小さな読み聞かせ童話集
Hiro Suzuki
第1話 あーちゃんのレモン水
☆スパゲティ屋さんへ行く
ある6月の日曜日、朝から青いピカピカのお空でおひさまは、にこにこしていました。小さな女の子、あーちゃんが2歳のお誕生日だからです。
あーちゃんはお母さんとお父さんに連れられて、お祝いをしてもらいに、おうちの近くにある海の見えるスパゲティ屋さんへとやってきました。お店のお兄さんは、「あーちゃん、こんにちは」と言ってテラスの席にみんなを案内してくれます。
まずはお母さんとおててを繋いで元気よく歩くあーちゃん、そしてお父さん、とテーブルへと向かいました。
☆あーちゃんの席
お母さんは、あーちゃんのために準備された椅子を自分の椅子のそばへと引き寄せて、あーちゃんをお座りさせてあげました。そして、お母さんが自分の席に座ろうとしました。
すると、あーちゃんは、「ノン、ノーン」と笑いながらおててをお口に近づけて、人差し指を横にふります。
ノン、ノーンはあーちゃんの「イヤ」のサインです。
あーちゃんは自分の思いをそうやって伝えることを半年くらい前から覚えたのでした。
ノン、ノーンと言うと、おとなのひとたちがみんな笑います。
ノン、ノーンと言うと、あーちゃんの気持ちがお母さんに伝わります。
ノン、ノーンと言い続けていると、時々、お母さんは、ノン、ノーンと返してもくれます。
あーちゃんは少しずつ、おしゃべりで気持ちを伝え合えるようになってきたのでした。
その日も、あーちゃんは、「ノン、ノーン」と言ってお母さんがあーちゃんを椅子に座らせたあと人差し指を一生懸命振ったのでした。
お父さんはあーちゃんたちと向かい合わせになった椅子に座っています。あーちゃんはお父さんの方を指差して、お父さんの近くに座りたいと、一生懸命におしゃべりしました。
お父さんは日曜日しかあーちゃんたちとお昼ごはんを食べれません。
だから、あーちゃんはお父さんのそばに座って食べてみたかったのでした。
お母さんは、そうとは気づかず、「ノン、ノーン」とあーちゃんの真似をして、あーちゃんを椅子に座らせようとします。
あーちゃんはついに泣き出してしまいました。
お父さんが見かねて、あーちゃんを抱っこしてあげると、あーちゃんは、お母さんの方を向いて「ノン、ノーン」とにこにこしながら言います。
お母さんは、「あーちゃん、お食事のときはお座りしないとダメよ」と言いながら、あーちゃんをお父さんから受け取ろうと立ち上がりました。
すると、あーちゃんは、お父さんにしがみついて、「パパ、パパ」と言いました。
☆お母さんの涙とお父さんのハの字眉
「あーちゃん、それならもう、ママはあーちゃんとお座りしないからね」と、お母さんはお父さんを見ながら言いました。
お母さんのきれいな目から涙が溢れています。お母さんは、最近ずっと昼間、ひとりであーちゃんをおうちのことをしながら、見ていました。そして、お母さんのお父さん──あーちゃんのおじいちゃん──の国では戦争も起きていました。お母さんは疲れていました。それで、あーちゃんがお母さんの方ではなくてお父さんの方に座ろうとしたことが──いつもならなんでもないことも、ショックだったのです。とうとう、お母さんの頬に、ポロポロと大きくてきれいなしずくがこぼれました。
普段、お母さんに抱きつくばかりのあーちゃんに抱きつかれて、お父さんは嬉しくもあり、お母さんが泣いてしまって悲しくもなり、ふたつの気持ちで眉毛がハの字になっています。お父さんは、お母さんがどうして泣いてしまったのか、よくわかりませんでした。あーちゃんがお母さんよりお父さんを選んだからでしょうか?それとも、お母さんに協力してあーちゃんを自分の椅子に座らせようとしなかったからでしょうか?それとも、お母さんが上手には説明することのできない寂しさを募らせたからでしょうか?お父さんには、その時、お母さんをわかってあげることができませんでした。だから、お父さんは、「子どもと一緒になったらダメでしょ」と言いました。お母さんは、ただ悲しそうにお父さんを見て涙が止まらなくなってしまいました。
☆おとなのコップとあーちゃんのコップ
お店のお兄さんが、お水の入った透明なガラスのボトルとコップを3つ持ってやってきました。ボトルにはいくつかレモンのスライスが入っています。
お母さんは、あーちゃんをお父さんから受け取ろうとするのをやめて、椅子に座り直し、あーちゃんのために、あーちゃん専用の取手のついたコップを出してあげました。
「あーちゃん、少し暑いからお水飲もうね」と言って、あーちゃんの取手付きのコップにお水を入れてあげました。あーちゃんは、また、「ノン、ノーン」と言って、コップを押し返します。あーちゃんも、お母さんやお父さんと同じコップで飲みたかったのでした。
