彼女の声が可愛いことを僕だけが知っている

田中勇道

彼女の好きなもの

 僕の通う学校にはとある女子生徒がいる。学年は同じだけどクラスが違うので名前は知らない。でも学校内では「無口の図書委員」というあだ名で知られている。噂では彼女と会話した生徒はほとんどいないらしく、不気味に思っている生徒もいるとかいないとか。

 放課後、僕は図書室で勉強するのが日課になっている。放課後に来る生徒は僕しかいないので勉強するには快適な環境だ。

 図書室のドアをガラリと開けると、受付にひとりの女子生徒が本を読んでいた。いや、本を開いているだけで実際に読んでいるかはわからない。

 彼女は僕に気付くと、本を下げてその顔を見せた。眼鏡をかけていて髪は黒のセミロング。言い方は悪いけど見た目は地味だ。でも、僕は彼女に好感を持っている。その大きな理由は彼女の声だ。


「こんにちは」


 透き通った声。とても穏やかで音フェチ兼声フェチの僕にはたまらない。アニメのキャラで例えると「氷菓」の千反田えるかな。わかる人にはわかると思う。


「今日も勉強ですか?」


 僕は頷く。相変わらずきれいな声だ。


「そうですか。毎日偉いですね」


 謙遜すると、彼女は穏やかな声で言った。


「謙遜しなくてもいいです。あなたのような努力ができる人、私、すごく尊敬します」


 鼻が伸びそうになるのを抑えて僕は鞄を開いた。ノートを開いて、筆箱からシャーペンを取り出す。


「ところで、今日は何の勉強ですか?」


 古文と現代文だと答えた。


「古文と現代文ですか。私は古文の歴史的仮名遣いが苦手です」


 彼女はどうもオウム返しをする癖がある。多分、話の整理をするためだと思うけど。そのままの流れで現代文も訊いた。


「現代文は小説をよく読むので少しはできます」


 小説が好きなんだ、と言うと、彼女は頷いた。


「はい。小説は好きですよ。小説は文字だけですから、同じ文章でも読者が思い浮かべる描写は人それぞれ。よく、SFにパラレルワールドという言葉が出てきますけど、小説はそれに似ていると思うんです。漫画やアニメはすでに絵が完成されていますけど、小説は絵がありませんから、登場人物の顔や声は読者の好きなように想像できる」


 思想家のように語る彼女の目はとても活き活きしている。


「だから、情景描写や人物の顔は何度でも変えられる。これが小説の強みだと思うんです」


 そう力強く言て締めくくった。


「す、すみません。急に長々と話してしまって。私、完全に勉強の邪魔してますね」


 かと思ったら急に声が弱弱しくなった。どうも彼女は感情の起伏が激しい。僕は謝る必要はないと言って、最後にひとこと付け加えた。


「私の話が勉強よりも有意義……? あ、ありがとうございます」


 照れながら話す彼女はなんか可愛い。


「私は幼い頃から物事を難しく考える癖があって、両親からは『もっとシンプルに考えたら?』ってよく言われるんです。それができたら苦労しないのに」


 彼女らしいな、と思ってつい笑ってしまった。


「な、なんで笑うんですか。他人事ひとごとみたいに。実際、他人事ですけど」


 不服そうに彼女は抗議する。と、彼女は「こほん」とわざとらしく咳払いした。


「ここは図書室ですからね。静かにしないと」 


 僕は誰もいないことを指摘する。


「確かに人はいませんけど、図書室は読書や勉強をする場所であって話をする場所ではありません。あなたも勉強するためにここに来たのでしょう? 古文と現代文でしたよね」


 それはそうだけど、勉強はどこでもできる。


「え、今日はいいんですか……私と話? 一体なんの……本ですか。まあ、それならいいでしょう。……気が変わるのが早い? それは、あなたが話をしたいと言うから……というか、あなたも人のこと言えないでしょう」


 いつもこんな感じじゃないか、と僕が言うと彼女は口ごもる。少し言い過ぎたかも知れない。


「確かにいつもこんな感じですけど、あなたと話していて退屈はしないので仕方なく相手をしているだけです」


 そう言う彼女の頬は赤い。なんともわかりやすい。僕が勉強道具をしまうと、彼女は受付から移動して僕と反対側の席に座った。


「それでは何から話しましょう。本とひとくちに行ってもたくさん種類がありますけど。……小説? わかりました。では、好きな小説のジャンルを訊きましょうか」


 僕は少し考えて、ミステリーにした。


「ミステリーですか。私はあまり読まないので詳しくはないんです。あ、でもエドガー・アラン・ポーと江戸川乱歩は響きが似ていたのですぐに覚えました。先に断っておきますけど、だじゃれのつもりで言ってはいませんよ」


 本気でだじゃれだと思っていたけど、違うらしい。


「では私の番ですね。私が好きなのは恋愛小説です」


 女の子らしい回答だった。


「やっぱり、って顔してますね。私は恋愛小説が一番イメージしやすいんです。物語を読んだときの主人公の心理とか、ヒロインの表情がリアルにイメージできる。つい感情移入して泣いたこともあります」


 恥ずかしそうに言う彼女はとても楽しそうで、僕も楽しい気持ちになる。僕は気になって内容を訊いた。


「泣いた作品の内容ですか? すみません、ネタバレになるかもしれないのでここは秘密にしておきます。小説はこの図書室にあるはずなので探してみてください」


 探すには情報量が少なすぎる。


「そうだ。せっかくですから、お互い質問し合うのはどうでしょう。私から一方的に話してますし。ただし、質問はお互い三回までにします。図書室なので、できれば本に関する内容が望ましいですけど、あなたの好きなようにして構いません。私もそうします。よく考えてから訊いてくださいね。ルールはこれでいいですか?」


 彼女の提案にケチをつける気はない。僕はすぐ受け入れた。


「OKですか。では、あなたからどうぞ」


 さっきの本が頭をよぎったが、はぐらかしてきそうなのでやめた。結局、僕の質問は……


「私の趣味? あの、説明聞いてました? 質問三回までですよ。そんなわかりきったものでいいんですか?」


 戸惑うのも無理はないだろう。でも、僕は単純に確認がしたかった。


「まあ、あなたがいいなら止めはしませんけど……わかりました。私の趣味、そんなの訊かなくてもわかっているでしょう? なんなら、あなたが代わりに答えてもいいですよ」


 なんかクイズっぽいな、と思いながら僕は答えを言う。


「読書ですか。やっぱりそう思いました? でも違います」


 正解だと思っていたので驚いてしまった。彼女は悪戯っぽく笑う。してやったりと言わんばかりの表情だった。


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