第15話 石女に効く薬毒5
薬屋へ着いたのはもう夕方の六時を過ぎて、辺りは暗くなっていた。
この前と同じように、勝手に奥内へ入り廊下を歩く。
手に下げたバッグの柄を握る力が入りすぎて手のひらに爪が食い込んで痛かった。
「おやぁ? 子作りの薬を買いに来たのかい? それとも餓鬼殺しの方かい?」
前回とは違い、帳場格子の中に座っていたのは老婆だった。
黒いニットのセーターを着ていた。
若いときにはさぞかし美人だったのだろうと思われる。
「い、いえ。あの薬はいりません……キャンセルします」
黒猫がにゃーと鳴いて座布団を咥えてきてくれたので、私は帳場の前に座った。
「もういいのかい? 離婚してやり直すのも手だろうしねえ」
「あの……おかしな事を聞きますが……男性を不妊にする薬はありますか」
私の声は震えていた。
夫の裏切りを知ってから頭の中で一瞬で立てた計画が恐ろしすぎて、そんな薬などないと断って欲しいと思った。だけど老婆は、
「あるよ。鬼女紅葉の薬包がねぇ」
と簡単に答えた。
まるで用意してあったように、すぐ目の前の机の引き出しから灰色の薬包をいくつか取り出した。
「七日、飲ませ続けられたらあんたの勝ちさ。途中で止めたら効果はないよ。何でもいいさ、コーヒーでも味噌汁でも料理の皿にでも一日一包みを七日だ。七日分で十万円」
「あるんですか……」
「あるよ。うちにはどんな薬でもある。何だい? その顔は? うちは薬屋さ、客の望む薬を出すのが商売さ。いいかい? 欲しがる客がいるからうちは売るんだよ?」
と言った老婆の顔は醜悪に歪んだ。さっきまでは美人とすら思えたのに、今の老婆は誰よりも意地の悪そうな顔だった。
「……子供が出来ないってそんなに悪でしょうか……浮気されてたなんて……それもこれもあの人の妹の餓鬼のせいで妊娠しにくくなってるのに、本人は浮気して……他に子供が出来たって言うんです……酷くないですか……」
「なるほどねえ……」
老婆は煙管を吸っていたがぽんとそれを置いてから、
「いいさ、いいさ、やっちまいな」
と言った。
「え……」
「あんたが我慢する事はないさ。何もかも忘れて余所でやり直すって気力もないんだろうね?」
「やり直す?」
「そうさ、あんたの人生さ。何もかもを引き換えに復讐を果たすのもいい」
私は老婆の顔を見た。
「引き換えに? そうです、私は引き換えに今の自分を選んだんです。私はあれほどやりがいのあった好きな仕事を辞めてまで、あの人の子供を産もうと……もう、今更やり直しなんて出来ないわ……あの仕事にはもう戻れないわ。一人で人生やり直す? この年で正社員なんてどこも雇ってくれないわ。パートでレジくらいしかないわ。それでもあの人と一緒ならそれでもいいと……思って……愛してたんです……」
私の中の憎しみが一気に噴き出した。
「そうよ、あの人は顔が良くて、優しくて女性にモテて、会社の中で結婚したい男の一位でした。お給料もいいし、仕事も出来る、だからあの人を射止めた時には鼻高々でした。若い女子社員を差し置いて私が選ばれたと有頂天でした。言われた通りに会社も辞めて、同居もしました。義母や義妹に女中のようにされても耐えてきたのは夫に嫌われたくなかったから。私だって夫の子供が欲しかった。妊娠しても育たない……それが義妹のせいだけでも許せないのに、浮気だなんて……酷いわ……買います。十万円でしたね?」
今日は給料日だったので、財布には下ろしてきたお金があった。
生活費だが、もうどうでもいい。
私は財布から札を抜き出して机の上に置いた。
「まいどあり。あ、そうそう、これをサービスしとくよ」
と老婆が言い、白い包みを一包だけ机に置いた。
「これは?」
「夢見の薬毒さ。あんたが全て終わったって頃に寝る前に白湯で飲んでみな。あんたの見たい夢が見られるだろうからね」
老婆がそう言い、膝の上の黒猫がにゃーと鳴いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます