ!? 猫舌など、雑魚舌を持っている脆弱な奴にしか現れない症状だ!!」


「だったらそのふーふーは何なんです?」


「……」


 師匠は極度の猫舌らしい。それからしばらく、黙って少しずつ紅茶を飲み進めていた。


「全くうるさい弟子だ。そろそろ授業を始めるぞ」


 僕の言葉をはぐらかし、そう言ったアンジェさんはその場で立ち上がる。


 授業、か。男の僕でも魔術が使えるようになるなんて、夢みたいだ。


 そんなことを考えていると、背後の小屋の扉が開きふわふわと一冊の本が飛んでくる。やがてそれは僕の前まで来て、机の上にそっと着地した。


「話を聞いてばかりと言うのも疲れるだろう。これから私が教えることは全てそこに書いてあるから、後々参考にしてみてくれ。今からは説明を最低限に、実演的に魔術を教えていく」


 目の前の分厚い本を一ページめくると、中にはぎっしりと文字が書き殴られている。どうやら全て印刷ではなく手作業で、アンジェさん自身の手によって書かれた手書きのものらしい。


「では立ってくれ、ユウナ」


「は、はい!」


 椅子を引き、立ち上がる。最強の魔女である師匠から直々に魔術を教えてもらえると聞いて、僕の心臓の鼓動は激しく加速していた。


「よし。じゃあこれからお前に魔術の基礎を叩き込んでやる。その上で初めに、魔術の種類の違いを教えよう」


「種類の違い、ですか?」


 一概に魔術と言っても、様々な種類があることくらいは僕でも知っている。女子との合同訓練では灼炎魔術と呼ばれる火の魔術「ファイアボール」や、氷慧魔術と呼ばれる氷の魔術「アイスボール」など。その他にも実際にプロの魔術師が戦う場面では光で相手の視界を奪ったり、縄を出して拘束したりなんかも見たことがある。種類というのは、そういうことだろうか。


「違う違う。もっと根本的な種類だ。私の空間魔術やそいつらの魔術は全て、『創造魔術』と呼ばれる。女であれば使うことができる魔術だな。そしてもう一つ、『合成魔術』というのが存在してな。これは男であるユウナ、お前が使うことのできる魔術だ」


 アンジェさんはその後、こう説明した。


 まず創造魔術は女のみが使用できるものであり、何もないところから体内に流れる「魔素」を使用することで物質などを生み出しているもの。


 そして合成魔術は逆に男にしか使用できない魔術であり、こちらも体内に流れる魔素を使うことに変わりはないものの、何もない空間に物を作り出すことは出来ない。物質が存在するための条件を全て満たした時初めて何かを生み出せる、化学に近いものである、と。


「男と女の体内に流れている魔素はそれぞれ全く異なるものだ。それ故に例え私であっても男にしか使えぬ合成魔術を使用することは出来ない。これは逆もまた然りだな」


 僕に空間魔術が使えないと言ったのは、そういう理屈らしい。実力不足、経験不足というものではなく、本質的に不可能だということだ。


「でもアンジェさん、僕大人の騎士の人達が魔術を使っているところなんて見たことがありませんよ? その合成魔術というのが説明を聞く限り創造魔術より使い勝手が悪そうなのは分かりますが……それでも使うに越したことはないですよね?」


 男には魔術が使えない。それ故に剣を鍛えるしかない。僕はそう教えられ生きてきた。でも実際には魔術が使えないというわけではない。使うのが難しかったりするのかもしれないけれど、それでも一度も使っている男を見たことがないというのは不自然だ。


 魔術とは別に、女の人に魔術をこめてもらった石を埋め込み一時的に力を解放できる「魔剣」というものがあるけれど、あれは他の人の力を借りているに過ぎない。合成魔術とは全く関係のない代物のはず。


「いいところに気が付いたな。そう、お前たちは半ば洗脳のような言い伝えを刷り込まれているのだよ。男は剣、女は魔術。それは世界の均衡を守るために必要な嘘だったというわけだ。仮に全世界の男が魔術を使えたら……女はどうなると思う?」


「え? そ、それは……」


 男には、将来目指せる道というのは山ほどある。仮に王族や民間人を守る騎士になれなかったとしても、力仕事が出来るからだ。


 でも、女の人はどうだろう。今でこそ魔術を使えるから魔術師以外にも魔剣の必要材料である魔石の生成、教職なんかの道があるものの、男でも魔術が使えてしまったら。女の人だからと重宝される職業なんかはグッと数が減ってしまう気もする。


「そう。今ある需要バランスや均衡が崩れてしまうんだ。私レベルの者であればいいかもしれないが、ほとんどの者は武力で男に敵わなくなってしまう。職を失うだけならいいが、最悪の場合女として生まれた瞬間蔑まれる世界になるかもな」


 だからこその、必要な嘘。男が魔術を使えないからこそ今こうして僕のいた世界では男女手を取り合う世の中を形成できている、ということだ。


「というか、まあそもそも男でも魔術を使えると気付けたのは私しかいなかったのだがな。それに気づいたせいで私を妬んでいたクラスメイトと私を消したい結託した上層部の奴に封印されて、今ここにいるわけだし」


 アンジェさんの封印された主な理由はそれだったのか。気づいてはいけないことに気づいてしまい、封印という形で社会から殺された。上層部の人達は大義名分を振りかざして、目障りな者を消したのだ。


「……って、それなら僕も外で魔術を使っちゃ駄目なんじゃないんですか?」


 これから僕はこの人に魔術、いや、合成魔術を教わろうとしているわけだが、それはつまり外の世界の禁忌に触れるということ。アンジェさんがそれに気付いたがためにここに封印されたように、僕も消されてしまう恐れがあるのではないだろうか。


「ん? ああ、そのことなら安心しろ。確かに突然合成魔術を使えば一発でバレてしまうが、魔剣を持っている時はその限りではない。魔剣により発動される魔術と合成魔術は、大元を辿れば同じだからな」


 女の人が魔術を込めた魔石をはめ込み、それを媒介として一時的に魔術の力を得る魔剣。アンジェさんが言うにはそれは、発動の際に男の体内にある魔素を使っているらしい。魔石、魔剣を使う魔術と合成魔術の違いを見分けられるものなどいない、とも。


「まあ、学園の授業中なんかに頼るのは難しいだろうな。ユウナが魔剣を握らせてもらえるようになってから本格的に使っていくといい」


「ほ、本当に大丈夫なんですね?」


「当たり前だ。この私が保証してやる」


 ずず、とそろそろ冷めてきていたアールグレイをそう言って一気飲みし、アンジェさんは「これで説明は終わりだ」とカップを小屋に戻してようやく、これからが本番だと凄みを効かせる。


 いよいよ合成魔術の実践が始まる。僕の心から既に不安は消え、昂りが募っていた。


「習うより慣れよ、だ。まずはお前の身体に魔術の芯を通すとしよう」




 パチンッ。空間魔術を使った、あの時のように。アンジェさんは右手で指を鳴らし────背後の椅子に、目を閉じて倒れ込んだのだった。

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