第4話 共通点

 慣れない一人暮らしと学業に追われている内に、四月も残すところあと数日となってしまった。

 一月ひとつきなんてあっという間だな、と三月は携帯電話の中のスケジュール張を見て驚く。


 現在時刻はお昼の二時過ぎ、次の講義まではちょうど二講義分の時間がある。これが町中の大学であれば、軽くお茶でもと思うのだろうが、生憎山の上にあるこのキャンパスの周囲に手ごろな店はない。

 コンビニと気軽に利用できる学食がキャンパスに入ってるだけでも、良しとするべきなのだろう。


 さて、これから何をしようか。

 携帯電話をバッグに仕舞い、宛もなくキャンパスを歩いていた三月は、ふとある人が目に入って足を止めた。


 また、神崎先輩だ。

 図書館に向かう途中のベンチ、そこで神崎優太かんざきゆうたの姿を見かけたのである。


 彼は三月と同じ文学部と言っていたが、不思議と校内で彼の姿を見かけることはなかった。学年が違うと受ける講義やその時間帯も変わってくるのだろうか。

 その代わり、この図書館前のベンチで、時々彼の姿を目撃していた。

 何をしているかはまちまちで、菓子パンを齧っている時もあれば、本を読んでいる時もある。今はただのんびりと空を見上げているだけのようだが、一番多いのは昼寝だった。

 余程忙しい生活をしているのだろうか。それとも何か事情があって。


 不躾に視線を送ることは失礼だと分かっていながら、三月はつい優太の姿を追ってしまう。

 友人には、恋だなんだとからかわれてしまったが、恋に発展するには彼のことを知らなさ過ぎる。

 第一、まともに会話をしたのは四月に自己紹介をした以来だ。


「中山さん?」

 突然かけられた声に、三月は悲鳴を上げた。目の前には、目をまんまるに見開いた神崎優太の顔がある。

 考え事をしていて、全く気がつかなかった。

 早鐘のように鳴る左胸を押さえ、三月は慌てて謝罪する。


「す、すみません! えっと、じろじろ見るつもりはなくて、その」

「え、何のこと?」

 優太が首を傾げると、柔らかそうな髪の毛がふわりと揺れる。

 その姿に一瞬、子犬を思い浮かべてしまった三月は思わず視線を逸らす。顔が酷く熱かった。


「えっと、何のことだか分からないけど。僕はちょうど中山さんの姿が見えたから、挨拶でもと思って声をかけただけだよ。驚かせたみたいでごめんね。始めは遠くから声をかけたんだけど、中山さん、上の空だったから……。どこか調子でも悪いの?」

「いいえ、大丈夫です! 私の方こそ、ぼうっとしてすみませんでした」


 顔を上げて謝罪すると、思いの外優太との距離が近かった。

 手を上げれば容易に触れられてしまう距離感。家族ではない異性とここまで近づいた経験はないのだが、不思議と嫌悪感は感じなかった。

 彼の、春風のように柔らかな雰囲気のせいだろうか。

 ふと視線を落とすと、彼の肩にぶら下がったイヤホンが目に入った。


「何か、音楽を聴かれていたんですか?」

「ん。ああ、これ? そうなんだ、次の講義まで時間があって天気も良かったし、ここで音楽を聴きながらのんびりしてたんだ」

 優太はイヤホンに繋がった音楽プレイヤーを掲げてみせた。細長いボディの半分が、小型のディスプレイになっている。そこにはどこか見覚えのある、CDのジャケット写真が表示されていた。


「『春、君の隣で』っていう曲なんだけど、中山さんは知らないかな」

「え? マツノミクさんの⁉ 知ってます、私も好きです」

 彼の口から馴染みの曲名が出てきたことが嬉しく、三月は声を弾ませた。緊張していた心がふわりと、わた雲のように浮かぶ。

 少し驚いた表情の後、優太は嬉しそうに破顔した。


「本当に⁉ 良いよね、この人の曲! 僕大好きなんだけど、なかなか好きっていう人に出会えなくて……」

「あまりメディアで活動している方ではないですもんね。私も知ってる方に初めて会いました! 先輩はどこでマツノさんの曲を知ったんですか?」

「地元の小さなCDショップに入った時、たまたま見つけたんだ。棚の中で特別目立ってるってわけでもなかったんだけど、不思議と惹かれちゃってさ」

「ええ、すごい! なんだかこう、運命的ですね」

「確かに! うん、そんな感じ……あ」


 我に返ったような優太の言葉で、三月も息を呑む。つい夢中になって話していたが、二人が立っているのは道のど真ん中だ。人の目もある上、通行の妨げにもなる。

 現に二人の女子大生が、わざわざ大回りをして図書館の方へ歩いていくのが見えた。

 やってしまった、と三月は気まずくなって視線を泳がせる。


「えっと、中山さん、まだ時間は大丈夫かな?」

「は、はい! しばらく何も講義をとっていないので」

 一年の内にとれる単位はとっておこうと考えていたのだが、たまたまこの時間帯は手ごろな講義がなかったのだ。

 仲の良い友人たちは、上手く時間を調整して半日の時間を確保し、アルバイトのシフトを入れてしまっている。


「僕もこの後、一時間くらい暇なんだ。よかったら、もう少し話さない? せっかく同じアーティストが好きなに出会えたことだし」

 優太はそう言っていたずらっぽく微笑むと、自分の定位置となっているベンチを指さした。

 

 先輩と二人きりで話す、三月の心臓は大きく脈を打つ。

 しかし、決して嫌な感情ではない。くすぐったくて、浮足立つ気分だ。


「はい。私もせっかくなので、もう少し先輩とお話ししてみたいです」

「良かった。じゃあ、もう少しだけ」


 優太が安心したように口元を緩めると、先ほど見せた大人っぽい表情が一変する。

 ギャップのある人だなと、三月はどこか感心したように思った。

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