第十四話 路地裏の人外たち

 白絹のような長髪の少女は、見た目にそぐわないやけに古風な喋り方をした。彼女はさらに、もう用済みだとばかりに外套そのものを地面へ脱ぎ捨てる。

 露わになった姿は、思わず永一が言葉を失ってしまう、幽玄とも言える趣があった。

 美しい海を封じ込めたようなマリンブルーの瞳。傷ひとつなく透き通った肌。シンジュやコハクの銀髪の色をずっと薄くしたような、白い白い雪の色の髪。

 身長は子どもほどしかなかったが、目鼻立ちといった顔のつくりとは別に、その表情から幼さと呼べるものはまるで読み取れない。

 また、体にはぐるりと黄金色の鎖が巻き付いていた。手や足を縛るためのものではなく、ただ緩く絡まっている感じだ。


「オレを知ってるのか? まさかオレと同じ、転生したタカイジン……いや、でもお前みたいなロリロリしい知り合いは覚えがねえぞ」

「ロリロリしいは余計じゃ。知り合いではないが、見知ってはおるよ。なにせ不死アンデッド、おぬしは吾輩がこの版図へ呼んだのだからな」

「なんだって? どういうことだ」

「吾輩は女神パードラ。ここ五十年、螺旋迷宮を殺すべく異世界の人間の魂をラセンカイへと呼び寄せておる。おぬし、名はなんという?」

「坂水永一。女神……だと? 異世界の人間の魂? それに五十年って、今いくつなんだよ、お前」


 女神パードラ。ラセンカイに来て、その名はたびたび永一も耳にはしていた。

 神——

 日本人の多くがそうであるように、積極的な有神論者ではなかった永一だが、異世界転生なんてものが身に降りかかってしまえばその存在も認めざるを得ない。目の前の存在がそうであることも、単なる童女とはどこまでもかけ離れたその佇まいから、疑いを捨てることは容易かった。

 だから問題は、ではその神がどのような存在なのか、その詳細に違いない。


「エーイチ、か。ふむん、中々よい名じゃの。しかしレディに歳を尋ねるのは失礼というもの……じゃが、まあ別によいわ。ちょうど970ってとこじゃな」

「1000歳……ってことか。そればっかりはちと、にわかには信じがたいが……」

「いや、970歳じゃ」

「……だから、実質1000歳」

「970じゃから。間違えんでくれ」

「そこまでいけばたかだか30歳程度誤差だろうが……!」


 神というわりには細かい数字に頓着するようだった。

 ともかくその970歳の少女は自称神様で、永一を異世界転生させた張本人。嘘の線を完全に消すことはできないが、そんな嘘をついて得られるメリットもないだろう。損得勘定のできない物狂いでもない。なにせ濃い青の瞳には、むしろ確固とした理性の光が宿っている。

 そして。なにより、永一の転生特典ギフトを知っていた。

 発言通り、目の前の少女が自分をこの世界に呼んだのだと、永一は確信した。

 永一は咳払いをひとつして、「オレを探して接触した理由はなんだ」と手短な問いをぶつけてみた。


「謝罪と、あとは説明じゃよ。見ての通り吾輩は、自ら呼び寄せた転生者ひとり満足に探せん。一日かかってもうた。異世界の魂を呼び寄せるくらいしかできん、他力本願の情けない神じゃ」


 一方的にこの版図へ呼び寄せたこと、申し訳ないと思っておる。

 そう言ってパードラは、深く頭を下げた。それに合わせ長い白髪が小さく揺れる。


「ああ……オレたちが螺旋迷宮の攻略を進めて、噂になったおかげでオレのことを見つけられたってわけだ」

「そうじゃ。なにぶん民衆が思うより非力な神での、表立って動くわけにはいかん。吾輩らでそろって通りに出れば騒ぎも二倍じゃろうな、女神と人相悪いマンが出た、と……」

「え? オレそんな呼ばれ方してんの?」

「しかし、無理やりな転生を重ねて詫びたうえで、おぬしに頼まねばならぬことがある。——このラセンカイが限界を迎えつつあるのじゃ。それを防ぐべく、吾輩はこの五十年、版図拡大のために禁足地としていた螺旋迷宮の戒律を撤回し、隣にある世界の魂を呼び寄せておるのだ」