こんどはお父さんが、お母さんと同じように「ノン、ノーン」と言いながら、あーちゃんのコップをあーちゃんに持たせようと頑張ります。
あーちゃんもみんなと同じコップを使おうと頑張ります。そんなふたりを見て、お母さんは笑ってしまい、おひさまもお母さんの涙を乾かしてあげました。
海の方から潮風が優しくみんなを撫でていきます。
トンビたちが時々、ヒューヒュルリラと歌いながら高く高く舞っています。
☆カエルくんと地球の傾き
どこからか、みどり色の小さなカエルがお父さんのコップの中にザブンッと気持ちよさそうに水浴びしに入ってきました。カエルくんはオタマジャクシの頃みどりの国を出発し、旅をしている途中でした。
「やぁ、あーちゃん。暑いね。みどりの国からお花の国に行く途中なんだ。あーちゃんも来るかい?」突然、話しかけられて、あーちゃんは少しびっくりしました。「みどりの国もお花の国も、ケンカしたりイジワルなことをするおとなたちは居ないよ、一緒に行かないかい?」
あーちゃんは、少し考えます。
「暑いピカピカ?」
「お花の国はここよりは暑くないよ。
地球の軸が揺れて今は暑いのかも知れないし、おとなたちのせいでおかしな天気が続くのかも知れないし、よくわからないけど、ここは暑いね。
あーちゃんのお父さんがよくひっくり返ったカエルみたいになって休んでいるのを見かけるよ。
あーちゃんは泳いだことあるかい?」
「ノン、ノーン」
「地球の軸って21~24.5度の範囲でゆらゆら、だらだらと4万1千年かけてゆれてるんだ。ヒキガエルのじいちゃんがそう教えてくれたよ」
小さなあーちゃんには、まだ、地球のことも、地球の軸のことも、4万1千年の時間がどれほどの朝と夜の繰り返しなのかもわかりません。
「簡単に言うと、こうだよ。
地球は、おひさまに向かって、ほんの少しだけ斜めになってクルクルしながら、おひさまのまわりもクルクルしてるんだ。
あーちゃんがあと4万1千回おひさまのまわりをクルクルしてお誕生日を迎えられたらわかるさ」
「……」あーちゃんは、キラキラの瞳でカエルくんのお話をじっと聞き入っていました。
「今は23.4度なんだ、だからジャンプしてここに飛び込むのも少しその角度に合わせてスタートダッシュしたよ」
☆妖精ティンク
そこへ、海の国のいたずら好きな女の子の妖精、ティンクが潮風に乗ってやって来ました。
「あーちゃん、水の国にカエルくんとわたしと遊びに行かない?」
お父さんとお母さんにはティンクは見えません。ティンクは子どもにしか姿を見せたり話しかけたりしないのです。
お父さんのコップの中はよく見ると、とても広々としたプールになっていました。
あーちゃんはまだ一度もプールに行ったことがありません。あーちゃんは、大きなキラキラした目でプールの様子を一生懸命に見ながら、「ノン、ノーン」と言いました。すると、カエルくんが勢いよく水しぶきを上げて、平泳ぎでコップのプールを一周しました。
「そう、残念ね。じゃあわたしとカエルくんはひと泳ぎしたら帰るわね」
ティンクはそう言うと、コップのプールにザブンッと飛び込み、カエルくんと泳ぎました。
☆カエルくんたちの危機
あーちゃんは、お父さんとお母さんにカエルくんとティンクのことを教えてあげたくて、「ママ、パパ、ティンク」と言いながらお父さんのコップを指差しました。
「あーちゃん、おとなのコップじゃなくて、あーちゃんのコップで飲まないとこぼしちゃうよ」
カエルくんたちのことを知らないお父さんはそう言うと、コップを口元に持っていきました。
ティンクとカエルくんたちがこのままでは大変です。あーちゃんは、一生懸命に、「ノン、ノーン!」と繰り返し、ついには泣きながら訴えました。「パパ、ティンク!」お父さんは困り、お母さんは笑いすぎて泣いています。
そんなことにはお構いなく、ティンクはあーちゃんに「本当に一緒に泳がない?」と繰り返し聞きました。やがて、ティンクとカエルくんは泳ぎ疲れて海の国と旅の続きへとそれぞれに帰ってしまいました。
☆ティンクのいたずら
ティンクは帰り際、あーちゃんのコップにいたずらをしました。ボトルの中のレモンスライスを何枚かと、ハチミツと採れたてのイチゴ、そして氷をあーちゃんのコップに入れたのです。
あーちゃんの透明なコップに、おひさまがにこにこしてあげると、ひかりが降り注ぎ、カランと氷が気持ちのいい音を立てて喜びました。
あーちゃんも、そのきれいな色とりどりのコップのお水を見て喜びます。そんなあーちゃんを見てお母さんもにこにこしています。とっても嬉しそうなお母さんとあーちゃんを見て、お父さんも嬉しくなり、また眉がハの字です。
コップの取手を小さなおててでしっかりと握り、あーちゃんはレモン水をゴクゴクと飲んだのでした。
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