第10話 今は昔 中編
桜が散り始める頃、明神はクレハに連れられて入学式へ行った。清と右慶も行こうとすると、帰って来るまでに仲直りをしておけと言われて二人は屋敷に置いていかれてしまった。清は落ち込んでいたが、右慶は蔵の中を覗いていた。本が沢山並んでいるが、屋敷に関する書物が無くなっている事に頭を悩ませた。
「おかしい……」
家系図やら呪術関係の書物はあった筈だった。自分が封印されている間に地震や戦争はあったからそれで書物が燃えたにしても、屋敷が殆ど変わらない形で残っているのだから誰かが持ち出したと考えるのが自然だろう。泥棒に入られたとして、そういった書物を盗んでも、一般人には大した価値は無いはず……あれから何があったのか全く解らないが、封印されている呪詛が大きくなっているのは少々厄介ではある。その影響を彦は諸に受けているのだろう。あんな幼子に当主は継げないだろうから、まだ父親は生きているだろうと察する。けれども生きているのだとしたら、あんな幼子を一人、こんな呪詛塗れの屋敷に置き去りになどしないだろう。
右慶はそう考えて屋敷の中を見回った。屋敷の裏に、見覚えの無い小さな社があった。新しい榊が備えられている。多分、クレハが手入れをしているのだろうと思った。社の戸へ手を伸ばすと、悪寒がして躊躇した。振り返ると、白髪碧眼の青年が右慶の真後ろに立っていた。
「何で……」
右慶が声を上げかけると、青年は人差し指を立てて口元に当てた。青年の視線を追うと、清が柱に隠れてこっちを見ている。どうやら清には青年の姿が視えていないらしい。青年はしゃがみ込むと、右慶の鼻先を指し示した。
「俺?」
その指先をそのまま地面へ向けると、右慶は首を傾げた。
「見張れ? 何を?」
青年の指先が今度は空を示した。空は曇っていて、今にも雨が降り出しそうだ。
「一体何が……」
聞きかけると、青年の姿は消えていた。右慶は困惑しながらも再び屋敷を見回ると、玄関の上がり端に花が置かれているのを見つけて近付いた。明神が毎日、花瓶の水を替えたり、花を新しいものに替えているのは知っていた。特に意味は無いと言っていたが、靴箱や棚の上では無く、上がり端の所に置くのはおかしいと思う。上がり端の所に手を乗せると、板張りの床に赤い血が浮き上がった。小さな粒が幾つも浮き出て血の海になると、右慶の掌がその血を吸い上げる。
「何をしているの?」
さっきから遠巻きに見ていた清が声をかけた。
「ここで、彦の母親が死んだらしい」
右慶の言葉に清は目を伏せた。きっと、母親を偲んでいるのだろうと察する。特に意味は無いと言ったのは詳しい話を避けたのだろうと清は思った。
「止めて下さい」
「あ?」
「主人だって、自分の式神でも無い赤の他人に探られるのはいい気はしないでしょう」
右慶はあからさまに嫌そうな顔をした。
「お前はあんな子供がこの屋敷に一人で居ることを異常だと思わないのか?」
「それは主人が好んでの事でしょう」
「あの年頃の子供が、泣き喚くこともしない、怒りをぶつける相手も居ない。だから精神的に不安定になって呪力の抑制なんて初歩中の初歩も出来なくなっている事が、あいつの意思で行われていると思うか? 呪詛に侵されて記憶すら定まらなくなっている。あれは放っておけば鬼になる。そうなる前に手立てを探るのはお前の主人の為になるだろう? 何も、主人に従順に振る舞うことだけが忠誠ではない」
右慶に言い負かされて清は眉間に皺を寄せた。
「右慶は主人からその命令を受けたのですか?」
「いや」
「それなら納得出来ません。命令されたわけでもないのに勝手に主人の身の回りに探りを入れる事は許せません」
「だから……」
「もしくは主人の暗殺でも謀っているのですか」
清の物言いに右慶は眉根を寄せた。
「まあ、彦の式神に下っている訳ではないからそう勘繰るのも分からなくは無いが……」
「あなた、人を殺しているでしょう?」
右慶は思わず清を睨んだ。
