術の基本はあいうえお

 宿場町の生活水準は前述のように意外と高い。自動湯沸かし器だとか、スイッチひとつで作動する灯りなど、少なくとも近世以降の利器がいくつも見られる。

 これらの動力は電気ではなく、五行術を応用した魔導力機関だ。

 だがしかし。だからといって王族専用の移動車両が、巨大なキャンピングカーだなどとは予想がつかなかった。カルディナ王国ではもう、自動車が実用化されているのだ。

 ゼノビアが目覚めて四日目。忍を乗せたキャンピングカーと王族護衛車は、整備された街道を王都に向けて走っている。徒歩で数日、馬でもニ〜三日の距離を、自動車なら一日で走破してしまえた。


「結構速いのね〜。てっきりまだ、馬車でも引いてるのかと思ってたぜ」


 キャビンの窓を高速で流れる景色に、忍も思わず唸る。初対面では剣と鎧なんて装備しているから、文明レベルもせいぜい中世ヨーロッパかと思っていたのに。あの格好は半分は儀礼的なものだったそうだ。

 その一方で、長距離通信技術についてはまったく発展していない。大気中に満ちている魔力粒子が電波を遮断し、極めて短距離としか交信できないのだとか。

 大規模な都市には有線の電話回線が引かれているが、都市の外とは繋がらない。遠方への通信手段は、伝書鳩や飛脚がほぼすべてだ。


「景色ばかり観ていないでください。文字を教えろと要求したのはそちらですよ?」

「すんません、ルーディ先生!」


 やんわり嗜められた忍は、幼児向けの国語(カルディナ語)教材が展開されたテーブルに向き直った。

 町を散策中に看板の文字が読めなかった忍は、うっかり――飽くまでもうっかり大人の男性が好む風呂屋へ入りそうになり、ルーディにドロップキックを喰らわされた。

 会話については謎の力で相互理解が可能な為に不自由していない。しかし読み書きは全く別問題だ。今後もそんな失態(言い訳)を繰り返さぬよう、急遽ルーディ主導の勉強会を行うこととなった。


「では次の文章を読み上げてください」

「はいセンセ。……『ネコと和解せよ。さすれば汝の憂いはキャット晴れるであろう、ワン』」

「よろしい。今のはカルディナの国教『アプラニス・アステラ』の経典の一節で、試験でもよく引用されます」


 勉強開始三日目だが、忍はすでに現地人でも難しい言い回しをスラスラ読めるようになっている。横で見ていたグレンとゼノビアも、揃って「意外と頭は良いんだな」と無言で感心していた。

 実際に忍は、まともに学校に通っていた時分(といっても小学五年生までだが)には、全国屈指の難関私立校において、特進クラスの成績上位者だった。


「文法が日本語と変わらねえからな。正直、単語さえ覚えりゃ英語よりずっと簡単だぜ」


 と言い切るぐらいで、ルーディも教え甲斐がないとボヤいている。

 ところで、堪え性のない忍が大人しくルーディに師事を受け、文字の練習をしているのは、何も生活に困るからだけではない。文字を覚えた先こそが真の目的だ。


「そんでさ〜、ルーディ先生? そろそろ魔法についても教えてくれていいんじゃないかな〜?」

「魔法ではありません、五行術です。魔法は何でもありの創作物ですが、五行術は体系立った立派な技術ですから」

「おっと。そうそう、五行術な。もっかどごんすい」


 ワクワクを隠しきれていない忍だが、ルーディは移動の片手間で教えられるものではないと首を振る。忍はがっくり項垂れた。


「まあ基礎の座学ぐらいでしたら構いませんけど。大人しく聞いてくれます?」

「聞く聞く! 先生の授業ならなんだって聞いちゃう!!」

「現金なヤツ……」


 呆れるゼノビアを余所に、忍がテーブルの上を一旦片付ける。そこへルーディが大きな五芒星の画かれた図面を広げた。地球でも同じものが見られるであろう、木火土金水の相克図だ。


