六話 これからのこと

六話 これからのこと



 ぼんやりとした視界に、茶色い天井が映る。


「ようやく目を覚ましたか」


 柔らかな布団に包まれ、僕は眠ってしまっていたらしい。


 目頭が痛い。そうか。僕はアンジェさんに泣きついて、そのまま……。


「常日頃から、あんな夢ばかり見ていたのか?」


「はい。でも今日のは特段、辛かったです」


「そうか。ちょっと待っていろ。もうすぐ飯が出来あがる」


 そう言ってアンジェさんは、部屋から姿を消した。


 あんな夢、と言っていたということは、僕の記憶を覗き見た時みたいに夢の中の内容まで知られたということか。強くなりたいなんて声を大にしておいてまだこんな夢を見る僕の心の弱さも、知られてしまった。


(迷惑、かけちゃったな)


 僕はここで、どれだけの間眠っていたのだろう。数分か、数十分か。それとも数時間か。その間アンジェさんは、僕が目覚めるのを隣で待ち続けてくれていた。そんな中で料理まで平行して行い、泣き疲れて空腹になった僕のお腹まで満たそうとしてくれている。


 やっぱりあの人は、優しい。夢の中に出てきたクレハさんのことを詳しく聞いてこなかったのも、僕への配慮からだろう。


「ユウナ。もう起きてこられそうか? もし無理そうなら飯はここまで持ってくるが」


「い、いえ大丈夫です! もう充分、休ませてもらいましたから!!」


 そこまでしてもらうわけにはいかない、とすぐに僕は布団を出て、声のした方へと向かった。


 アンジェさんがいたのは、さっき僕が大泣きしたリビング。大きな机の上にはご飯の上にかけられたクリームシチューが置いてあり、ほんのりと湯気を上げながら僕を待っている。


「泣き疲れて腹も減っただろう。おかわりも用意してあるから、好きなだけ食べてくれ」


「わっ、凄い美味しそうです。これ、アンジェさんが……?」


「勿論だ。ここから出られるのは何百年後、何千年後か分からないからな。飽きないためにも料理は勉強したよ」


 相変わらずよく分からないことを言っているけれど、そこを聞き返す余裕はもう僕にはなかった。

 ぐぅぅ、と大きく鳴るお腹を押さえながら、アンジェさんの向かいに座って手を合わせる。


「アンジェさんの手作り、とっても嬉しいです! いただきます!!」


 木製のスプーンを手に取り、真っ白なシチューをそっと掬う。


 にんじん、じゃがいも、ソーセージなど。数多くの具材が並ぶ中で僕はまずシチューそのものの味を楽しもうと、真っ白な本体だけを口に運んだ。


(ん……これっ!)


「どうだ? 美味いか?」


 少し味は濃いめで作られた、料理屋なんかで出るようなものとは違う、家シチュー。どこが美味しいのかなんて言葉には表しづらかったけど、スプーンを持つ手だけが動いて。そうして無言で頬張る僕を見て、アンジェさんは小さく微笑んでいた。


「どうなることかと思ったが……中々、可愛いじゃないか」


 二人で食卓を囲んだ時間は、短かった。時間にしておよそ十分。会話が無かったとか、楽しくなくてアンジェさんが出て行ったとか、そんなのじゃない。二人して食べる手が速くなっていて、すぐに完食してしまっただけである。


「ごちそうさまでした。とっても、美味しかったです」


「ああ。食いっぷりを見ていればよく分かったよ。喜んでもらえたようで何よりだ」


 そう言いながら横に置いていたお茶を飲んだアンジェさんの顔には、少しだけ笑みが漏れている。二百年ぶりの客人、なんて言っていたし、誰かとこうして食卓を囲むことも久しぶりだからだろうか。なんだか、楽しそうだ。


 だが、僕がそうして見つめているとアンジェさんはすぐに視線に気づいたみたいで、笑みは消えてしまった。


 いや……違う。雰囲気から変わった。さっきまでの少し浮ついた感じから、真面目な感じに。


「さて、ユウナよ。ひとまず体力も回復して落ち着いただろうし、そろそろ聞かせてくれ。もう決めているのか? ″今後″のことは」


 今後のこと。強くなりたいと叫んだ僕の、この先の人生の話だ。


 あの世でみんなが安心できるような、そんな強い男に。口だけなら言うなら簡単だけれど、実行しようと降り立ったスタート地点は、ゼロではない。剣すら握れず落ちこぼれな僕は、マイナスからのスタート。


 それも踏まえた上で、どうするのか。アンジェさんは、そう聞いている。


 きっと、どう答えるかは分かっているだろうに。彼女は僕の口から、言わせたいのだ。


────弱い僕の心が、ブレないように。


「アンジェさん。失礼なことも、無理を言っていることも承知の上です。けど……お願いします」


「何をだ?」


「僕を────弟子にしてください!」


 深々と、頭を下げた。


 このままここを出て学園に戻っても、何も変わらない。例え決意を確固たるものにして挑んだところで、剣を握らなければ意味がない。そして再び振れるようになったとしても、僕の実力では強くなんてなれない。


 甘えるなと言われればそれまでかもしれない。それでも僕は、生物としての格が違う目の前のこの人に……教わりたい。自殺をして逃げようとしてたどうしようもない僕を諭してくれた、優しい目をしたこの人に。


「弟子……か。そう頼まれることは分かってはいたが……改めて言われると、中々に照れるな。私が、師匠。ふふっ」


 ガタッ。椅子が引かれ、僕の肩に柔らかな手が触れる。


「顔を上げろ、ユウナ。その申し出、引き受けてやる! 最強の魔女アンジェ•ユークレスタスの名において、お前を……弟子として認める!」


「ほ、本当ですか!?」


「ああ、二言は無い!」


 僕は心の中で強くガッツポーズした。正直な話、断られると思っていたからだ。


 だって、アンジェさんは僕に話を聞く前に言っていた。僕に関わり構うのは、長い時間を生きる彼女の人生の暇つぶしでしかないと。僕を弟子にしてくれたのもその延長線かもしれないけれど、それでもいい。僕は運が良かっ────


「それは違うぞ、ユウナ。この結果は確かに、お前が掴み取ったものだ」


「え? 僕、が……?」


 アンジェさんは言った。もし僕がただの自殺志願者のまま、あの問いにそれでもなお自死を選ぶようであれば、追い返すつもりでいたと。ただ彷徨い、その果てで見つけたこの場所で再起した僕を認めて、弟子にすることを決めたと。


 僕をそうさせてくれたのはアンジェさんだ。僕一人では何もできなかった。そういったマイナスの感情が渦巻いたが、僕の心を読んだ彼女から手を差し伸べられ、不安はすぐに消えた。


「ユウナの心は、ユウナが思っているよりずっと強いよ。あとは……力を手に入れるだけだ。ここで、私と共に強くなろう」



 こうして、僕は最強の魔女の弟子となった。ここから僕の人生の色は、大きく変化していく。

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