第19話 若返りに効く薬毒

 深夜、閑散たる山道、凍えるほどの冷気、足下も暗く、視界を遮る霧と山道への侵入者の正体を知った獣たちがざわめく。

「大丈夫か、ハナ」

 と問うハヤテの声に彼の背中におぶわれている幼女が弱々しい声で、

「うん。ごめんなさい」

 と言った。

「何を」

「足手まといで」

「馬鹿な」

 とハヤテは吐き捨てるようにそれに答えた。

「足手まといなんかじゃないさ」


 幼いハナは寿命が尽きかけていた。


 ハヤテの性は鬼、現代社会ではお伽話の中でしかいないとされる鬼。

 生業は薬毒師、人間にはとても精製出来ないような薬を作り、そして売る。

 善か悪か、それはどうでもいい。

 ただ乞われれば売るだけの話。

 二千年も昔、まだ日の本の国に一人の女王が誕生した頃から鬼族はすでにそれを生業としていた。

 鬼達は面白おかしく素晴らしい薬毒を精製し、人間に売りさばく。

 それの結果は人間の思い通りになる時もあるし、破滅し買い主そのものが材料になってしまう時もある。

 それが鬼の生業。

 禁忌もあるし、掟もある。

 それさえ破らなければ長い長い鬼の一生は人間を駒に遊べる事が出来る。

 鬼は人間界に密やかに紛れ込み、中には人間として名を持ち暮らしている者もいる。

 鬼の能力で予言をしたり、政治まで操ってみたり、人間との間に子を成したり。

 鬼と人間の間の子は酷く性が悪い。

 癇癪持ちで性根が悪く、だが非常に精神は脆い。

 人間としての性根は鬼の悪気を保ちきれず、非道な行いに惹かれずにはいられない。

悦は悪、それ以外は無意味。

 まっとうな鬼よりも半端に鬼の血を入れた人間の方が残虐である場合もある。

 人でありながら人の言葉も心もなくしてしまっているのだ。 



 ハナは鬼のハヤテに拾われた人間だった。

 恐らく森に置き去りにされただろう人間の子を拾ったのが運の尽き、酒のつまみに喰ってしまえばよかったものを、ほんの気まぐれで育ててしまったのだ。子も鬼の毒気で早々に死にいたるはずが、何の因果か不思議に生き延びた。

 よちよちと後をついてくる幼児にさすがの鬼もそれを人形のように壊すことも出来なくなってしまい、娘のように育て始める。

 やがて娘は幼児から少女へ。

 さらに綺麗な娘へと成長していくだろうが、ハヤテの血で人ならざる身にはなったが、鬼の側にいるのは限界が来ていた。

 ハヤテは娘を愛おしく思うが、半分人間の身であるうちに死なせてやらねばならないと思っていた。半分人間ならば、また人の世に生まれ変わることもあるだろう、と。


 時は明治時代、貧困故にハナが捨てられてから五十年が過ぎていた。鬼の血の作用でハナは幼女の姿のまま何十年も生きたがそれも効果が切れかけていた。

 このまま放っておけばハナは幼女のまま老衰で死ぬ。

 刻々と寿命が近づくハナを前にハヤテは決断出来ないでいた。

 人間の娘、と鬼達には馬鹿にされいじめられているハナは大人しい泣き虫の娘だ。

 鬼の里にいる時は鬼達が恐ろしくてハヤテの側から離れない。

 里へ置いておいても鬼達がハナを喰うことはないが、過剰ないじめに遭う事は絶対だった。だからハヤテが人間に紛れて薬毒を売る時もこうやって一緒に連れて歩く。

 ハナは小さな子供のまま過ごし、寿命が終わろうとしていた。



 巨木の下でハヤテはハナを下ろした。

 火を焚き、毛布を敷いてハナをその上で休ませてやる。

 ハナの身体は自分ではぴくりとも動かせず、ただ、横たえられた毛布の上で火をじっと見つめている。その瞳にも生気がなくすぐにでも目を瞑り、塵芥となって消えていきそうだ。

「こんな旅先で時間切れになるとは思わなかった」

 とハヤテが言った。

 あと十年は人間の姿を保てるはずだとハヤテは考えていた。 

「さよならなの?」

 ハナが小声でボソボソと言った。

「そうじゃない」

 ハナは咳き込みながら悲しげに聞いた。

ハヤテは生気のないハナの顔を覗き込んでから、優しく笑った。

「まだだ。俺が拾ったんだ。生かすも殺すも俺の勝手だ」

「……」

 ごほごほっと咳をした衝撃で息が出来なくなり、ハナはぎゅうっと胸元を掴んだ。

 ハヤテが骨張ったハナの背中を大きな手で撫でさすった。

「安心しろまだ死なせはしない」

「本当にハヤテは鬼だ」

 と言ってハナは目を閉じた。 


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