解かれた封印
ルーディが設置した機械のスイッチを一つずつ入れていく。駆動音などは聞こえないが、元からこの地下神殿には低く唸る音が響き続けている。搔き消されているだけだろう。
望遠鏡に似ているパーツが四方向から光を照射し、ただでさえ輝きまくっているテッセラクトをさらにライトアップした。すると、人間には認識できない四次元の動きを見せていたテッセラクトが、縫い付けられたようにビタっと空中で静止する。
固まったテッセラクトにルーディが近づく。軽くノックすると、触れることが出来ないはずのテッセラクトが無機質な音を立てた。
「実体化したわね。じゃあ忍、ガントレットをかざして」
「こうか?」
「待って!!」
ガントレットを装着した右手をテッセラクトに伸ばす忍の背中に、ゼノビアが叫んだ。忍は止まらかったが、160センチ前後の身長で地上2メートルに滞空した物体には手が届かない。
だがゼノビアがホッとする間もなく、忍は軽く跳躍してテッセラクトの上に跳び乗ってしまった。
テッセラクトの表面に触れるや、ガントレットの拳部分のシャッターが左右に展開。中にあった陰陽マークに似た環状機関が露出して回転を始めた。
「お、おお! なんか動き出した!!」
「じゃあそのまま。2〜3分もしないで終わるから」
「……何が始まるってのよ?」
手が空いたからか、ルーディがようやくゼノビアへと振り向いた。つね通りの無表情のようだが、ゼノビアにはなぜだか強張っているように思えた。
「テッセラクトは3次元空間には存在しない物質です。時空間を隔てた四次元空間の虚像が投影されているだけに過ぎません。ですが、この装置はテッセラクトを3次元に固定して干渉可能にし、ガントレットで――」
「あ、あのちょっと待って! 専門用語が多くてよく分からないのだけど!?」
「ご安心ください。この場の誰も理解しておりません。説明書があったので操作出来ているだけです」
「つ、つまり何が起きてるか誰も分かってないのね!? 色んな意味で大丈夫!? 主にお前らの頭とか!!」
毒づくゼノビアが暴れるので、アンゼリカは彼女を拘束する髪の力を強めた。物理的に縛るだけでなく、魔法陣を展開しようと発した魔力も大気中に霧散させてしまう。
ゼノビアに出来るのは、せいぜい言葉で痛いところを突くだけだ。
「そんな悲しそうな顔をしないでください、姫様。直に最高のショーが特等席で観られるのですから。何も知らず、城の崩落に巻き込まれて死ぬよりは有意義でしょう?」
「あなたも……大魔王を蘇らせてどうしたいのよ、ルーディ! アンタが一番理由が分からないわ!!」
「ただの仕事です」
「仕事って……国が滅びたら報酬もボーナスもないじゃない! そこまでしてお兄ちゃんに従う……あ、ひょっとして!」
「姫様、そろそろお静かに。あの方がご降臨なさいます」
何事か思い当たったゼノビアに、ルーディは口許に人差し指を当てて黙るように促した。
テッセラクトの輝きが急速に衰え、同時に風船が萎むようにガントレットの環状機関に吸い込まれていく。乗っていられなくなった忍が飛び降りても吸収は続いた。
やがて巨大だったテッセラクトは、一片残らずガントレットに収まって消失してしまった。
それと同時に地下神殿に響いていた駆動音も停止したが、不思議と出所不明の光源までは消失せず、フロアは明るいままだった。
「すっげ……。どうなってんだ、これ?」
手の甲で回転を続ける環状機関を眺めて、忍が呑気に呟いた。その背後の空間に、突如として亀裂のような筋が走った。
否。それは正しく亀裂だ。耳に触る音を立て、何もない空間が圧力を掛けられたガラスのように亀裂が走る。
「忍、下がって!!」
ボーッと突っ立っている忍にルーディが呼び掛けた、次の瞬間だ。亀裂が向こう側から弾け飛び、発生した衝撃波をモロに後頭部で受けた忍がふっ飛ばされてしまった。
「ほげーっ!?」
忍はマヌケに叫びながらエレベーターまで床と水平に飛んでいき、ゴンドラを粉砕してシャフト内部へ落ちていった。
その間にも空中に生じた孔の向こう側――一切の光が射さない漆黒の暗闇から、闇そのものが固形化したかのような存在が顕現する。
ねじ曲がった二本の角に禍々しい顎髭を傭えた獣の頭部を持つ、黒いオーラを纏った人型だ。全身の肌は毒々しい暗い緑色、見るからに恐ろしげな怪物……なのだが。
「あれ? ガルバトロス様、なんか痩せてない?」
アンゼリカが能天気に指摘するが、現れた大魔王は痩せたとかそういう問題ではない。完膚なきまでに干乾びたミイラだった。
窪んだ眼窩、骨に皮膚が張り付いただけの体に、枯れ木のような手足。翼はあっても骨格だけだ。纏った黒いオーラは切れかけの電球よろしく点滅していて威厳がない。
見た目からしてボロボロだが、何よりも対峙してみての威圧感などが皆無なのだ。電車で目の前にいたら思わず席を譲ってしまいそうなほど弱々しい。
「な、なんだこれは……この朽ちかけた死体が大魔王だと!? 魔力もほとんど感じられんではないか!!」
そう言って頭を抱えたグレンに、大魔王は顔を上げ、ただの孔となった眼を向けた。
『……そりゃお前さん、千年も飲まず食わずで封印されてたら干乾びるに決まってるだろう。死ねないって辛いんだぞ……』
しゃがれた大魔王の声には、何とも言えない哀愁が含まれていた。
ゼノビアとアンゼリカは共に「あちゃ〜」と言葉を失っていた。変わらぬ済まし顔なのは、ルーディ一人だけだった。
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