「本当、人間で無くても野蛮な生き物って居るのですね。人間の血が欲しくて主人に付き纏うなら他所へ行って下さい」
思わず右慶が清の口を抑えた。そのまま土間に押し倒すと、清は右慶の手を外そうと藻掻いている。
「大概にしろよこのガキ……その口縫い付けて二度と喋れなくしてや……」
「おい」
右慶が声に反応して玄関へ視線を向けると、クレハと明神が立っていた。どうやら入学式を終えて帰って来た所らしい。
「お前達、俺が家を出る前に言った事を覚えているか?」
「彦、違いますよ。いい雰囲気なのですからそっとしておきましょう」
クレハがそう言うと、右慶は顔を赤くして清から離れた。
「ばっ……」
「ただ、女の子を襲うのでしたら場所は選んで下さい。彦、裏へ回りましょう」
クレハが誂う様に言うと、明神は溜息を吐いた。清が涙目で明神に抱き着くと、明神は砂を払って優しく頭を撫でた。
「清、お前も右慶に酷い事を言ったんだろう? 右慶、屋敷を探るのは好きにして良いが、相手に勘違いさせるような行動を取った事に違いないんだから、安易に挑発に乗るな。手を出したらお前を庇えなくなる。それからクレハ、火に油だから二人を誂うな」
クレハはそれを聞くと会釈した。
「すみません、出過ぎた真似をしました」
清は泣いているのか明神に抱き着いたままだった。右慶は苦虫を噛み潰したような顔をすると屋敷の奥へ入っていく。明神は深い溜息を吐くと清を抱き上げて縁側へ向かった。南側の縁側に座らせると、隣に腰掛けて頭を撫でる。清の目から涙が溢れて頬を伝った。
「お前が俺の為に行動した事は右慶も理解しているから、後で一緒に謝ろうか」
明神の申し出に清は首を横に振った。
「絶対に嫌です」
「頑固な娘だな」
「あんな得体の知れないものが屋敷を彷徨いているだけでも不快です」
清の言葉に明神は困っていた。
「得体が知れないと清が思うのであれば、それは俺の説明不足だ。右慶は元々、針葉樹の直木の精霊で……」
「お話を挫いて申し訳ありませんが、そう言う意味ではありません。右慶が桧だろうが松だろうが心底どうでも良いです」
清はそう言うと、急に笑いだした。明神はおかしな事を言っただろうかと頭を悩ませる。
「反りが合わないのでしょう」
「何か勘違いがあるのだとすれば正しておきたい」
明神がそう言うと、清はあからさまに不満そうな顔をした。いつも笑っていたのに、そんな表情も出来るのかと少し意外だった。
「あれは人を襲う妖かしの類いでしょう」
「今は人を襲わない」
「数が半端では無いでしょう」
「数までは分からんが、そもそも千年も前の罪を詰る必要は無いだろう」
明神に言い負かされて清は悔しくて頬を膨らませた。
「生理的に無理です」
「それを言われると頭が痛いが、右慶を毛嫌いするな。あいつは長生きで見聞が広い。俺の力の抑制に竹を思いついたのも右慶だ。俺は今迄思いつきもしなかったし、何か道具で抑制するという発想すらなかった。だから……」
そう言いかけて清の表情が堅い事に気付いた。
「……もしかして、俺が右慶を信頼していることに嫉妬しているのか?」
「そうです」
即答され、明神は視線を宙に投げた。
「勿論、清のことも信頼している」
「当然です。でも右慶は主人の式神ではありませんし、失礼な口の効き方ばかりしています。それなのに主人が右慶を特別扱いして居るので、私としては立つ瀬がないです」
笑顔が戻って来たが、明らかに引き攣っている。
「特別扱いをしているつもりはない」
「私には屋敷の雑用で、右慶は好きにさせているではないですか」
そう言われて、明神は縁側から屋敷の中を覗いた。
「右慶」
明神が呼びかけると、閉まっていた障子が開いて右慶が顔を出した。右慶が居ることに気付かなかった清が怪訝そうな顔をする。
「俺としてはお前らに仲良くしてもらいたいが、上辺だけ仲良くするのも問題がある。清は右慶に対して先ずは悪口禁止。今迄の非礼を詫びること。右慶は屋敷周りの手入れを頼む。それから敬語を遣うこと。俺の式神では無いのに不満だろうが、取り敢えず双方それで納めてほしい」
