第四章

第24話 数年前の彼ら

 携帯電話を耳に当てながら、思わずつま先でコンクリートを叩く。一体、どれほどの時間が過ぎたのか、一向に鳴り止まないコール音に飽きてきた所で、真志は通話終了のボタンを押した。

 吐き出したため息が、煙のように宙を漂っていく。


 クリスマス前からだろうか、優太と連絡がつかないのだ。電話をしてもメールをしても返答がない。それにここ最近、大学でも彼の姿を見かけなかった。まだ冬休みというには少し早いはず。

 何かあったな。

 そう思った真志は、携帯電話をジーンズのポケットに突っ込むと、優太の家へ足を向けた。




 そこは、相変わらず寂しげな場所だった。この時間帯は隣の建物の影が伸びてくるせいで、余計にそう思えるのかもしれない。

 扉に近づくと冷えた空気が首筋を撫で、真志は犬のように体を震わせた。


 いつものように、インターホンを何度か押すが、優太は一向に出てこない。扉ごしに聞こえてくる音で、故障などではないことが分かった。

 試しにドアノブに手をかけると、あっさりと回って扉が開く。

 真志は思わず眉を顰めた。


「おーい。優太いるんだろ?」

 部屋の中は薄暗かった。真っ昼間だというのに、カーテンを閉めっぱなしなのだ。

 視線を横に逸らすと、ベッドに寝転がる優太が目に入る。うつ伏せに寝転がったまま、こちらを見ようともしなかった。

 真志の声に反応して唸ったところをみると、寝ているわけではなさそうである。


「いるんなら返事くらいしろ。あと、電話に出ないってのはどういうことだ?」

 ベッドの側まで近寄って、顔をのぞき込むようにして問う。

 優太はようやく首だけを動かし、真志の顔を一瞥した。


「あ……ごめん」

 それだけだった。言い訳をする訳でもなく、優太はまたベッドに顔を伏せてしまった。


 明らかにおかしい。いつもの彼なら、例え元気がない時でも、必死に何でもないような顔をするはずだ。

 それほどのことがあったのか。あったとすれば、心当たりは一つだけだ。


 真志は膝を折ってベッドの脇にしゃがみ、彼と顔の位置を合わせた。

「お前。あの中山三月って後輩と、何かあったのか?」

 優太の肩が大袈裟に跳ねる。


 やっぱりそうだ。優太の様子を見ていれば、こうなることは明白だった。


「……大丈夫だと思ったんだ。ちゃんと、気をつけていれば、絶対に迷惑はかけないと思ってたんだ」

 優太が顔を埋めたままで、独り言のように呟くのが聞こえた。


 気をつけていれば。

 優太はきっと自分の想いが三月に傾かないように、気を張っていたつもりだったのだろう。もしくは、あえて彼女への想いを意識をしないようにしていたか。

 真志は躊躇いがちに口を開く。


「夢、うつったのか?」

 優太が微かに頷く。

「それで、向こうはお前の事情知ってんのか?」

 今度は何の反応もなかった。


 これはおそらく、彼女には何も伝えていない。

 まるで優太を責めるように、真志の口から次々と言葉が飛び出す。


「何も伝えずに、どうしたんだ? お前、ちょっと前一緒にクリスマスケーキ買いに行くって、言ってたよな。夢がうつったのはその時だとして、まさか、そのまま逃げるみたいに別れてきたわけじゃないんだろ? お前がそこまで落ち込むなんて、珍しいじゃねえか」


