第18話 石女に効く薬毒8

 なんて事だろう。

 義妹の父親が吉森家の舅だったとは。

 お姑さんはぽつぽつと語った。

「相田さんの奥さんは若い時にはそれは綺麗でねぇ、この街に嫁に来たときは評判の花嫁さんだったわ。あの人は自分が綺麗だって事をよく知っててね。町中の男に色目を振りまくのを忘れなかった。私の事も馬鹿にしたように見てたわ。きっと亜紀美ちゃんの事もうちの人の子供だって分かって産んだんでしょうね。相田のご主人は大人しい人だったから。でも結局、うちの主人は餓鬼が憑くような男だったし、相田さんの奥さんももう正樹君の子供が抱けないんだわ。あの人、うちの息子と正樹君をずいぶんと比べてくれたものなの。やれ、正樹君が生徒会長になっただの、いい大学に入っただの。有名な大手の会社に入っただの。自慢三昧だったわ。まるで私に当てつけのようにね。でも智恵子さんと正樹君に子供が出来ないって愚痴を言いに来たときはほんの少し胸がすっとしちゃったわ。あの人、さんざん私を見下していたのに、そんな事忘れたように智恵子さんの愚痴を言いにくるのよ。厚かましい。初めはざまあみろって思ったけど、毎日聞くのも嫌になってたのよ」

「そうだったんですか……」

「ええ、本当に嫌な人だったわ。相田さんの奥さんは……」

「でも、何も知らないから、新しい奥さんの自慢に来るわね、また」

 と優子さんが言った。

「そうねえ、でも、たった一人出来た孫はもういないんでしょう? それにもう二度とあの人は孫を抱けない。すぐに次が出来るなんて期待して待ってるなんて笑っちゃうわね。そう思えば愚痴くらい聞いてあげてもいいわね」

とお姑さんはそう言ってから笑った。

「でも、孫は亜紀美さんに一人いるから」

 と私が言うと、

「きっと亜紀美ちゃんだって、そのうちに何かあるわよ。餓鬼が憑いてるんだもの。餓鬼に取り憑かれて、うちの主人みたいにならなきゃいけどね。ほほほほほ」

 とお姑さんは嬉しそうに笑った。

 

 結果的に私は吉森さんのお姑さんの復讐に手を貸してしまったようだ。

 だが吉森家の人達はみんな本当にいい人達なので、これから心健やかに過ごしていけるなら幸いだと思った。

 だが、私の犯した罪は罪だ。

 赤ちゃんを犠牲にしてまで、相田家を葬りたかった。

 それほどあの人を愛して、憎んだ。

 私はその後その街を離れ、一人でひっそりと生きていく事にした。

 もう二度と恋も結婚もご免だ。

 そしてある日、最後に残った夢見の薬毒を飲んで眠った。

 これが本物の毒でも構わなかった。

 眠りにつくと同時に死んでしまってももういい、と思った。

 白湯で一包飲んでから、私は布団に入って眠りについた。


「どういう事なの?」

 と甲高い女の声がした。

 私は眠りたかったのに、その神経に障るような声に渋々目を開けた。

「どうもこうも、お前は病気なんだ。亜紀美」

「私は病気なんかじゃないわ!」

「子供は俺が引き取るから」

「どういう意味よ?」

 面倒くさそうな顔で男がため息をついた。

 見た事のある顔だった。

 すぐ目の前で鬼のような顔で義妹を睨んでいる。

 何回かしか会った事はないが、元義妹の夫だった。

「どういう意味だと?」

「な、何よ……」

 義妹の声は震えていた。

「子供は俺が育てる。養育費はいらない。だからお前は二度と子供の前に顔を出すな。いいな!」

「ど、どうしてよ……酷いわ。あたしから健一を取り上げるつもり? あたしはあの子の母親よ! 子供には母親は必要じゃないの!」

 義妹の夫は酷く冷たい目で義妹を見てから、

「お前に健一を育てる資格なんかないだろう。自分のした事を理解してないのか? お前は犯罪を犯したんだ」

 と言った。

「な、なによ」

「お前の実家から毎日のようにあれやこれやを持って帰ってきてたがそれも勝手に持って帰ってきてたんじゃないのか? いいか? 勝手に人の家から物を持ってきたら泥棒なんだぞ?」