明神の申し出に右慶は溜息を吐いた。
「俺は別に構わないが……」
右慶の視線が清に注がれると、清は相変わらず不満そうな顔をしている。
「清」
明神が声をかけると、清は嘆息して右慶に頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
清がそう言うと、明神は頭をそっと撫でた。
「清の行動は俺の不徳の致すところだから、俺からも謝る。すまなかった」
明神はそう言うと清を連れて屋敷を出た。清の手を引いて山道を歩くと、黄色い花をつけた金雀枝や、桃色の椿の花が目を引いた。
「綺麗だろう?」
明神にそう言われて清は不機嫌そうな顔をした。金木犀は花の時期が秋なので、今の季節は物寂しいと言われた気分だった。
「この世に数多ある植物の中からお前を俺の式神に選んだのは、お前がどの季節にあっても一番気高いと思ったからだ」
清が思わず顔を上げると、明神は微笑した。初めて見る主人の笑顔に顔を赤くする。
「お前は人だった頃に酷く悲しい思いをしたのだと思う。輪廻から外れてしまうほどにこの世を恨んでいたのだろうが、これからは沢山綺麗なものを見続けるといい。お前が恨んでいたこの世界が、今度はお前の心を清くしてくれると俺は信じている。だから、少しずつでいい。直ぐに意識を変えろとは言わない。右慶にも心を施してやれ」
清は目に涙を溜めて笑うと、こくりと頷いた。
梅雨に入った。毎日長雨が続くが、清はそんな日でも嬉しそうににこにこしていた。クレハも体調が戻ったので、少し開いた時間が出来ると散歩に出掛ける様になった。山の杉林が清のお気に入りの場所だった。だからその日もいつもと同じ道を歩いて杉林に着くと、一番背の高い杉の根本に腰掛けた。
「ねえ、私のお友達がどうなったのか知らない?」
ふと、思い出して杉の木に問い質したが、清は直ぐに俯いた。
「ごめんね。知るわけないよね。そんな昔の事……」
苦しくなって膝を抱えた。解っていた事だった。きっと自分が殺された後に、人間達に自分と同じ様にされたのだろう。そう想像するとどうしようもなく辛くて悲しい。
「どうした?」
声に驚いて顔を上げると、右慶が立っていた。清は涙を拭うと、気丈に振る舞おうとした。
「なんでもないです」
「お前、友達とかいたの?」
独り言を聞かれていたのだと思うと恥ずかしくて顔を覆った。最低だと言いかけて、悪口を禁止されていることを思い出して言葉が詰まる。
「別にいいでしょう。友達くらい……」
「いや、その性格じゃあ友達が苦労しただろうなと」
右慶の言葉に発狂しそうになるが、堪えた。
「右慶には関係ないことです」
清がそう言って場を離れると、右慶は溜息を吐いた。
清が逃げるように山を下りると、振り返っても右慶が居ないことを確認して安堵した。どうせ主人に仲良くしろと言われたから声をかけて来たのだろうと思う。それでも、あんな言われ方をされると腹が立つ。主人から心を施してやれと言われたが、これがなかなか実践出来なくて苦労していた。挨拶が出来るようになっただけまだましなのだろうが、どうも馬が合わない。
悶々と考えて歩いていると、いつの間にか山の南側に来ていた。清は南側へ来るのは初めてだった。港町が広がっていて、潮の香りがする。思わず山を下りると、道路に出て道の端を歩いた。何度もトラックがけたたましいエンジン音を上げて行き来する。海まで出て防波堤から海を覗き込むと、透明度の無い暗い波が押し寄せていた。海を見たことのない清は、これが何なのかよく分からなかった。大きな水溜りのようでもあるし、貯水池にしては魚の生臭い臭いがする。帰ろうかと思って振り返ると、不意に人間と目が合って首を傾げた。人に姿は視えていない筈なのに、スクエア眼鏡をかけた中年の男が、じっとこっちを見ている。清は海の方へ視線を飛ばしたが、特に凝視するようなものは見当たらない。不思議に思って振り返ると、やはり男と目が合う。
