第十三話 神明のマリンブルー

「うえぇぇぇぇぇ……よがった……ふだりが生きててよがったよぉ……!」

「ロ、ローズ様、少し苦しいです」

「涙を……お拭き……します」

「うぇぇっ、優しいよぉ……健気だよぉっ」


 金の髪を後ろで結ぶ淑女が、シンジュとコハクをひしと抱きしめながら号泣していた。


「おーいおいおい……! おーいおいおいっ」

「この泣き方ホントにする人いるんだ……」


 まだ町が目を覚ますより早い、早朝の宿。客は立ち入り禁止の、カウンター奥にある私室に永一たちは集まっていた。

 ぼどぼどと滝の涙を流す彼女はローズと言い、アテルの妻だと紹介を受けたばかりだ。なんでも彼女もシンジュとコハクの両親と面識があるらしく、大泛溢マッドポップで滅んだとされるセレイネスの里の二人が生きていることを知ると歓喜した。


「はは、久しぶりに妻の泣き虫を見たよ。あれは十三年前セレイネスの里に逗留させてもらった時、まだ幼いシンジュ君とコハク君とよく遊んでいたからね。再開できて嬉しいんだろう」

「面識があったんですか。なるほど」


 もっとも反応から見て、姉妹二人は覚えてなさそうだ。それでも心遣いに悪い気はしないのか、ふたりはどこかくすぐったそうにローズの細い腕に抱きしめられている。

 と、そこへ隣の部屋から少女が「朝から騒いでどうしたんですか?」とひょっこりやってくる。ローズと同じく後ろで結ばれた彼女の髪は、しかしローズと違い燃えるような赤色を宿していた。


「わっ。怖い顔」

「ぐはぁッ」


 シンジュやコハクより少し幼いくらいだろうか。少女は部屋に入り、永一を見るや否や言葉のナイフを容赦なく突き刺した。

 永一は人相が悪かった。六年前の怪獣災害でついた、額の傷のせいもあるのだろう。子どもには怖がられるのが常だ。


「ああっ、すいません! あまりに凶暴そうな顔だったのでつい」

「メル、それはなんのフォローにもなっていないよ」


 ある意味、物理的な攻撃の効かない不死の体にはなにより効果的な一撃だった。永一は崩れ落ちそうになるのをなんとか堪え、少女に目を向ける。

 メルと呼ばれた少女は、髪色からしてアテルの娘らしい。整った目鼻立ちも、よくよく見ればローズの面影がある。


「パパ、この人たちは……?」

「タカイジンのエーイチ君に、そっちでママに全力号泣ハグされてるのがシンジュ君とコハク君だ。ええと、セレイネスの里の話はしたことあったかな」

「んー? わかんない。あ、でもあたし、エーイチさん? たちのこと知ってるかも」

「え?」


 ぱっちりとした、メルの黄色の瞳が永一を見る。どう考えても面識はないはずだった。永一の困惑を解すように、メルは歳に似つかわしくない理路整然とした喋りをし始める。


「昨日の夕方、町の人たちが話してるの聞いたんです。えっと、顔の怖い人と、銀髪の美人さんふたりが、螺旋迷宮の階層を進めたって」

「顔の怖い人……」

「まさしくエーイチ君たちのことだな。町で噂になってたのかい?」

「あたしが聞いた時はまだ噂ってほどじゃなかったけど。今はうーん、どうだろ……もしかしたら、ホシミダイ全域に広がってるかも。冒険者ギルドが何年も攻略を滞らせてたから、みんな驚くはず」


 そもそもどうして、冒険者ギルドの攻略はそこまで遅々としているのだろう?

 永一はふと、そのことが気になった。螺旋迷宮の中は危険だが、三人でも十分に切り抜けることはできた。

 無論、不死の力とセレイネスの魔術に加えて、中型種ウィズノルに遭遇しなかった幸運も昨日はあった。しかしギルドと言うからには頭数は永一たちより遥かに多いはずであり、数に物を言わせればいくらでも先へ進むことはできるのではないか。

 少なくとも昨日の39階層を経た限りでは、永一はそう感じていた。


「エーイチさんたちは、冒険者ギルドに代わって迷宮を踏破しようとしているんですか?」

「ん? まあ……そういうことになる、のか」

「すごいですっ。あたし、尊敬します」

「ありがとう。つっても、シンジュとコハクの魔術がなきゃ、大したことはできないんだが」

「でも、気を付けてくださいね」


 雷がこもるような双眸に、大人びた憂いを浮かばせて言う。


「ギルド以外に迷宮へ挑んだ人たちは、帰ってこなかったり、すぐにホシミダイから離れるようになるって聞きますから」



 武器を買う必要があった。いつまでもコハクからクナイを借りるわけにもいかないからだ。

 あのクナイはセレイネスの里に伝わる秘伝の武器とも言えるもので、そこらの短剣なんかとは比べ物にならないくらい頑丈かつ、切れ味もいいそうだった。コハクは使ってくれてもいいと言ったが、大切なものなのは外から見てもわかった。

