第55話 〜救いの手〜



   ◇◇◇【SIDE:ミザリー】



 ――"05ちゃん"、悪い子なの?

 ――"お姉ちゃん"、どうしたの?

 ――変だよ、05ちゃん。"ユグリッド様"に怒られちゃうよ?

 ――いいな、05ちゃん。"適合度"がこんなに高くて!


 真っ白の壁。真っ白の天井。

 無数の子供達が住む施設の一室。


 白髪に赤い目の子供を"ユグリッド様"と崇めているおかしな環境に誰も疑問を持っていない。


 淡い水色の髪だった弟は白髪になっていて、"ユグリッド様"から支給される『血』を「美味しい!」なんて言っている。


(何が……、どうなっているの……?)


 もうどのくらい経ったのだろう? あたしは、その異常で信じられない光景に、ただただ沈黙することしか出来なかった。


 毎日、毎日、誰かが死ぬ。


 それを平然と受け入れている周囲に恐怖しか感じなかった。逆らえば、待っているのは『死』だと言うことは連れ出されたばかりの幼い頃だってわかった。


 腕を切られ、血を入れられ、爪を剥がされ、魔法の耐久性と、実技が延々と続く。毎日、毎日、実験動物のように切り刻まれて、やがて疲れ果て、意識を失う。


 それに、ただ耐え続ける日々。


 子供達は全員、定期的に『面談』が行われる。


 面談ではユグリッド様に、


 ――君は僕のものだよ。


 そう告げられ、ユグリッド様の赤い目が更に赤くさせるだけ時間。あたしは「はい、"ユグリッド様"」と呟いて、"歳を取らない少年"の靴を舐める。


 みんな"そう"しているから……。


 "05"。

 違う。あたしの名前は"ゼロゴー"じゃない。

 

 "06"。

 違う。あたしの弟の名前は"ゼロロク"じゃない。


 "2709"。

 違う。人間の名前は数字じゃない!


 パパは? ママは?

 ここはどこ? あたしは何でここにいるの?

 この"たくさんの子供(みんな)"は誰……?


 おかしい……。おかしいんだ。

 絶対に普通じゃない。人間は、人間の血を飲んだりしない。


 それなのに……、


 ――05ちゃん。要らないの?

 ――こんなに美味しいのにぃ!

 ――要らないなら僕に頂戴よ!


 みんな、無邪気に笑ってる。


 支給される血は飲まなかった。

 飲んだふりをした。


 無理矢理、注入される血だけは受け入れた。

 受け入れるしかなかった。


「……あたし。人間じゃなくなっちゃったの?」


 毎晩、毎晩、自問して涙する。

 何年も何年も……。

 自ら死のうとしても死ねない。


 身体の傷は簡単に治っちゃう。

 自害すら許されない。


「……誰か……誰か、助けて……」


 必死に助けを求めていた。

 誰かに救って欲しかった。


 でも……、いつまで経っても助けは来ない。

 考えることを放棄して、助けを待つことも諦めた。



「なに……これ……?」



 絶望すると、目の前の景色が白と黒になると知った。あたしの、モノクロの世界の始まりだった。


 それから数年。時間の流れは曖昧だけど、弟もあたしも子供たちも、少年少女にまで成長した、『今日』。


 ――みんな、いい子にしてるんだよ? 僕は『父様』に会ってくるからね!!


 "ユグリッド様"はとても嬉しそうに出かけた。


 この施設から出ていくことを宣言したのは、この数年間で初めての事だった。


 今しか無いと思った。

 とにかく逃げないと、と思った。

 自分でなんとかしないと、と駆け出した。


 あたしはまだ希望を捨てたわけじゃなかった。

 それにとても驚いた。



 ガシッ……


 弟の手をとり駆け出す。


「"あんた"、頭、おかしいんじゃないの?」


 でも……、拒絶された。

 込み上がる涙を堪えながら、すっかり少年になった弟を強く抱きしめ、「絶対に助けに来るからね」と小さく声をかける。


「……意味がわからないな。何を言ってるんだ?」


 小首を傾げながら怪訝な表情を浮かべる弟。

 あたしは振り返る事もせず、ただ必死に……、懸命に走った。



 外に出た瞬間に、急激な飢餓感に襲われる。

 久しぶりに見た『人間』にヨダレが止まらない。



 ガブッ!!