「お嬢さん、君は人間かい?」
問い質され、一気に寒気がした。応えてはならないと本能が警鐘を鳴らす。あの男の言葉には呪詛が張ってあって、応えたら逃げられないと思った。清は踵を返すと、防波堤の上を走った。男が何か呪文を唱えて呪符を投げつける。一枚背中に当たると、体に焼けるような痛みが走った。倒れるのを堪えたが、立っているのがやっとで立ち止まる。男が近付いてくる足音を聞きながら一歩だけ足を進めたが、赤く染まった千早から血が滴った。
「素晴らしい。まるで本物の人間のようだ」
男が近付いて清の顔を覗き込んだ。男の顔を焼き付けるように睨むと、男は不気味な笑みを浮かべる。
「君を造った術者を教えてくれるかい? 是非会ってみたいなぁ」
誰がお前みたいなのに教えるかと思ったが、頭の中は冷静だった。煽って返事をさせて、弱っている自分を男の式神に下らせようとしているのだ。そうと分かっていて返事をするわけにはいかない。
「頑固だねぇ。早く返事をしないと死んじゃうよ?」
頑固……主人にも言われた言葉に思わず微笑した。人間だった頃も頑固だったから殺されたのだ。友達など、さっさと見捨てて逃げてしまえば良かったのに……
男の眼の前で舌を噛み切ると、男は怪訝そうな顔をした。
「おや、忠誠心のある式神だね。益々欲しくなったよ」
清は背中に貼られた呪符を剥ぎ取ると、男の眼の前で破り捨てた。誰がお前なんかの思い通りにしてやるかと思うと、防波堤から転げ落ちて血を吐いた。消波ブロックが赤く染まると、男は困った様に腕を組んだ。
「そろそろ降参しなよ。死んじゃうよ?」
男が再び呪文を唱えて呪符を構えると、清は明神から貰った水引を思い出して握った。金と白だった梅結びが血色に染まる。男が投げた呪符が跳ね返ると、男は不思議そうに驚いていた。梅結びが解けてしまうと、清は目を伏せた。再び男の呪文が聞こえる。けれども不意に男の声が途切れると、清は顔を上げた。男の心臓に木の枝が刺さっている。清の脳裏に何かが過ぎった。怖くなって、そこで意識を失った。
右慶は気を失った清を背に負うと屋敷へ戻った。部屋に寝かせて背中の傷を見ようと千早に手を伸ばすと、清が気付いて右慶の腕を握った。見捩りする清に右慶は溜息を吐いた。
「勘違いするな。傷の手当をするだけだから」
清が咳き込んで血を吐き出すと、右慶は清に手を伸ばした。その手を払われて右慶は目を伏せた。
「そこまで嫌うこと無いだろ」
清の体が小刻みに震えている。右慶は溜息を吐くと部屋を出て行った。学校から帰って来た明神に説明して一緒に部屋に戻ると、駆け寄った明神にしがみ付く姿を見て部屋を後にした。酷く不快だった。気絶して背負った時には手を握ってくれた。無意識だろうが、それが暖かくて心地良かった。仄かに香る金木犀が、自分の不甲斐なさを掻き消してくれた。それなのに、目覚めて拒絶されたことに憤った。元々嫌われていることは知っている。なんとか仲良くなろうと何度も歩み寄ろうとした。それなのに、怪我の手当すら拒否されるほどに自分は嫌われていたのだと思うと情けなかった。
「すまない。俺がちゃんと、外の危険性を教えておくべきだった」
廊下で聞き耳を立てているが、清の声はしなかった。多分、舌を噛み切っていたから舌が回らないのだろう。もしくは、返事も出来ないほど弱っているのだ。やはり山で会った時に着いていけばよかったのだと後悔した。もっと早く気付いていれば、苦しい思いをさせずに済んだ。それでも、相手の式神に下るのが嫌で舌を噛み切るだなんて、主人を守る為とはいえやりすぎだと思う。
手当を終えた明神が部屋から出て来ると、右慶と目が合って溜息を吐いた。
「清は?」
「今は落ち着いている。少しそっとしておいてやってくれ」
明神の言葉が終わる前に右慶は障子を開けて部屋の中へ入った。水を飲んでいた清が驚いて右慶を見つめる。
