第3話 明るい部屋
時刻は二十三時、深夜だと言うのに、その部屋からは
二階建ての小さなアパート。周囲には泥を被った空き缶が転がり、伸びきった雑草に紛れて潰れたサッカーボールが放置されている。
近くには国道が通っていていつも騒がしいのだが、さすがに深夜ともなれば静かだ。たまに大型バイクが、騒音を撒き散らしながら駆け抜けていくくらいである。
排気ガスで汚れた扉の前には、小さな羽虫がたかっていた。玄関先の明かりに引き寄せられてきたのだろう。どことなく荒んだ気分になって、真志はその虫を手で乱暴に追い払う。
乱れた虫の群れが元に戻る前に、彼は古びたインターホンを押した。部屋の中で、意外に大きなその音が響いているのが分かる。
ここの主はまだ、起きているだろうか。
『――はい』
返事があった。その間から察するに、起きていたようだ。
「俺だよ俺、宮本真志! 元気か優太?」
真志は、わざとはしゃいだ声を出す。扉の向こう側から呆れたような声が聞こえ、続けて鍵を開ける音が響いた。
「真志、お前な……」
開け放たれた扉の向こうに、困ったように微笑する優太が立っていた。
風呂上がりなのか、白い頬には赤みが差しており、頭に張りついた髪は湿っているように見える。
「どうしたんだよ、こんな時間に?」
「悪い、ちょっと飲みすぎちゃってさ。今夜泊めてくれねえ?」
優太の返事も聞かず、真志は強引に部屋へと上がり込む。
酒を飲んだのは本当だった。
優太は一瞬文句を言いかけるが、すぐに諦めたようなため息をついて扉を閉める。
台所やトイレの前を横切って、真志は迷わずベッドの置いてある部屋へと向かった。
メインの蛍光灯に加え、ベッドの側とパソコンが置かれた机の上、その二つのスタンドライトにも明かりが灯されていた。
それらの光が白い壁に反射し、部屋全体が発光しているようで眩しいくらいである。
「おいおい、相変わらずだな。これだけつけたら電気代結構かかるんじゃねえの? お前金持ちだな」
我ながらどうでも良いことを口走り、ごろんとカーペットの上に寝転がる。ゴミだらけの自分の部屋とは違い、転がるスペースがあるのはすごいと思う。
「いや、ほら。僕、暗いの苦手だから。ここまで明るかったらまるで、昼みたいじゃない?」
タオルで髪を乾かしながらなので、優太の声は途切れ途切れでくぐもっている。その表情も見えなかった。
「泊めるのはいいけど、ベッドで寝るのは僕だから」
「なんだよ、俺は客だぞ? 譲れ」
「真志はその部屋のすみにでも行っててよ。寝ている僕の足が飛んできても困るだろ?」
優太はタオルを首にかけ、押入から予備の毛布を取り出しながら言う。こうして頻繁に押しかけているので、もう手慣れたものだ。
「そりゃ、確かに面倒だな」
それを受け取りつつ言うと、優太はどこか安心したように笑う。
真志はそれに応えるように、努めて意地悪そうに笑って見せた。
毛布を渡した優太は、部屋の隅からベッドの側にCDプレイヤーを持ってきて、すぐに再生ボタンを押す。
スピーカーから優しく伸びやかな女性の声が聞こえてきた。優太は眠る時、いつも音楽をかけている。
「今夜のBGMはそれか?」
「そう。アーティストさんがメジャーじゃないから、真志は知らないかもしれないね」
優太の言うように、真志はその曲を知らなかった。
ピアノの音色が彼女の声を支えるように流れ、それにバイオリンの演奏が重なっていく。歌詞にも出てくるように、春風がふわりと吹いて桜の花びらが舞う、柔らかい曲だ。
真志には少し切ない曲にも聞こえる。
「どうも、すっきりしない曲だな」
「あはは。まあ、真志の好みじゃなさそうだよね」
優太がやけに早口で、はしゃいだ声を出す。
「この人の声がさ、なんだか安心するんだ。温かく包み込まれるって言うか。辛いことがあっても元気になれる気がする。――あ、例えばの話だけどね」
「ふーん、俺はもっと盛り上がる曲の方が好きだけどな。音楽なんだし、お前ももっと楽しめよ」
そうは言っても真志は、優太にとっての音楽は、ただ楽しむためのものではないのだと思う。
心の支えだったり、安眠のためだったり。彼にとってなくてはならないものなのだ。
「俺、眠いからもう寝るわ」
借りた毛布を適当に被り、真志はカーペットの上に寝ころんだ。優太に背を向け、毛布を顎まで被る。洗濯したばかりなのだろうか。ふわりと鼻孔をくすぐったのは、所謂、おひさまの香りだった。
「お休み」
「うん、お休み真志」
照明は眩しく、音楽は途切れることなく鳴り続けている。
『お休み』と言われたが、今夜もなかなか眠れそうにない。優太はちゃんと眠れるのだろうか。
眠ったふりをしながら、真志はずっと後ろの優太を気にしていた。
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