第15話 喫茶店

 三月は鬱々とした気持ちを抱えながらも、半歩遅れて優太の後を追う。

 彼が強引に誘ってくるなんて初めてだ。余程、ケーキが食べたかったのだろうか。


 しかし、例えどんなにケーキが美味しくても、こんな気持ちのままでは美味しさなんて感じられない。こんな自分が一緒に行っても、せっかくのケーキが不味くなるだけではないか。

 やはり頷かなければ良かった、と三月は早々に後悔していた。

 優太が立ち止まり、振り返る。


「ほら、ここだよ。僕おすすめの喫茶店」

 優太の指先に釣られてお店を見上げると、三月は思わず感嘆の声を上げた。


「うわぁ……可愛い」

「だろ? 中山さんこういうの好きかと思って」

 優太がまるで自分の店のように誇らしげに笑う。

 その喫茶店は雑貨屋と洋服屋の間に、こじんまりと収まっていた。しかし、それでいて確かな存在感がある。


 赤褐色のレンガを積まれて造られた壁や、板チョコのようにも見える木の扉。『本日のおススメ』と描かれた黒板を支えているのは、木彫りの小人の人形だ。

 まるで絵本の中から、そのまま飛び出てきたようなお店だった。


「こんな可愛いお店だから、男一人じゃ入り辛くてさ。だから、どうしても誰かに付き合ってもらいたかったんだ」

 そこで三月は少し引っかかる。

 優太はこのお店を「美味しいケーキの店」だと言っていたはず。味を知っていると言うことは、以前彼は誰かと一緒にこのお店に入ったのだろうか。

 三月は一瞬、学園祭で優太が視線を送っていた女性を思い出してしまった。


「じゃ、入ろうか」

 優太が扉を押すと、カラカラと軽いベルの音が鳴った。

 気持ちが余計に沈んでしまった三月は、ぼうっとその場に立ち尽くしてしまう。

「中山さん?」

 声をかけられて、優太が扉に手をかけたまま、不思議そうにこちらを見ていることに気づいた。


 慌てて彼の後を追って喫茶店の中に入ると、人の良さそうな女性が笑顔で迎えてくれる。三月の母親よりも少し若いくらいだろうか。


「あら、いらっしゃいませ」

 店の中は狭く、席数も数席程度。全体的にこじんまりとしていたが、それがかえって自分の家に帰ってきたような安心感があった。


 優太は店員に軽く会釈すると、店の一番奥まで入っていく。最も出入り口から遠い席を選ぶと、優太は壁を背にして座った。

 三月が向かいに腰掛けると、ちょうど視界に入るのは優太と店の壁だけになった。


「中山さん、何にする?」

 優太がすかさずメニューを差し出す。メニューを見ると真っ先に美味しそうなケーキの写真が目についた。

 クリームがたっぷり乗って、つやつやのフルーツもみずみずしくて美味しそうだ。そう思いながらも、三月はコーヒーだけを選んだ。


「あれ、それだけ?」

「その、私は神崎先輩についてきただけなので」

 どうしても甘い物を食べる気分ではない。


 自分は友人を慰めてあげることができなかった。それどころか、自分の行動が、さらに彼女を傷つけていたのだ。

 それなのに甘い物を食べて楽しい気分になるなんて、明美に申し訳ない。


「じゃあ……僕と同じものでも良いかな?」

 優太の思わぬ一言に、思わずえっと声を出してしまった。

 ここまでくるともう断る理由を考えるのも億劫で、三月は流れに身を任せることにした。


「じゃあ、それでお願いします」

 その言葉に優太は満足げに頷き、店員にケーキセットを二つ、飲み物はコーヒーと紅茶を注文する。


 店の女性が奥に引っ込んでしまうと、急に優太は黙り込んでしまった。三月はどうして良いか分からず、お冷に口をつけながら彼の表情を盗み見る。


 優太は穏やかな表情で軽く目を閉じ、時々人差し指で机をとんとんと叩いている。どうやら、店内でかかっているBGMに聞き入り、時々リズムをとっているようだ。

 三月が改めてそのメロディに耳を傾けると、オルゴール調になっているものの、最近話題の男性アーティストの曲だと分かった。


「この曲、最近人気だよね。中山さんはこういう流行の曲とかもよく聴く方?」

「はい。友達が男性アーティストの曲をよく歌うので、その影響で……」

 自分で口にした言葉で明美のことを思い出し、三月の表情が曇る。

 向かい合った優太が一瞬、眉間に皺を寄せた。


「お待たせ致しました」

 そのタイミングで、店員が二人分のケーキセットを運んできた。

 手際良くケーキを二人の前に、紅茶を優太の前にコーヒーを三月の前に並べ、彼女はまた奥に引っ込んで行く。


 目の前のケーキは、真っ白で雲のようなクリーム、苺やオレンジ、キウイなどの、色鮮やかで瑞々しいフルーツの乗ったショートケーキだった。

 コーヒーの香りがより一層食欲をそそる。


 視線を上げると、優太はすでにケーキにフォークを刺して口に運んでいた。欠けたケーキの断面から、きめの細かいスポンジが覗いている。


「美味しいよ。中山さんも遠慮なく食べて……って、僕が言うことでもないんだけどさ」

 優太は紅茶にクリームだけをたっぷり注ぎながらも、三月の様子を気にしているようだった。

 三月はフォークを手にし、ショートケーキの先をすくって口に入れる。

 途端、口の中で生クリームが柔らかく解け、ふわふわのスポンジの優しい甘さが下の中に広がった。

 思わず瞳を見開く。


「……美味しい!」

 三月は自分の顔が綻んだのが分かった。

 こうなると、上に乗ったフルーツも気になる。彼女はケーキの上に乗ったキウイにフォークを刺すと、そのまま口の中へ。

 少し酸味の強い味と、クリームの甘味のバランスがちょうど良い。こちらもつい笑顔になってしまう美味しさだ。


 三月がケーキの味を堪能していると、優太が机に片肘をついて自分を見つめていたことに気づいた。

 彼女が手を止めると、彼は安心したように息を吐いて微笑む。


「あ、あの、私」

「無理して暗い顔しなくても、それで良いと思うよ」

 息を呑む。

 優太はミルクをたっぷり入れた紅茶を一口。

「中山さん、今日は元気ないなと思って」


 必死で隠していたのに、どうして分かってしまったのだろうか。恥ずかしさのあまり三月はか細い声で独り言のように呟いた。


「……気づかれていたんですか」

「ごめん。それに、どうやら友達と何かあったらしいってことも、なんとなく分かっちゃった」

 優太は悪戯を見つかった子どものように微笑む。三月はもう、顔を上げることができなかった。


 正直分かっていたなら、放っておいて欲しかったのに。彼には何故か、自分の情けないところを見せたくなかった。

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