 あたしは自分の腕に牙を立てる。


 あたしは"人間"。

 あたしは人間なんだ……。

 あたしは人間のはずなんだ……!!


 すっかり変わってしまっているルフの街を飛び出し、森を駆ける。自分の腕に、何度も何度も牙を立てながら、味のしない「水」を身体に入れ続ける。


 激しい動悸と混乱した頭のまま、とにかく走ったけど、


 ピクッ……


 強烈に香った、甘い香りに足を止める。


 これまでの『人』とは明らかに異なる『ご馳走』。暴力的で圧倒的な強烈な良い香り。


「……はぁ、はぁ、はぁ……」


 気がつくと一目散に駆けていた。

 ギリギリで繋げ続け、この数年間どれだけ、辛い日々でも耐えてきた衝動を抑えられない。


 ……もうどうすることも出来ない。


「……だれか……あたしを殺して……」


 頭でいくら拒絶しても身体は言うことをきかない。視界がパーッと拓け、白黒の湖が広がると、そこには9本の尻尾を持つ、とても可愛らしい女の子。


 無数の氷はあたしに向いている。


 早く……、早く、その氷であたしを……、



「"リッカ"!! やめろ!!」



 湖に響いた少し焦ったような叫び声。

 

「えっ? あ、主(あるじ)……様……!?」


 一瞬、動きを止めた女の子に、あたしはまた『絶望』する。あたしはもう止まれない。もう、あたしにはどうすることも出来ない。


 "香り"だけで意識が飛びそうな"お兄さん"は、一瞬だけパッと手のひらをあたしに掲げたけど、「ふっ」と小さく笑って腕を前に出した。


 ガッ!!


 あたしはお兄さんの腕に飛びつき、争(あらが)う事なんて一切出来ずに牙を突き立てる。


 少し眉間に皺を寄せるお兄さんは何か呟いたようだけど……、口の中に広がる経験した事のないものが広がる。


 身体の内側がブワッと潤い、掻き乱れる。

 お兄さんの血が身体の中で荒れ狂うたびに、あたしの身体はビクンッビクンッと震え、熱くて、甘美で、身を捩(よじ)る事しかできない。


 漏れ出る吐息も抑えられない。

 この"食事"をやめる事は許されない……。


 無我夢中で貪(むさぼ)る。


 ……涙が止まらない。


 "人間の血"を飲んでしまっている。

 獣のようにお兄さんに襲い掛かってしまっている。


 違う。そうじゃない……。

 あたしが"人間"じゃないと認めてしまったから泣いているんじゃない。


 お兄さんの、この世のものとは思えないほど美味しい血が、"飢え"から救ってくれている事に涙が止まらないんだ。この、経験した事のない"甘美な食事"が、あたしの涙を止めないんだ。



「い、いい加減にするの!」



 先程の氷の女の子にヒョイッと引き剥がされ、ハッと我に帰ると、遅れてやって来た『あたしが"人間"じゃないと認めてしまった涙』が溢れてくる。


 もう……あたしは"人間"じゃない。

 もう、あたしには生きている資格がない。


 もう何を信じていいのかわからない。

 モノクロになってしまった世界の中で、あたしが縋れるものなんてもう一つもない……。


 寸前のところで繋ぎ止めていた『人間である』という自負も、もう……。


 理性を取り戻すと、自分の行動に後悔が沸き立つ。


「ごめんなさい……ありがとうございました……」


 自分の泣き声でお兄さんの声も、"獣人"の女の子の声も聞こえない。


 あたしは壊れたみたいな涙腺を懸命に修復しながら、ただただ謝罪と感謝の言葉しか伝えられない。


 あたしを殺して……。

 もう生きていけない……。


 弟を助けて……、どこかに消えてしまったママも、パパも、……子供達(みんな)も……。あの『普通じゃない場所』から助けてあげて。


 あたしは……もうどうだっていいから。

 もう、これ以上わがまま言わないから……。


 心の中で懇願するあたしの頭に、


 

 ポンッ……



 優しい手が降ってきた。


 視線を上げると、モノクロの世界の中でも、吸い込まれてしまいそうな漆黒の瞳を細めて、ニカッと笑顔を浮かべているお兄さんがいた。


 えっ……、なんで……?