「そちらの世界にも五行思想があるようですね。概念も似通っているなら、違うのは『術』として成立しているか否か、でしょう」


 ルーディは忍に向けて手をかざして、掌にオレンジ色に輝く幾何学模様の魔法陣を浮かべて見せた。晴れた日の黄昏の色だ。


「五行、つまり木、火、土、金、水の五属性を根幹とする事象制御術が『五行術』です。自らの魂や肉体に根付く不可視の力を、現実に作用する確かなパワーとして出力します」

「ようは『気合い』ってことか?」

「気合い……そうですね。気合いで火を起こしたり、水を生み出したりするのが五行術の本質です」


 術の話になった途端、ルーディは目に見えて饒舌になっていく。無表情なのに、どことなく活き活きしているようだった。


「使える術の属性は個人の資質に依存します。わたしは火に強い適性がありますが、一方で火が苦手とする水属性と、火を苦手とする金属性がほぼ扱えません。ですが金を苦手とする木属性であれば、火属性が金の力を抑え込むのでそこそこの適性があります。術を身につけるには自身の属性と、相克関係を頭に叩き込まねばなりません」

「へえ。つまり弱点になる属性と、追い風になる属性とがあるのか。んで、それは生まれついて決まってる、と」

「その通りです。もっとも資質の反属性だから全く扱えない、なんてことはありませんが」


 ルーディは人差し指を立てて、指先に小石サイズの青い魔法陣を作った。先日のディランが使った雷の色と比べて明るく、そのままズバリ水色の輝きだ。

 それは水属性の魔法陣だそうだ。適性の無いルーディでも、飲料水を作る程度の術なら使えるらしい。


「生物に限らず、万物は五行によって成り立っています。炎の中にも水はあり、木は土によって育まれる。忍の資質はまだ分かりませんが、あなたの中にもこの力は宿っています。ただ」

「? ただ、なに?」

「忍。あなた、この魔法陣が出せますか? いえ、陣でなくても魔力を体外に展開できますか?」

「出来るわけねーだろ。人体はな、光ったりビーム出したりするようには……え、みんな出来るの?」


 忍が振り向いて尋ねると、グレンは赤茶色の魔法陣を右手に、ゼノビアは翠と水色で二色の魔法陣を両手にそれぞれ展開させた。

 五行術の第一段階は、体内の魔力で魔法陣を描くことなのである。

 無論、地球出身の忍はそのような技能を持っていない。せいぜい山奥で出会った謎の老人から波動弾を喰らった経験があるぐらいだ。


「優れた術師ほど魔法陣を複雑に描けて、より高等な術の行使が出来んのよ。こんな風にね」


 得意満面なゼノビアは、翠の魔法陣の幾何学模様をガチャガチャ動かし、見ていて目が痛くなるような繊細かつ複雑怪奇な文様に変えてみせた。

 何がすごいって、離れて眺めたらゼノビア本人の自画像になっているのがすごい。文様ではなくモザイク画だった。


「ま! こんだけやれるのは類まれな資質と才能のあるアタシだから〜、だけどね。回復術でアタシの右に出るヤツなんて、国内にはいないんじゃないかしら。知らんけど」

「その才能をひけらかして殺されそうになってりゃ世話ねーぜ」

「殺そうとしたアンタが言うんじゃないわよ!!」


 目を三角に睨んでくるゼノビアを軽く流して、忍はルーディへ向き直った。

 グレンがあんな目に遭ったのに平然と忍と絡む妹を、まるで新種のイナゴでも発見した顔で見返していたが、誰も気にしていない。

 ルーディの講義は続く。


「単純な円や図形を描く程度なら、10までしか数を数えられない子供にも可能ですが……忍にはまず、体内の魔力を感じ取る訓練が必要ですね」

「どうやってだよ?」

「そこが難しいんですよね、なにしろ感覚的なものですから。幼児期に歩き方や言葉と同じく、自然と身に着けていくものですし」

「ほ〜。歩き回ったりは誰でも出来るが、速く走りたかったら訓練が必要って話か」

「ええ。とはいっても、繰り返しますが生命体……もう少し専門的な話になりますが、魔力の源泉となる『魂』を持つものならば誰にでも五行術は扱えます。事実、五行術を使う魔物だっていますから」


 そう言われれば、あの知能が芳しくなさそうだった赤鬼(後で知ったが、指名手配モンスターだったらしい)でさえ、武器に炎まとわせる際に魔法陣を展開していた。アレにやれてオレにやれないことはない、忍は根拠はないが確信した。


「次は『そもそも魔力とは何か?』を説明したいと思いましたが……そろそろ到着のようですね。続きはまた今度」

「え〜。……今度っていつ?」

「あなたが勝手に消えたりしないなら、明日からでも構いませんが」

「ぬぅ……分かったよ、チクショウめ」


 つまらなそうに頬を膨らませつつも、忍はルーディに頷いた。

 すっかり忍の扱いを心得てしまったルーディの手腕に、グレンとゼノビアも感服するばかりだった。

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