第四話 黒色の眼差し
「なあ。ところでなんだけど、オレのおでこどうなってる?」
白くねじくれた巨塔、螺旋迷宮。その根元にある町——名をホシミダイと言うらしい——へ向けて起伏のほとんどない平野を歩きながら、永一はふと、傍らの姉妹に聞いてみた。
異世界にぽんと放り込まれた身の上だけに、さっきまで永一は道すがらこのラセンカイの常識なんかを教えてもらっていた。そんな中特に深い意味もなく会話の切れ目に、余談とばかりに口にしたのだった。
「ん——ええと。傷が、あります。それも大きな」
「怪我……いつかの古傷……ですか?」
姉妹の黄色がかった目が、永一の額に視線を向ける。シンジュとコハクの背は妹であるコハクの方がわずかに高いが、とは言ってもほとんど同じくらいで、永一は男性なだけありそれより高い。なのでやや見上げるような形だ。
「ああ。……やっぱあるんだな。死んで生き返る時、怪我も全部治るみたいだったから、ひょっとしてこれも治ったんじゃないかって思ったんだが。この世界……ラセンカイに来る前のぶんはどうにもならないってことか」
永一の額には、深く裂けるような古い傷跡が残ったままだった。こればかりは蘇生による治癒の対象ではないらしい。
——だがおかげで、あの日のことを忘れなくて済む。
いや、傷がなくたって忘れられるはずもない。馬鹿なことを考えた、と永一はため息をつく。
「ホシミダイはどんなところなんだ? ここからでも規模の大きさは見て取れるな」
話題を変えるべく、目的地の町を見て言う。
「実は、ワタシたちも行くのは初めてで」
「あ、そうなのか。じゃああそこに向かう道中、たまたま出会ったんだな」
「……まったくの偶然でしたが……よかったです。幸運……でした」
「そうだな。……オレはちょっと、この世界で目が覚めてすぐ魔物に襲われるってのは不運な気もするけど」
「……それはそうかもです」
コハクは表情に乏しいながらも、澄んだ声色にわずかな同情の音を乗せた。
とんだリスキルだった。これも女神とやらの思し召しなら、文句のひとつも送りたい——
*
姉妹が言うには、普通に外を歩いていて魔物と遭遇するようなことは基本的には稀なのだそうだ。加えてホシミダイの周りは見晴らしのよい広い平野であり、特に何事もなく永一たちはその町へとたどり着いた。
「わあっ。綺麗な街並みですね」
「……建物、いっぱい」
「いかにもって感じだな。思いのほか洗練されてる」
門があるわけでもなく、街道とつながった大通りには石造りの建物が立ち並ぶ。人も多く、ごった返すほどではないが、昼間に相応しい活気が町全体から満ちているようだ。
永一は建物の意匠と行き交う人々の服装に目を向けた。
なにかの施設なのか、なんらかの文字——永一の知らないものだ——が書かれた看板の掲げられた、町の入口のすぐそばにある大きな二階建ての屋敷の壁には、木枠でマス目状に縁どられた窓ガラスが並んでいた。
ここからでは厚さまでは知れないが、ガラスは一般に普及しているようだ。そして街を行く人は性別も格好も様々だったが、まとう衣服はどれも現代の目から見てもみすぼらしいと映るような代物ではなかった。
世界が違えば歴史も違おう。一様に当てはめられるものでもないだろうが、文化水準的には中世の半ばは過ぎているだろうかと永一は当たりをつける。
「で……町に着いたはいいがどうすっかね。早速あのデカいのに向かえばいいのか?」
「そうですね。一日でどうにかできるものでもないでしょうが、ワタシも早目に迷宮の空気を知っておきたいです。宿はつてがありますので、その後に」
「ホシミダイは……真ん中に螺旋迷宮があって、通りもそこから広がっているそう……です」
「つまり大通りをたどれば、勝手に着くってことか。まああんだけ大きいと見失う方が難しいな」
平野にいた時より近づいた、白くそびえる塔を見上げる。先の方がどうなっているのか、この距離ではまるで見えない。
あの中を登るのは大変そうだ。ただ階段を上るだけでもそうだが、それだけで済むわけもない。シンジュはあの塔が魔物を生むのだと言った。ならばその内部は魔物の巣であるに違いなかった。
あるいは、町を見て回るのを差し置いて初めにあの塔へ向かうのは、覚悟を試すためなのではないかと永一は思った。
復讐だと言う姉妹の覚悟。そしてそれに助力する、永一の覚悟を。
(二人がオレに丁重なのは、魔物を殺すのに有用な不死の
決して、その人格や人間性を認められたわけではない。そのことを念頭に置くべきだ。
方針を定め、石畳に舗装されたメインストリートを抜ける。草と土の地面に比べれば格段に歩きやすく、ともすれば異世界に来ていることを忘れてしまいそうになる。
しかし町の中心——螺旋迷宮の近くへ着く前に、永一は見知らぬ男と目が合った。
パン屋かなにかなのか、開けられたドアの中から香ばしい匂いを漂わせた店屋の軒下に入り、その黒い髪の男は中天の太陽から逃れるように佇んでいた。
「……ん。君、ひょっとしてタカイジンか。いやそうだろう、黒髪黒目なんてこのラセンカイじゃそうはいない。転生した日本人だな」
