魔物と化け物

 宿場町と隣接する形で広がる森は、地元民の生活の糧を得る場所だった。だが少し前から凶暴な魔物が隠れ潜む危険地帯となってしまい、王国軍や冒険者が何度か掃討作戦を行っている。

 地球でもそうだが、狩りというのは常に自分が狩られるリスクを背負う。熟練したハンターであればこそ、森へ入るなら事前の入念な準備や体調の管理は怠らない。

 だが、この少年は違った。

 肉体的にはやたら蠱惑的なグラマー美少女となってしまったが、ともかく。忍は空手着一丁で武器すら持たず、晒しを巻いただけの素足で森の中を悠然と進んでいた。分厚い足の裏に小石も枝も刺さらないとはいえ、自然をナメるにも程がある。


 出発したのが遅い時間だったので、辺りはもう完全な暗闇に沈んでいた。鬱蒼と茂る森には星灯もほとんど届かない。しかし忍の歩みに迷いは無かった。

 研ぎ澄ませた五感の全てを用い、微かな視界を補って周囲の様子を探っているのだ。

 忍が森に入ったのは、ほんの一時間ほど前。村娘が森のゴブリンに拐われたという知らせが入り、これは面白そうだと一人で森に突入した。

 当然グレン達が止めようとしていたが、乱暴に振り切った。


 ゴブリン……ファンタジー作品ではお馴染み、人間の子供程度の体格だが、徒党を組んで武器を持ち、数を頼りに獲物を狩る。大群に囲まれると厄介というのが、大体の作品に共通する特徴だ。

 家庭用ゲーム機に縁のない忍でも知っているほど、その存在は地球においてテンプレートな雑魚敵だった。


「へっへっへ! 異世界最初の対戦相手としちゃ、ちょうどいいんじゃねーの?」


 全身から殺気を滾らせながら、忍は一人で暗闇を進む。危険は百も承知だが、闘争本能を抑えられなかった。

 拐われた娘について忘れているワケではないが、優先順位は正直言って低い。生きてるうちに見つけたらラッキー程度の認識だ。


「そういや……女の子といえば、オレと融合しちまったって子はどうなったんだ? まだオレの中にいるのかな?」


 ふと融合した女性について考え、忍の意識が外部から自分の内面へ移った。その一瞬の隙を突き、遠方から一迅の矢が放たれる。

 狙いは忍の右前頭部から左後頭部を射抜ける位置を正確に捉えていたが、逆にその正確さが仇となった。

 直撃寸前で矢を掴んで止めた忍は、飛んできた方向へ飛んできた以上の速度で投げ返したのだ。

 およそ80メートル先から、グェェというカエルが潰れたような断末魔の悲鳴が届く。


「いけねえ、いけねえ。夜の森で余所事に気を割かれるとは、オレとしたことが。へっへっへ!」


 自省しているようでいて、忍の意識はもう、ゾロゾロと姿を現した子供ぐらいの背丈をした小鬼の集団に向いていた。

 醜悪な豚面をした直立二足歩行するゴブリンは、知能は低く粗暴だが手先が器用だ。それぞれハンドメイドらしい原始的な武器を装備している。その数、姿を見せていないのも含めて8体だ。


「おこんばんは〜。言葉は分かる〜?」


 忍が挨拶すると、ゴブリンが一斉にギャアギャアと喚き散らし、武器を振り上げ襲いかかってきた。


「オーケー、通じねえみたいだな。じゃあ遠慮しねえぜ!!」


 通じたところで遠慮などしないだろうに。

 言い終えるより先に背後から飛び掛かってきた一匹を、裏拳一発で頭部を粉砕して沈める。続けて手近なもう一匹にも殴りかかった。

 ゴブリンが棍棒で拳を防御されたが、忍は構わず木製の棍棒を圧し折り、そのまま頭蓋骨までかち割わって絶命させた。

 そこへ樹上から三匹目が強襲。飛び掛かってきたのをカウンターの上段足刀で蹴り飛ばし、流れるように背後から来た四匹目の首を後ろ回し蹴りでへし折った。

 五匹目、踏み込んでからのゲンコツで頭を胴体にめり込ませて撲殺。

 続く六匹目は強めのチョップで首を刎ねる。

 七匹目は乱戦に乗じて矢を射掛けるなど頭を使ってきたが、最初の一匹目と同じく掴んだ矢を投げ返して即死させた。

 そして瞬く間に仲間を全滅させられた最後のゴブリンは、武器を放り捨てて脱兎のごとく逃げ出していった。


 だが彼を待ち受けていたのは、上空から高い木々の枝をへし折って降ってきた巨大な影によってぺしゃんこにされるという、痛ましい最期だった。


「ウガァァァァァッ!!」


 大木と見紛うばかりの巨躯が、暗闇の森にその存在を示して咆哮する。


「隠れてた割には大物じゃねえか」


 巨影が放つ威圧感に、忍は思わずニヤけてしまう。思い出すのは北海道の山中で遭遇したヒグマだが、こいつはそれよりさらにデカい。

 圧倒的な存在感を放つのは、常人の倍に迫る大鬼である。

 身長は3メートル以上、固太りだが筋骨隆々の肉体には虎っぽい獣の皮を着込み、木をそのまま引っこ抜いたような棍棒を担ぐ姿は、日本人が連想する赤鬼に近い。実際に額には二本角が、顎の張り出した大口には鋭い牙が生えていた。


「小娘! よくもオデの子分を殺したな? 大したモンだぜ、ぶははははっ!!」


 赤鬼はビア樽腹を豪快に揺すり、胴間声でガラガラ笑う。その言語も明らかに日本語ではないが、不思議なことに忍には理解できた。


「ボスだけあって話せるのか、あんた?」

「ぶははは! オデ達オーガをゴブリンと一緒にしちゃいけねえよ。腕っぷしも頭の巡りも、人間とサルぐらい違うねぇ!」

「へぇ。じゃあ強いんだ?」

「もちろんだとも。ほれっ! 《火術》ファイアアロー」


 右手に棍棒を構えたまま、赤鬼は左手を忍に向けて突き出した。掌の中央に幾何学模様の魔法陣が浮かび、そこからバスケットボールサイズの火の玉が低速で撃ち出される。


「おっ!」


 忍の足元に着弾した火球が爆裂し、腰辺りの高さまで届く炎が燃え上がる。暗闇の森がオレンジ色に照らされた。


「どーだべ! ゴブリンにゃあ使えねえけど、五行術だってこんなもんさ」

「これが魔法ってヤツか。初めて見たぜ」


 前の世界でも、忍は魔術結社や黒魔術会と戦った事がある。しかしいずれもトリックを用いる奇術師ばかりで、本物の「魔法使い」は一人もいなかった。

 グレンは当たり前のように「召喚魔法」やら「聖女の魔力」やら口にしていたので、あるんだろうなとは考えてはいた。初見が人外の怪物とは予想外だったが。

 いずれにしろ、忍の瞳は初めて目にする現象に爛々と輝いていた。


「まさかコケ脅しじゃあねーよな、赤鬼さんよ?」

「ぶはははは! 恐れ知らずな娘っ子だがね。気の強いオナゴは好きだべ!」

「気が合うね! オレも女の子は強気な方が好きだ!!」


 性癖を打ち明けつつ、修羅の拳と赤鬼の棍棒が交錯した。

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