「オレ人相悪いマンって呼ばれてんの? ホントに?」

「もうちょっと話聞いてほしい……」


 パードラがしゅんとしたので、永一はひとまずあまりに端的かつ酷な自身の異名については置いておくことにした。

 版図拡大、というワードについてはアテルが昨夜少しだけ触れていた。螺旋迷宮の成長に従い、このラセンカイそのものが広がっている……そんな話だ。


「禁足地。もしかして螺旋迷宮は、昔は入っちゃいけないところだったのか。世界を大きくするのに必要だったから、頂上にある螺旋迷宮の核を守るために」

「おおっ、なんじゃ存外に聞いてくれておるではないか。その通りじゃよ、螺旋迷宮あってのラセンカイ。五十年前まではこのホシミダイも存在せぬかった。特異な町ではあるが、大きく発展したものよ」

「……で、限界ってのはどういうことだ? もうラセンカイがこれ以上広がらないってとこまできたのか?」

「まさしくそうじゃ。正確には、あと十年か二十年くらいすれば限界点に至ろう」


 世界が広がるというのも想像の難しい話ではあったが、それが限界に達するとしてどうなるのか。そこで世界が広がらなくなるだけではないのか……そんな疑問を顔に出す永一だったが、パードラはふるふると首を横に振った。


「世界が限界に達しても、螺旋迷宮の成長は止まらん。すると世界は、その世界の壁を越えて隣の世界にまで広がろうとする。……世界の壁を壊す。侵食するのじゃよ」

「隣の世界に広がる。平行世界みたいな話か?」

「そういうこともあるかもしれんが、忘れたか、それともやはり聞いておらんかったか? 吾輩は、隣の世界から魂を呼んでいる……そう言ったぞ」


 パードラの言葉にはっとする。

 それは、螺旋迷宮の成長によって侵食される世界と、タカイジンが元々いた世界は同じ『隣』だという意味だ。

 つまり。このまま螺旋迷宮が成長すれば、永一のいた世界、地球こそがこのラセンカイに侵食される――


「――待て。侵食ってのは具体的になんだ。まさかとは思うが怪獣……魔物がやってくる、とかか?」

「なぜわかる? きっとそうなる、それも民の言う根送論とは真逆。梢の方から魔物は送られるじゃろう。そうなればどうなるか吾輩にもわからん、大型種ディソベイが生まれてもおかしくはない」

「馬鹿な! おかしいぞ、そいつは」


 永一は吼えた。耳の奥からばちばちと炎の音が鳴る。

 それは赤い赤い、地獄の記憶。

 怪獣災害。六年前に永一の住む町を襲い、それ以来世界に蔓延る恐るべき脅威。

 原理はわからず、研究は進まず、謎に包まれた現象。神の裁きだとも、宇宙人の侵略だとも噂される悲劇。

 話しぶりを聞くに。これこそまさに、パードラの言う『隣の世界への侵食』ではないか?


「魔物が攻めてくるのが侵食なら、そいつは六年前に起きている! オレの家族はみんな魔物に、怪獣に殺された! まだ十年か二十年はかかるんじゃなかったのか!?」

「な――おぬしも、なのか。よいかエーイチ……世界というのは、螺旋じゃ。ねじれておる。だから隣の世界から魂を呼ぶ際、こちらから見て過去現在未来、どこの魂を呼ぶか厳密に選べんのだ」

「時系列がズレるってことか……!? ならオレは、このラセンカイから見て未来の地球から転生してきたのか」

「うむ。加えて、どこの誰だとかも選べん。場所はおおむね指定しておるが」

「そう、だったのか。オレが選ばれたのも、だったらまったくの偶然……」

「ぶっちゃけ、ガチャじゃ」

「ガチャだったのか……!」


 怪獣に家族を殺された永一が、同じく魔物に里を滅ぼされた姉妹に出会った。

 永一はこれを、ひょっとすれば自分を転生させたとかいう女神の意思によるものではないかと若干考えていたが、そんなことはないみたいだった。

 

