第13話 石女に効く薬毒3

 漢方の店は細い路地の奥まった、野良猫の通り道のような狭い暗い場所に合った。

 黒い猫が道案内のように姿を見せてはにゃーおと鳴いて奥へ誘う。

 路地裏に入ると急に道が細くなり、まだ昼前だというのに薄暗く、そして人が誰もいなくなった。道が一本違っただけでこんな空間になるんだ、寂しいけれど、雰囲気があって素敵だなと思ってしまった。

 店は路地裏の一番奥で、ゴミが山のように積まれた廃屋のような家だった。

 案内してくれた黒猫がゴミ箱の上に座りにゃおと鳴いた。

 恐る恐る中を覗くと狭い狭い玄関にスリッパが一足揃えてあり、黒猫が足下を駆け抜けて上がり込み、私の方へ振り返る。

 そこで靴を脱いでスリッパを履いて、「お邪魔します」と声をかけた。

 砂壁に挟まれた狭い廊下を歩いて行くと、茶色い染みのついた長い暖簾が掛かっていた。 猫が暖簾の下をくぐったので、私も暖簾を手でよけて中を覗いた。

 狭い狭い廊下を歩いてきたはずなのに、中は広い座敷だった。

 四方全ての壁という壁が作り付けの家具で、小さい番号のついた引き出しになっている

 真ん中に時代劇で見るような帳場があり、帳場格子の中に着物姿の男が座っていた。

 雰囲気のあるこの場所に優しげな笑みをたたえた男。

 私は和風の舞台とその店主に目を見張った。

 なんて素敵な空間、なんて絵になる人物。



「子作りに利く奴ねぇ、まだあったかな。最近、その手の薬毒が飛ぶように売れててね。在庫が心許なかったような」

 三十四、五くらいだろうか。

 黒髪で浅黒い肌、きりっとした瞳、オリーブ色の着物がよく似合う役者のような雰囲気のある男性だった。まるで舞台俳優のよう。

 優しげな美青年の店主に不妊についての相談をするのは気恥ずかしい気もしたが、来てしまったものはしょうがない。

「うちの薬は魔法じゃないんだ。利く利かないは個人差があるし、全て解決ってわけじゃないけど、いいかい?」

 店主はそう言ってから、机の引き出しから紙包みの薬を一包取り出した。

「はい……」

 その包みを取ろうとした私の手を柔らかい黒い手がちょこんと押さえた。

「言っとくがうちの薬毒は高いぜぇ」

 いつの間にか店主の膝の上に座っていた黒猫が言った。

「え!?」

 猫がしゃべった。

「ドゥ、つまんねえ事を言うな」

 と店主が黒猫の頭を撫でながら言った。

「おいくらでしょうか?」

 と私は聞いた。

 この空間に足を踏み入れて、思い出してしまった昔の仕事の情熱が胸の中で蘇る。

 私の心は三年前に退職した職場へ飛んだ。

 私は広告代理店のデザイナーだった。

 素敵な空間を、人物を創り出す仕事が好きだった。

 天職だと思っていた。

 それが今はどうだろう。

 

 でも今更そんな事を思っても仕方がない。

 一度辞めた仕事に復帰なんて無理だし、ああ、どうしてあんなに好きだった仕事を辞めてしまったんだろう。

 不妊治療のために仕事は辞め、夫や家族に尽くしてきた。

 今のスーパーでのパートが悪いわけじゃない。

 けれど、それは私のやりたい仕事じゃない。

 だけどそれを選んだのは私だった。

 夫の家族に反対されてムキになり、子供さえ出来れば、と思ってしまったのだ。

 私はそんな事をぼんやりと考えた。

「一包、二十万円、効能は不妊体質解消、あと、肩こりにも利く。だが、さっきも言ったが個人差があるからな、一包飲んですぐ妊娠したってご婦人もいれば、毎月一包づつ、十年も飲んでようやく利いた奥様もいる」