「自分で舌を噛み切るとかお前、馬鹿なの?」
本当は、優しい言葉を掛けたかったのにそんな言葉が口をついた。どうしても、自分で自分を傷付けた行為が許せなかった。
「右慶、今は……」
明神が言い掛けると、清が持っていた湯呑を右慶に投げつけた。顔の前でそれを掴むが、まだ水が入っていたのか頭に水がかかる。
「何すんだよ馬鹿!」
「右慶!」
明神が清を庇う様に前に出ると、右慶は明神を睨んだ。
「何だよ」
「話がある」
明神に気圧されて部屋を出た。清の啜り泣く声がしていたが、明神はクレハを呼んで障子を閉めた。
居間へ行くと、明神は座布団を二つ出して座るように促した。明神が座布団に端座すると、右慶は胡座をかいた。
「清は、右慶が自分のせいで人を殺したのだと思っているんだ」
明神のその言葉で直ぐ正座に直した。
「式神は本来、術者にとって使い捨ての道具なのに、主も違う、そんなに仲が良いわけでもない自分の為に、自分の身を省みないで右慶が助けに来たことに困惑していた。自分の不注意で人間に見つかったのに、そのせいで右慶に人を殺させてしまったと後悔していた」
「俺は別に……」
「それと」
明神に言葉を遮られて右慶は眉根を寄せた。
「人間だった頃に自分のせいで友達に罪を犯させてしまったことを思い出したらしい」
それを聞いて右慶は冷や汗が流れた。
「いつだったか右慶を人殺しだと詰ったことがあっただろう? 他人にはそう蔑んでおいて、自分は自分で手を汚すことなく友達に罪を犯させてしまったと嘆いていた。だから心の整理がつくまでそっと見守ってほしい」
右慶は考える様に目を細めた。
「今回の事は、俺がそもそも清を戦闘向きに造って無かったのが悪かったんだ。家の手伝いをさせる事しか考えていなかった。こういうケースを考慮しなかった俺に落ち度がある。戦うことも逃げることも出来なかった清の、精一杯の忠義を誂うな」
右慶は不意に明神を睨んだ。
「自分の舌を噛み切るのが忠義だって?」
「術者によっては貼った呪符で強制的に返事をさせて、自分の式神にしてしまう者も居る。それを鑑みれば舌を噛み切ってしまえば、返事自体が出来なくなるから賢明な判断だと思う」
「お前がそうするように造ったんだろ?」
右慶が詰め寄ると、明神は視線を泳がせた。
「右慶がそう思うのならそれが真実なんだろう。清に関しては何かあれば右慶が助けるだろうという打診があったのは事実だ。だから俺を蔑むのは構わないが、清に辛く当たるのは止してほしい」
「俺が助ける? 何で……」
「お前達は友達だろう?」
明神の言葉に右慶は目を丸くした。
「はあ? 誰があんな頑固な女……」
「清じゃなければ助けに行ったのか?」
問い質され、右慶は戸惑った。
「我が身可愛さに他の術者の式神になって、俺の情報を相手の術者に喋る様な女だったら助けに行ったのか? 右慶に助けられることを当然と思って、右慶の行動に疑問も抱かない様な式神の方が良い?」
「それは……」
考えたこともなかった質問に、何と応えれば良いのか分からなかった。
「最初から使い捨てにするつもりなら俺もそうする。けど、清には辛い過去を乗り越えて幸せになってほしいと思っている。何れ輪廻に還ってまた人生をやり直してほしい。今のまま無理に転生させても、過去世での自分の怨念に引っ張られて幸せになれない。それを望まないから、一時的に俺の式神としてこの世に留まる事で見識を広めてもらいたいと思ったんだ。それは右慶も理解してくれていると思っていた。ただ単に俺が自分の呪力の操作が上手くいかないという理由だけで清をあんな風に造り込んで、暇潰しの為に家の手伝いや読み書きを教えていたのだと思ったのなら俺の説明不足だった」
右慶は戸惑って目を伏せた。手伝いや読み書きなど、最初から出来るように造っておけば良いのに、そんな初歩も出来ないのは呪力の操作が曖昧だからだと思っていた。式神に実語教を読み聞かせるなどおかしなことをするとは思っていた。出来ないのであれば作り替えた方が楽だろうに、手間なことをして何の意味が有るのかと思った。そこで、考えを止めてしまった自分が歯痒い。