「真志には関係ないだろ!? どうでも良いじゃないか、僕のことなんて!」

 優太が顔を上げ、片腕を振り上げる。ガシャンと大きな音がして、ベッドの脇に置かれた時計が落下した。

 正面から見つめた優太の顔は、薄暗い部屋の中で不自然なほど白く浮き上がって見える。


 真志は肩で息をする彼を見つめながら、何故か少し安堵していた。声を荒らげた優太の方が、小さく声を発して、気まずそうに目を伏せる。


 真志も、はっとした。こんな時にどうしたんだ。

 ホッとするなんて、辛そうな相手を前にして、抱く感情じゃない。


「その、ごめん。このところ寝不足でさ。ちょっとどうかしてたみたいだ。大丈夫だから、しばらく一人にしてくれれば、大丈夫」

 そう言って、優太は微笑む。その笑みは決して大丈夫だとは思えなかった。

 弱々しくて、今にも泣き出しそうだ。誰が見ても、無理して笑っていることが分かるだろう。

 真志は勢いをつけて、立ち上がる。


「とにかく、大丈夫だって言うからには、電話くらい出ろよ」

「あはは、ごめん。大丈夫、今度はちゃんと出るから」

「じゃあ――俺、用事あるから」

 真志はそのまま、逃げ出すように優太の家を出て行った。





 一月も後半に差し掛かり、ますます寒さが酷くなった気がする。

 真志はコートのポケットに両手を突っ込んで、空を見上げた。

 どうしても落ちつかなくて、ポケットの中で手を握ったり離したりを続けている。


 やがてバスがやってきて、彼の目の前で停車した。扉が開いても一向に乗ろうとしない真志を、運転手が少し不思議そうに眺めて、バスは発車してしまう。


 バスに乗りたかった訳ではない。真志はここで、中山三月を待っていたのだ。


 白い息を吐きだしながら、ふと優太のことを思い出す。

 落ち込んで見えたのはあの時だけで、表面上彼は普通に過ごしている。冬休み中もたまに家へと押しかけてみたが、いつものように楽しげに笑っていた。

 相変わらず、表情を取り繕うのが上手い。


 それでも時折優太が辛そうに見えるのは、真志がそれを分かるようになってしまったのか、それとも。


「今回は特別、か?」


 彼女に夢がうつってしまった時、優太はなりふり構わず叫び、感情をぶつけてきた。

 あんな風に感情を顕わにするなんて、高校のあの時以来だ。

 真志は高く感じる冬空を見上げながら、優太と出会った時のことを思い出した。




「そこ、座っても良い?」

 確か、優太が最初に言った言葉は、そんな他愛のないものだった。


 当時高校生だった宮本真志が授業をさぼって中庭で寝転がっていたら、優太が近づいてきて隣を指差したのだ。

 柔らかいというか、緩い笑みを浮かべる彼が鬱陶しくて。

 真志はいつも他人に対してそうするように、彼を鋭い目つきで睨みつけた。


「いや、それがさ。お昼休みに昼寝してたら、いつの間にか授業始まっちゃって。お腹すいたし、お昼抜くの嫌だから食べてから戻ろうと思って」

 ところが真志の視線に怯むことなく、優太は暢気な笑い声を上げる。

 彼の態度は、苛立ちも驚愕をも通り越して真志を呆れさせた。


 今思えば、優太は始めから自分に声をかける気でいたのかもしれない。

 その時はそんなことなど思いもしなかったから、真志は思わず呟いた。


「間抜けか?」

「うん。そんな感じ」

「なんだよ、それ……」

 真志は思わず脱力した。優太は緩い笑みを浮かべると、真志の隣に腰を下ろす。了承の返事などしていないはずなのに、あまりにも自然な動作に咎めることを忘れてしまった。


 優太は手に持ったビニール袋に手を突っ込み、甘すぎると有名な菓子パンを取り出す。甘めの苺ジャムとホイップクリームをたっぷり挟んだ、見ているだけで胸やけがしてくる代物である。

 真志は思わず、ぎょっと目を剥いてしまう。


「はぁ⁉ お前それ、正気か⁉」

「え、何が?」

「それだよそれ。そんなもん。よく食えるな……」

「そんなもんだなんて失礼だな。誰だって甘い物に溺れたい時はあるんだよ」

 よく分からないことを呟いて、優太はジャムパンにかぶりつく。

 途端、横からはみ出した苺ジャムとホイップクリームに、大袈裟な悲鳴を上げている。何をやっているんだか。


「ねぇよ。どういう状況だよ」

 その時、真志は息を呑んで、口元に手を当てた。どうやら自分は今笑ったらしい。それに、強張っていた体の力が抜けている。驚くほど、あっさりと。

 まさか、この男のゆるんだ空気に#中__あて__#てられたのだろうか。


 狐につままれたような顔をする真志の隣で、優太はのんびりとジャムパンを食んでいた。


 それから、真志と優太の交流が始まった。基本的には、たまに昼休みを一緒に過ごす程度。そこからお互いの名前と学年、クラスが判明し、同級生であることが分かった後は、放課後にふらっと町を散策することもあった。


 付き合えば付き合うほど、優太は不思議な男だった。基本的にのんびりしているのに、妙に鋭い所があったり、子どもっぽいかと思えば、急に年の割に達観した一面を見せたり。

 しかし真志にとって、優太と一緒にいるのは心地よかった。


 変に気を遣わなくても良い。何を感じて、何をしていても、優太は自分に対して何も思わない。自分の感情を押しつけることもなく、むしろ、知らず知らずに受け止めてくれているような。

 その安心感が、次第に真志の心を溶かしていった。


 そして、周囲に壁を作っていた真志は、他のクラスメイトとまともに喋れるようになっていったのである。

 自分を変えた優太を、真志は素直に凄い奴だと思う。しかし同時に、ずっと疑問に思っていたこともあった。


「なあ、お前。どうして俺とつるんでるんだ? 一緒に飯食う相手くらいいるんだろ?」

 真志は一度、彼にそうして尋ねたことがある。きっと優太は自分と違って、人の中心にいるような人だと思っていたから。

 優太は頬張っていたクリームパンから口を離すと、一瞬間を置いてからこう言った。


「真志くらいがちょうど良いんだ。つかず離れず、っていうのかな。これくらいが、性に合ってるんだ」

「ふーん、意外とそういうとこドライなんだな、お前」

 優太は少し眉を下げ、困ったような表情で笑っている。やっぱり自分に気を遣って、優太はそう言っているのだろうと、真志は思っていた。


 あの噂を聞くまでは。




「宮本。お前、神崎優太と一緒にいて、大丈夫なのか?」

 ある日の放課後。最近よく話すようになったクラスメイトが、突然真志にそう問いかけてきた。

 面食らって、彼は目を大きく見開く。


「はぁ? 大丈夫って、何が?」

「だから、神崎優太のことだよ。アイツ、人の心が読めるって噂があるんだよ」

 なんだそりゃ。眉を思い切り潜めて、そんなわけあるか、と口にする。


「いや、人の心が読めるに関しては、確かに怪しい部分もあるんだけど。アイツがマジでヤバいヤツなのは本当なんだって!」

 そう言ってクラスメイトは、それを裏付けるような優太の奇妙な言動を話し始めた。


 小学校の担任のお兄さんが、事故に遭って足を骨折したこと。新任の音楽教師の実家が、火事で焼けたこと。

 名前も知らなかった女子が祖母を亡くしたこと、その遺言。

 まるでその場で見ていたかのように、優太はそのことを詳しく知っていて、言い当てたという。


 学区が離れていた真志は知らなかったのだが、同級生たちの間では有名な話だそうだ。


「気味が悪いから、誰もアイツに近寄らないんだ。だから宮本も気をつけた方が良いぜ。人のことをコソコソ嗅ぎ回っているようなヤツなんて、ろくなモンじゃねぇよ」

 そう言うクラスメイトの背後で、こっそり立ち去る優太の後ろ姿が見えた。

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