「あれはママが持ってっていいって言ったから」

「そうか、それはそれでよしとしよう。だがママ友とはいえ近所の家でそれをやったら泥棒なんだ」

「そんな大袈裟な。余ってる化粧品のサンプルとかもらっただけだしぃ」

 えへらと笑う義妹はまだ事の重大さが分かっていない様子だった。

 へらへらと笑って、夫の手に腕をかけたが力強くそれを振り払われた。

「トイレットペーパーやシャンプーや洗剤の詰め替え、生理用品まで盗んで、あげくに寝室まで侵入して宝石箱まで漁ったそうじゃないか!」

「ちょっと見せてもらっただけよぉ。あんまり自慢するからちょっと見せてって」

 ダン! と彼女の夫が壁を叩き、義妹はひっと肩をすくめた。

「お前のちょっと見せては、トイレ借りるつってから勝手に人んちの二階に上がって、寝室からクローゼットまで漁ることか? 前から健一のおむつやミルクなんかも借りても絶対に返さない、健一連れて友達の家に集まっても、何も持って行かないどころか、出された菓子やジュースや根こそぎ持って帰るって有名だったらしいな。それで近所のママ友の家は入れてもらえなくなったってな!」

「だってぇ」

 義妹はぷうと頬を膨らせた。

「俺がお前に金で苦労をかけたか? 生活に困ってるわけじゃないだろう?」

「だってぇ、欲しいんだもん。必要なくても見たら欲しくってしょうがなくなるんだもん」

「お前は病気だ。健一をそんな女に育てさせるわけにはいかない」

「嫌よ! そんな!」

 義妹は甘えたり逆ギレしたりしながら夫に懇願したが、彼の方の離婚の意思は堅そうだった。終いには「病院へ行け」と言われてしくしくと泣き出した。

 そのしくしくと泣く義妹の周囲にわらわらと集まる小さな人影があった。

 腹がポコンと出た裸足の小さい餓鬼達が義妹の周囲に集まっている。

 床に座り込んだままの姿の義妹の足にしがみついたり、背中によじ登ったりしている。

 あの餓鬼達のせいで義妹は盗みが止められないのだろう。

 子供をとられてもきっと彼女の盗癖は治らないだろう。

 彼女は餓鬼に魅入られてしまった人間なのだ。

 彼女は盗む、という業から逃げられないのだ。

「あたしは悪くないわ! 大事な物なら金庫にでも入れておけばいいのよ!」

 義妹はヒステリックにそう叫んだ。

 その瞬間、ざわっと餓鬼の数が増えた。

 一匹の餓鬼が分裂し、それがまた分裂する。

 彼女の夫は呆れたような顔をして、部屋を出て行ってしまった。

 残された義妹は爪を噛みながらぶつぶつと呟いている。

「あたしは悪くないわ……何よ、みんなケチくさいったら」

 そう呟く義妹の身体は分裂して増えすぎた餓鬼の集団に埋もれている。

 蠢く餓鬼達が身体中を這い回っているのすら気がついていないようだった。

 もう見ていられない。

 彼女はこのまま餓鬼に支配されて、他人の物を盗みながら生きていくのだろう。



「こいつはずいぶんと繁殖したな。大漁大漁」

 と男の声がした。

「餓鬼付きの男の種から生まれた女だからねぇ。むしろこの女の存在が餓鬼さ」

 と少女の声もした。 

 気がつくと義妹のすぐ側に二人の人間が立っていた。

 男と少女だ。

「今回、心臓は?」

「餓鬼付きの女の心臓なんていらないよ」

 と少女の声がした。

「ドゥ、喰っちまいな。こんだけ採れりゃあ、餓鬼づくしの薬毒がたんまり取れる」

 と言った大きな鬼が私の方へ振り返った。

「ひっ」

 鬼だ。

 その横にいるセーラー服を着た少女の顔も鬼だった。

 おかっぱ頭の先に見える二本の角。

 そして何より恐ろしい金色に光る瞳。

 黒い猫が鬼の腕からぴょんと飛び降りて部屋中に広がる餓鬼の群れをほんの一口でぱくっと食べてしまった。

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