第6話

どれだけ書いても満足した気分にはならない。


ツイッターのようにこの媒体を使用している。


ただツイッターよりは少しだけ、ほんの少しだけ、本っぽく寄せているかもしれない。いや等身大過ぎて多分どの媒体でも同じように書いているかもしれない。


等身大で生きようと思ったのはいつからだろう。

きっと自分探しとかいう意味の分からない事をし始めた辺りからだろうと思う。

自分探しを粗方やってやっと気づいた。本当に自分を見つけた時、自分の人生や生き方をただ言語化しているに過ぎない、という事を。


自分の根底の価値観、自分の軸、判断基準、自分探しでは自分が自分らしく生きるために必要だと思うことを探し続ける。

勿論、就活などの面接で言語化する必要があるならばそれは正しい自分探しだと思う

ただこれから先どうすればいいんだろう、と考えて自分探しをしてもただの言語化に過ぎない。でもそれはなんとなく落ち着く行為だ。


自分はこんな希望を抱いているんだ。確かに良い希望だな。

そう妄想することは楽しいから。僕もそうだった。


でも実際その夢をかなえようと思う人間はほとんどいない。

叶えようと思っても次の日には忘れている。


それはそれほど自分の中で重要ではなかったからだ。


本当に重要なら自分探しをする前からやっていて当然だろう。

本当に重要ならそんな価値観にとらわれないだろう。

本当に重要な事なら本当に自分が重要だと思っている事なら、もう既に自分が行っている。


大事な事はなんだ。自分らしく生きる事だろう。

自分の軸に、診断された価値観に、判断基準に、

それらに囚われることは本当に自分らしく生きていると言えるか?


答えは自分で考えてほしいと思う。

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