 もしかすると大切な誰かの形見であるかもしれない。

 それに、クナイが永一に適さない理由もある。


 小ぶりなせいで自殺がしづらいのだ。喉に刺す際、尖った形状だから傷がどうしても小さくなる。

 望ましいのは即死。下手に生きながらえるほど、転生特典ギフトによる蘇生は遠くなる。

 とはいえ、昨日は死に損ねることもなかった。これは片月のおかげだ。破力——要は攻撃力が増すメリットに加え、保力が低下するデメリットも自殺するには役に立つ。

 しかしいざという時のため、手早く死ねるようもう少し殺傷力の高いものを携えておくべきだった。


「効率的に死ねる武器がいい。出来れば苦しまず、手早く……無駄のない自殺をするために」

「自殺ソムリエ……?」

「メ、メインの用途はあくまで魔物討伐ですから、エーイチ様」


 そんなわけで永一たちは昼下がりに街へと繰り出していた。昼食は宿で摂ったが、肉まみれなのはアテルが作る場合のみのようで、ローズが用意してくれた食事はごく普通の献立だった。


 もはや言うまでもないことだが、不死アンデッド転生特典ギフトを持つ永一にとって、自殺をすることはあらゆる怪我や身体の欠損の修復を意味する。なので自死は迷宮を潜る上で必須だ。

 けれどシンジュは、そうわかっていても永一がその意識を死の静寂へ限りなく近づけることに、どうしても抵抗感を抱いているようだった。

 反対に、コハクはむしろそうした最大限に転生特典ギフトを活かす姿勢を好意的に捉えている。昨晩のやり取りもあり、姉妹の性格の差が永一にもわかってきた。


(万が一、自分で死ねなくなった時なんかは……コハクに頼むか)


 誰であれ、気分のよいものではないだろうが。想定されるケースが起きないことを永一は願った。

 そして、武器や防具を取り扱う店が並ぶ通りへ向かう——

 途中、通行人が妙にじろじろと永一たちを見つめてきた。


「……?」


 昼の街は人が多い。特に大きな通りに差し掛かると、人だかりはまるで永一たちを取り囲むようだ。


「ねえ、あれって……」

「人相の悪い男に、銀髪で珍しい格好の姉妹……間違いねえ、迷宮を進めた三人組だぞ」

「本当にいたのか! 見ろよあの額の傷」

「うわー噂通りの人相だ!」


——否、事実として取り囲んでいた。

 冒険者ギルドに代わり、六年ぶりに螺旋迷宮を進めた一行。メルの言う通り、もしくはそれ以上に永一たちの噂はホシミダイに広がっていたようだ。


「あんたら、たった三人で迷宮の先まで行ったのか! すげーな!」

「男の顔怖すぎだろ!」

「髪が黒いぞ、ひょっとするとタカイジンなのかも」

「綺麗な女はべらせやがって羨ましいぜ!」

「あの怖い顔で恫喝したんじゃないか?」

「顔のことばっかうるせえな!? 好き放題言いやがって……なんだよお前らっ、ちょ、押すなっ」

「あッ、エーイチ様——」


 人々は永一たちへ押し寄せ、一瞬にして状況は密集する混沌に呑み込まれた。

 たくさんの人の波にもみくちゃにされ、永一は姉妹とも簡単にはぐれてしまう。


「ホシミダイの希望!」

「あのクソギルドなんかぶっ飛ばしてくれー!」

「だあっ、押すなって言ってんだろ、道を開けろ……! おい尻触ったの誰だ!? おい!?」


 しかし、押し寄せる人たちに悪意はなく、むしろ永一たちのことを歓迎するような趣があった。それともただ、騒げさえすればなんでもいいのかもしれないが。

 永一はとにかく、人波から抜け出し、姉妹と合流するべくもがいた。すると伸ばした手を誰かが掴み、引っ張ってくる。


(……シンジュか、それともコハクか?)


 救いの手。永一はその力に素直に従う。


(でも——)


 けれどその柔らかな手は、シンジュやコハクのものにしては小さい気もした。

 若干の疑問を覚えつつも、引っ張られたおかげで永一は人だかりから脱出することができた。人々は永一がいなくなったことに気付かず、やいのやいのと押し合って騒いでいる。

 抜けた先は通りを外れた、薄暗い路地。日陰になっていて昼の陽光を逃れるそこは、そうそう人の目にはつかなさそうな場所だった。


「お前は……誰だ?」


 人波を抜ければ、永一を先導した者の姿ははっきりと見える。

 シンジュでもなければ、コハクでもなかった。

 そこには雨でもないのに安っぽい糸のほつれた外套に身を包み、人目を避けるかのようにフードを目深に被る、小さな人物が建物の影に沈むかのごとく立っていた。

 その人物は永一の手を離すと、誰何すいかには答えず、そのまま数歩路地の先へと歩く。それから振り返り、おもむろに小さな手でフードを取った。

 現れたのは、見知らぬ真っ白い髪の少女だった。


「……ふぅ、ようやく抜けられた。吾輩はちっこいから、ああした人の群れは大変じゃ。まあ、騒ぎのおかげでおぬしを見つけられたのじゃが」

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