 なんでそんな優しい笑顔を……?


「……ふっ、せっかく血をやったのに何してる」


 少し低く、優しい声に包まれる。

 どうすればいいか分からずに謝罪するけど、お兄さんの声に涙が加速する。


 自分の涙が日差しに反射して、モノクロの中にキラキラと白(ひかり)が輝いて……、頭に置かれていた優しい手が離れると、スッと手を差し出される。



「俺以外の人間から吸血しないんだったら、連れてってやろうか……?」



 口角を吊り上げたイタズラな笑顔。

 自信満々に差し出された右手に、



 ブワァアッ!!



 あたしの世界が色づき、大きく目を見開く。



 あまりの絶景が更に涙を誘発する。

 今まで何百、何千、何万と繰り返してきた。


『"誰か"助けて……』


 その答えが、目の前に差し出された手のように感じたんだ。この少し呆れたような、照れたような、イタズラめいた優しい笑顔に、あたしの瞳が色を思い出したんだ。


 差し出されたのは『救いの手』。


 この絶景は……、この絶景の主役は、間違いなく、太陽みたいなオーラに包まれているお兄さん……。


「……うっ……うわぁあん、ぁああ……」


 壊れた涙腺は勢いよく蛇口を捻ったみたい。思わず飛びついたあたしは、迷子から救われた子供みたいだ。


 この感動が……、背中を優しく撫でてくれる温かい手が、また、あたしを人間にしてくれる。


 見ず知らずのお兄さんの胸で泣き続けながらそんな事を思っている。


 あたしは"ミザリー"。

 "ミザリー・ディ・ジュリミナード"……。


 辺境都市ルフの領主の娘。

 あの"男"に兄を殺され、傀儡(くぐつ)となった、辺境伯……、代々、【竜殺】の魔術を伝承し続けて来た"ジュリミナード家"の長女なんだ。





   ◆◆◆◆◆



 ――辺境都市「ルフ」 領主邸



 男は街を見下ろしていた。


 綺麗な弧を描く細い目元は、優しく親しみやすい雰囲気が醸し出しており、その瞳が開く事は滅多にない。


 だが……、


「"父様"! ついに、面白い『個体』が出たので報告に来ましたよ」


 人間で言うところの10歳前後の美少年の言葉に、"男"は目を開かずにはいられなかった。


「……フフッ。どう、面白いんだい? "ユグリッド"」


「やっと、『恩恵(スキル)』に干渉する子が出たのです!!」


「……」


「……? 父様? ずっと恩恵(スキル)を干渉する恩恵(スキル)を探していたのでは?」


「……フフッ、そう。……そうか。やっと現れたんだね。フフフフッ、そうか……」


「……? 父、さま……」


 ユグリッドは様子のおかしい『主(しゅ)』の顔を覗き込み、歓喜の表情にゾクゾクッと背筋を凍らせる。


「君は……、私の自慢の息子だね、ユグリッド」


 ポンッと頭に手を置かれ、ユグリッドはブルブルッと感動に身体を震わせる。


 『操血邪眼(ソウケツノジャガン)』が見開かれている。


 漆黒の十字架の瞳孔に真紅の瞳。

 惜しげもなく牙を晒す"主"。


 "本来の姿"に戻っているのを見るのは、約10年ぶりだった。


 "我らの王"……。


 歓喜に歪む表情は、人間にはとても悍(おぞ)ましく見えるものであったが、ユグリッドの紅眼にはとても美しいものに見えていたのだった。


「……やっと始まる。……やっと"飲める"。あの甘く芳醇な……、やっと! 私たちの計画の"全て"を破綻させた『未知なる血』が……」


 男は顔を手で覆い、更に顔を歪ませた……、いや、口角を吊り上げた。


 裂けんばかりの口元は手では隠しきれていない。「父様」と呼ばれた男の邪眼には、1年前にふらりとルフの街に現れた"一人の男"の姿が蘇っていた。


 


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