(だが、この際偶然でもなんでもいい。オレは未来の地球から呼ばれたんだ。オレの身に降りかかったのは、異世界転生かつタイムスリップだった。ってことは……)


 パードラは螺旋迷宮を殺し、隣り合う異世界への侵食を止めるためにタカイジンを転生させている。

 彼女は970年を生きる女神であるが、戦闘能力自体は低い。ちょっとした能力はあるものの、魔術は使えず、身体能力は見た目通りの子どもレベルだ。

 だから、タカイジンを頼る。否応なしにその魂を呼び寄せ、転生特典ギフトを宿らせる。

 世界を救うためとはいえ、その無理やりかつ他力本願とも言える手法に、彼女が負い目を覚えないわけではなかった。


「……本当にすまぬ。おぬしはなにか悪いことをしたわけでもない。死んでしまったわけでもない。ただ、同じ一日を自分の世界で過ごしていたはずなのだ。それを……吾輩は強制的に呼び寄せた」


 もう一度パードラは頭を下げた。声の調子は今にも消え入りそうに弱々しく、その姿はどこか長く積もった疲労を感じさせた。

 五十年。タカイジンを転生させて螺旋迷宮を攻略してもらう彼女の目論見は現状、決して順調ではなかった。


「顔を上げてくれ。オレは、このラセンカイに来たことを恨んでなんかない」

「しかし……吾輩は、おぬしを殺した」

「殺した? そんな覚えはないが」

「覚えがなくとも、だ。世界の壁を越える際、身体を分解して魂だけにする。そうして、この世界で新しい肉体が形成されるのだ。一度魂を裸にせねば、転生特典ギフトは宿らぬ。転移ではなく転生、だからの」

「また難しい話だな。気にしねえよ、オレは。今生きていればどうだっていい」

「……頓着せぬのだな、エーイチは。この話を聞くと多少なりとも皆動揺するものなのじゃが。肉体を一度すべて無くしてしまうのだ、魂を知覚せぬ者にとっては死の虚無と同義であろう」

「知るかよ。今更デスカウントがひとつ増えたところでどうだってんだ。死ぬ前と生き返った後で同じ形と機能をしたものが残るなら、それは死んでないのと同義だろう」


——例えば、二枚の絵画があったとする。

 ひとつは高名な画家が十年かけて描いた絵で、もうひとつは無名の、なんでもない画家が二時間で描き切った。

 ここで、絶対にありえないことではあるが、もしも仮にこの二枚の絵画に表された筆遣いが、構図から細緻に至るまで完全に一致していたら?

 要はまったくの別人同士が、注いだ才能もかけた労力も違う、しかし見た目のまったく変わらない絵を完成させれば。その価値は、どちらが上でどちらが下になるのだろう?


 より実績のある者が、時間をかけて描いた方だろうか? 世間に評価されやすいのはこちらだろう。

 それとも無名の人物が少ない時間で描いた方だろうか? 制作にあたっての時間的な効率がよかったのはこちらだろう。

 永一にとっての答えはシンプルだ。

 同じ。価値はなにひとつ、まったくとして変わらない。

 どのような背景バックボーンを持ち、どのように出来上がったのかなど関係がない。同じものができたのだから、その価値もまた同じである。


「人間でない吾輩が言うのもなんだが、その思想はおよそ人の道から外れておるぞ。極端に過ぎる」

「なにを今さら。オレだって、とっくに人間のつもりはない」


 なにせこの身は不死アンデッド

 さらに加えて言えば、そうなる前、六年前のあの地獄で坂水永一は死んでいる。肉体が無事でも、心が。

 二枚の絵画の価値は同等。ならばそれは、自分自身もそうだ。

 どんな死の断絶も、前後に残るものの機能が同じであれば、永一にとって意味はない。

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