そう言った男は、片手に袋を抱えていた。今しがた店で買ったものだろう。昼食と思われた。
背は永一より高く、また年齢もそうであるように見えた。二十代後半辺りと思しい几帳面そうな顔立ちで、黄色人種の肌の色をして、髪も目も黒い。
「そういうあんたも。同郷ってわけだ……なんだ、案外いるのかタカイジン」
「はは、そうはいないよ。知り合いは数人程度かな。女神が転生させる頻度は二、三年に一度くらいだ」
男は温和な笑みで応じた。永一と同様、日本から来た——女神パードラという存在に呼ばれた人間のようだ。
近寄ろうとする男を阻むようにして、永一のそばで控えていたシンジュとコハクがずいと前に出た。
「失礼ですが、どちら様でしょうか」
「怪しい男……エーイチ様に近づけさせない」
男はブラウンのコートを着こんだ肩をすくめ、困ったような表情を作る。
「俺は
「アワブチ様?」
「……知らない」
——冒険者ギルド。そういうのもあるのか。
永一の頭に、魔物の住み着く古城や、竜の棲まう洞窟のような典型的なイメージが浮かぶ。冒険者というからには向かうべき場所があるはずだ。
アワブチと名乗った男は、銀髪の姉妹越しになおも永一を見つめる。
「冒険者ギルドには、俺を含めて六人のタカイジン……日本人がいるよ。ま、魔物の相手で基本的に半数はホシミダイから出払っちゃいるけど。仕事だからさ」
「なんだ、要は冒険者っていうのは派遣されて魔物を処理する係ってことか?」
「察しがいいな、そういうことさ。ははっ、もしかして悪の親玉からさらわれた姫を救い出して、みたいなのでも想像したかな? 残念ながら現実はただの仕事屋さ」
「そこまでコテコテじゃないっての」
しかし永一のイメージは、やはりイメージだけに終わるようだった。
平野で目が覚めて襲って来た魔物。ああいうものを、現地に向かって退治するのが冒険者ギルドとやらの役目らしい。
(……なら、シンジュとコハクの時は? わからないな……あまり深い事情は聞いていない)
セレイネスなる部族の出。だが、姉妹を残して魔物に滅ぼされた。
間に合わなかったのだろうか。彼女らのいた地がどこか永一は知らないし、そもそもこの
永一の疑問も露知らず、姉妹はどこか警戒をにじませてアワブチを近寄らせまいとしていた。
「ただそんな俺たちにも、螺旋迷宮を踏破する使命がある。いずれ、このラセンカイを魔物の脅威から解放するために」
「派遣だけが仕事じゃない、か」
「そうとも。本部はここから遠くない、よかったら今からでも——」
「いえ。申し訳ありませんが、既に予定が入っております」
「またの……機会に」
アワブチの述べた冒険者ギルドの使命は、姉妹の目的と一致した。だから永一はいささか興味を引かれ、話次第ではそちらを頼ることもできるのではないかと安易に考えた。
だがシンジュとコハクは両側から永一の腕をつかみ、そのまま引っ張ろうとする。強引に話を断ち切るつもりなのは明らかだ。
「ちょ、なんだ急に。引っ張るなシンジュ、コハクっ」
「ギルドに案内されていては、日が落ちてしまいますので」
「……真っ先に迷宮、という話……でしたので」
両側から耳元で囁くように言うと、姉妹は息ぴったりに永一を引きずる。
——ギルドに不信感でもあるのだろうか?
アワブチとはわずかに言葉を交わしただけだったが、永一はどちらかと言えば誠実そうな印象を覚えていた。
しかし信用しきれないのも確かだ。過ごした時間は同じように多いとは言い切れないが、どちらを信じるかと問われればこの姉妹を信じたい。助けてもらい、目的ありきとはいえ常識を授けこの町まで連れてきてくれた恩もある。
「わかった、わかったから引っ張るのはやめろ! くっつくな! 特にコハクっ、当たってるんだよ色々と!」
「エーイチ様、その発言はワタシには当たるものもないという意味でしょうか? 意味なのでしょうか?」
「あっ、そこ地雷なんだ……」
妹より平坦なことを気にしていたのか、シンジュはことさらに腕に体を押し付けてくる。
骨のごりっとした感触がした。永一は性的な高ぶりよりも先に同情を覚えた。
抵抗虚しく、ずるずると運ばれる。永一もそれなりに筋肉には自信のある方だったが、姉妹二人は見た目以上に力強かった。全力で暴れればほどけるだろうが、そこまですると怪我をさせてしまいかねない。
永一は身をゆだね、周囲の町のひとは奇怪な光景に胡乱な目を向ける。
「どうやら嫌われてしまったみたいだ。残念だよ、これもなにかの縁だし君をギルドに誘いたかったんだけど」
すれ違いざまにアワブチはそう言って、再度肩をすくめる。それから振り返り、ようやく永一ではなく銀の髪の姉妹を意識し、その背に声をかけた。
「セレイネスの生き残り。もし君たちが復讐を願い、迷宮に挑もうとしているのなら、いますぐその考えは取りやめて故郷に帰れ。これは俺からの忠告であり、警告だ」
氷のような声色。
黒い眼差しに、面と向かっては見せなかった冷やかさが静かに浮かんでいた。
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