「そこまで思い至らなかった」
「俺も、右慶が清に歩み寄ろうとしていたのは知っていたから、理解してくれているものと思い込んでいた。それについては本当に二人に申し訳ないと思っている。最初に説明しておくべきだった」
明神はそう話すと、軽く頭を下げた。
「清の友達になってくれないだろうか」
明神の申し出に右慶は嘆息した。
「相性が悪い」
「友情は相性じゃない。共に歩み寄って育むものだ」
右慶は不満そうに眉根を寄せた。
「こればかりは強制出来ないから判断はお前に任せる。ただ、封印されていたとはいえずっと一緒に居たのに、お互いに仲良く出来ないのは悲しいことだと思う。何れ別れが来た時に、後悔の無い様にしてもらいたい」
明神はそう言うと居間を出て行った。右慶は考え込んでそこにじっとしている。
古い記憶の底から金木犀の苗木を庭に植えたことを思い出すと、切なくなって目を伏せた。毎朝水をやって可愛がっていた。その苗木がいつの間にか大きくなって、生意気な口をきく式神になってしまった。やっと話しが出来るようになったのに、手を差し伸べてやれるようになったのに、彼女がこっちを見てくれないことが歯痒かった。自分の厚意が彼女に伝わらないことがもどかしくてついつい嫌味を言ってしまった。彼女を助けたつもりで、彼女を傷付けてしまった。もし、このまま別れが訪れたとしたなら自分は、自分を許せるだろうか?
右慶はそう思うと居間を出て清の居る部屋の前に来た。クレハの気配はしないので清だけだろう。障子に手を伸ばしかけて手を引っ込めた。
「清、ごめん。俺が悪かった。結果はどうあれ、お前には生きていてほしいと思ってしたことなんだ。覚えていないかもしれないけれど、お前は、俺が庭に植えた苗木だったから、お前を大切にしたかったんだ」
そう呟いてそっとその場を後にした。
この世界に一体どれだけの植物が居るのだろうかと思った。同じ金木犀の木が一体どれだけあったとしても、自分が植えて水やりをした金木犀の木はあの一本だけだから。あの木が花を咲かせるのを楽しみにしていた。それを見る前に封印されてしまった。
明神は右慶に作って貰った扇を開いた。縁側に腰掛けたまま軽く息を吹きかけると、降っていた雨が止んで雲間から陽光が射した。扇を振ると雲が千切れて空が顔を出す。明神はそれを見ると総竹扇をたたんだ。それを側で見ていた右慶が溜息を吐いた。
「上手いな」
「右慶のお陰だ。よく手に馴染む」
「それは良かった」
右慶が不意に屋敷の方へ視線を向けると、柱に隠れていた清と目が合ったが、清は直ぐに目をそらして何処かへ行ってしまった。
「まさか三十五本も扇を作り直す羽目になるとは思ってなかった」
「一度術を使っただけで割れたりしていたからな。今回のは上手に出来ている」
「次、壊したら自分で作ってくれ」
「小学一年生に出来ると思うか?」
「こういう時だけ実年齢を引き合いに出すな!」
右慶が憤慨すると、明神はいたずらっぽく笑った。そんな笑顔を見るのが初めてだったのだが、何だか懐かしい様な気もした。
「お前はそうやって笑っている方が人間らしくて良いと思う。いつもつまらなそうな顔をしているが、偶には怒ったり泣いたりした方がいい。その方が溢れた呪力の発散になる」
「そうだな。お前にこれを作って貰ったから、下手に感情を押し殺さなくても済むかもしれない」
明神が人間らしく生きられるというのなら骨を折った甲斐があったかもしれないと思っていた。
清には鈴下駄を作ってやった。声の代わりと、鈴の音は魔除けにもなるので、音に意を乗せると術が発動するように明神も施してくれた。橙色に金糸の唐草模様が、清も気に入ってくれたようだった。
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