「毎月、二十万円ですか」

「そう」

 店主はさわやかな笑顔を見せた。

 二十万円は私の毎月のパート代よりもはるかに高額だった。

 母親が治療費用の為にと私にそっとくれたのは二百万入った預金通帳だった。

 このお金でも十包みしか買えず、十回で妊娠できなかったら、お金も何もかも失う。

 迷ってなんと返事をしたらいいのか分からず、私はじっと黒猫を見ていた。

「にゃーお、おかえり、ハナ」

 と黒猫が頭をあげて鳴いた。

 振り返ると制服姿の少女が暖簾を少しあげてこちらを見ていた。

「ただいま」

 と言いながら少女が入ってきた。

 孫娘だろうか、黒髪のおかっぱ頭だがきりりとした表情はすばらしく美少女だった。

 ハナと呼ばれた少女は店主が机の上に置いた一包みを見て、それから、

「子作りの薬毒?」

 と言った。

「ああ」

 と店主がうなずいた。

「ふーん、体質改善くらいじゃ無駄だと思うけど」 

「え! な、何故ですか?」

 少女はセーラー服のリボンを外しながら私をじーっと見てから、

「あんたと義妹の相性が最悪だから。義妹に加担する姑が死ねばまだましだけど、今は力の均衡が悪い。子供生まれても長生きしないよ」

 と言った。 

「そんな……あの、例えば、別居するとか、絶縁するとかでは?」

 私は何を言ってるんだ。

 こんな中学生の少女の言っていることを本気にして、あてにするなんて。

 義妹との相性が悪いから子供に恵まれないなんて、そんな非化学的な。

 夫との相性というならともかく、義母へのストレスというならまだしも。

「あんたの義妹、あんたんちによく来るでしょ? 餓鬼の気が憑いてるからさ。それをあんたんちにばらまきに来てるんだよね。餓鬼の気は赤ん坊が好物だから、あんたに芽生えた赤ん坊の気をすぐに喰っちまう。だからいつまでたっても妊娠して育たない」

「そ、そんな……では義妹のせいで流産してしまうんですか?」

「まあそんなとこかな。義妹、あんたんちから何か持って帰らない?」

 少女が面白そうにくっくっくと笑った。

「え、ええ。家の日用品とかの事ですか?」

 確かにそうだ、二日と空けず家に来ては、食料から洗剤、トイレットペーパー、シャンプーの買い置き、頂き物のお菓子まで。

「義妹の餓鬼は日用品を持って帰れば満足だけど、いったん、義母に取り憑いやつらはあんたの赤ん坊を狙ってる。ぶっちゃけ、義母はあんたに赤ん坊が出来ない事を望んでるからさ、それを餓鬼が覚えて赤ん坊を喰っちまう。義母が死ねば餓鬼どもはそれをしなくなるかもだけど、基本的に赤ん坊が好物だからねぇ」

「義妹や義母と距離をとれば大丈夫ですか?! 遠く離れた場所に引っ越すとか……」

 少女は首を傾げて、

「絶縁ねえ、餓鬼は一度覚えた美味い赤ん坊を忘れないよ。一緒に義母の生き霊とかも飛んできそうだし」

 と言った。

「そうですか」

「他の男とやり直すって手もあるんじゃないの? それともハヤテから餓鬼殺しの薬毒を買ってあんたが先に喰っちまうかい? 餓鬼を」

 少女はけっけっけと笑った。

「ニャーオ」

 と黒猫が鳴いて、私の前に来た。

 口に咥えていた何かをポトンと落とす。

「え!」

 小さい小さい人間のような形の物だった。

 ピクピクと動いている。

 私は顔を近づけてそれを見た。

 顔があり痩せてガリガリの手足の裸で土色の肌をしている。

 腹だけがぽっかりと膨らんでいた。

 それは怯えたような顔をしているように思う。

「ギャ!」

 と小さい悲鳴と共に、黒猫の前足がちょこんとそれを踏みつぶした。

「そいつが餓鬼さ」

 そう言うと少女は奥の扉から出て行ってしまった。

「あの……その餓鬼殺しの薬と言うのは? おいくらでしょうか」

 店主が頭をポリポリと搔きながら、

「ハナはああ言ったが、餓鬼殺しの薬毒は勧められねえなぁ」

 と言った。

「で、でも、餓鬼がいなくなれば赤ん坊は育つんですよね?」

「まあ、理屈はそうだが、餓鬼殺しの薬毒は寄生主も殺すぜ?」

「え」

「餓鬼も義母も義妹もコロリさ。餓鬼に取り憑かれた人間ってのは最近多くてな。餓鬼どもも現代では学習してるのさ、昔話のように取り憑いた人間を破滅させるだけじゃない。上手に寄生してコントロールする。永遠に自分たちが居心地のいい空間で住み続けられるようにな」

「住み心地のいい空間……」

「そうだ、さあ、どうする? 体質改善して赤ん坊を授かるのを待つか、さっきも言ったがこいつは一包二十万円。効き目は人それぞれだがただの不妊ならたいていは効く。あんたは難しいかもしれないが、いつかは餓鬼と喰い合いしても負けない赤ん坊が授かれるかもしれない。それとも寄生主もろとも餓鬼を殲滅するか? こいつは効き目は抜群で一回で効く。その分高い、一包二百万円だ。それともハナの言ったように今の旦那とは諦めて他を探すか、だな」

 先ほどの薬包の隣に毒々しい赤い色の薬包が置かれた。

 餓鬼に負けない赤ん坊が授かれるかどうか不確かな一包十万円か、私の赤ん坊を喰らう餓鬼を無くしてしまう二百万円か。 

 母のくれたお金で二百万はなんとか払える。

 義母と義妹と餓鬼を全部無くしてしまえば、赤ん坊がこの腕に抱ける。 

「す、少し考えてもいいですか」

「もちろんさ。腹が決まったらまたおいで」

 素晴らしい舞台の上で、雰囲気のある舞台俳優が素敵な笑顔でにこりと笑い、黒猫ニャーオと鳴いた。

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